毎年、同じような話になってしまいますが、ご容赦ください。
法要の中で、ご先祖さん方の供養を祈願する部分に気づかれた方は多いと思います。
そして、それと合わせて皆様の福徳を祈願していたことにも気づかれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
お盆に合わせての施餓鬼法要なんだから、先祖供養だけしっかりやってくれよ。
そんなに欲張るなよ、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これこそが真言宗の施餓鬼なのです。
外をご覧ください。
先週、皆さんにきれいに草刈りをしていただきました。本当にありがとうございました。しかし、もう小さな雑草が続々と顔を出しています。
いくら刈り取っても、次から次へと生えてくる雑草。
私たちの煩悩、欲というものはこのようなものです。
一時的に、欲を断ち切って、心静かになったとしても、覚りきった方でもないかぎり、次の瞬間には欲が芽生えてきます。
一般的な仏教では、その都度、その欲を摘み取りなさい、というでしょう。
しかし、お大師様は違います。
そもそも欲というものを否定しません。
ただ、欲にも「小欲」と「大欲」があり、推奨されるのは「大欲」です。
一万円欲しいと願うのが「小欲」で、一億欲しいと願うのが「大欲」というわけではありません。
自分だけの幸せを願うのが「小欲」で、みんなの幸せを願うのが「大欲」です。
そもそも、自分の幸せを考えない人に、他人の幸せは分からないでしょう。
さきほどの話に戻します。
雑草は「小欲」です。
それらをいちいち抜かなくてもいいというのです。
代わりに「大欲」とい大きな木を育てて、枝いっぱいに茂らせなさい、というのです。
すると、日が当たらない下草の雑草は勝手に枯れてしまうわけです。
それどころか、枯れた雑草は「大欲」の大木の栄養にすらなるのです。
この施餓鬼では、みなさんはご先祖様のご供養を祈願してくださいました。
身内とはいえ、自分以外の幸せを願ってくださいました。
生きている親なら、機嫌を取ればお小遣いがもらえるかもしれませんが、先祖供養は見返りを求めない「大欲」の行動です。
さらには、縁もゆかりもない餓鬼さんたちにもお布施をして、ご供養してくださいました。これはもっとより大きな「大欲」です。
この餓鬼さんたちは、皆さんのご先祖が仏さまの世界に帰られるときには、一緒に帰っていきます。餓鬼道から脱出できるのです。
そういう意味では、大げさかもしれませんが、成仏のお手伝いをしてあげたのです。
だからこそ、施餓鬼の功徳は大きいといわれるのです。
苦しみから抜け出して、仏となった餓鬼さんたちは、感謝して皆さんに功徳をもたらしてくれます。
そして、そのことは、餓鬼さんたちを連れて「里帰り」してきた皆さんのご先祖さんにとって最高の喜びです。
商売でいう「三方良し」みたいで、世俗的に感じるかもしれませんが、人に生まれて、幸せを求めない道理はないでしょう。
今日は、「大欲」という大樹にたくさんの肥料をまいてくださいましてありがとうございました。
※ 令和5年 施餓鬼法要での法話に加筆修正したものです。