先日、伝授で一緒になったH師から「Nさんって知っていますか?」と言われました。N師というのは、自分が昔、一緒に加行をした方の名前です。そして、同じ道場でH師も加行を終えているのですが、10年以上時期がずれているので面識もないはずです。なぜ、Hさんがこんなことを聞いてきたか不思議に思っていますと、次のようなことでした。
先日、Nさんは亡くなられたそうです。Nさんは在家出身の方で、寺を持つこともなく、ご家族にも僧侶になろうという方がいるわけではないので、法具や法衣をとある遺品整理の業者に出そうとしたそうです。ところが、価値を知らないのか、分かった上で阿漕なことをしているのか分かりませんが、トータルでわずか数万円と言われたそうです。さすがにご遺族もこれはひどいだろうということで、さらに色々な業者にあたったところ、Hさんと縁のある業者に巡り合ったそうです。その業者がHさんに連絡して、相応の金額で引き取ることになったとのことでした。
僧侶も数え切れないくらいいる中、真言宗の僧侶の中だけでもとてつもない人数がいる中で、同じ修行道場の先輩から後輩に法具や法衣が受け継がれることになったのは、本当に奇跡に近い偶然に見えるかと思います。しかし、仏教には偶然はありません。因と縁があって結果が生まれるだけです。
こんなことがあったので、自分もN師のことを思い出してみました。行の最中でもよくしゃべる方だったので(当然NGです)、正直苦手な方でした。ただ、仏教、密教に対する知識はすごいものがありました。10年以上前に、蓮定会という寺の同窓会のようなものでお会いしたときは、一年間高野山に住んで高野山大学の教学実習科目(声明や布教など)の単位を取ったこと、大学院も修了したこと、そして学補(高野山大学や大学院を卒業することで特定の僧階に任じられること)により大僧都になったことの報告を受けました。今回、H師が大師教会を立ち上げたことをうかがい、ホームページを拝見したところ、N師から受け継いだと思われる見事な紫衣と納衣七條を着ておられたので、N師はその後、僧正になられていたのでしょう。その後にお会いした時には、自分が西山寺の住職になったことに驚かれており、ご自身も寺を手に入れようと意欲を持たれたようでしたが、それがお会いした最後となりました。

自分も、法衣、特に袈裟は高価であるため中古を買うことがあります。傷んでいるものは、へたくそながら自分で手縫いやらミシンやらで補修して着ています。あるお坊さんには、「中古の法衣なんて念が入っているから駄目だ」といわれたこともあります。その方は、水子供養や除霊など「単価の高い」法務をされている方でしたので、新品の法衣を躊躇なく手に入れることができるのでしょうが、自分には無理です。また、貧乏僧侶の負け惜しみではないのですが、自分の場合、その「念」が目的だったりします。まだ駆け出しだったころには特にだったのですが、葬儀をしても、未熟な自分がちゃんと引導を渡せているのか不安なこともありました。そんなとき、袈裟や法衣の前の持ち主である「先徳」にどうか力を借してくださいと願っていました。中には、どなたかの供養のために寄進された袈裟もあり(裏に「為○○」等と刺繍が入っています)、自分が引き続き着させていただくことで、その方の供養を続けることにもなると考えています。
さっき偶然は無いと申し上げました。N師も折角の膨大な知識を生かして、まだまだ二利双修に励みたかったんだと思います。でも、それが叶わない以上、その「念い」を同じ修行道場の後輩に託したのだと思います。
肉体は消えても、念いは残ります。新たに大師教会を立ち上げたH師が、N師の念いを受け継いで、真っ当にお大師様の教えに邁進されることを祈念しています。
拙寺の地域では、この七月がお盆の時期です。皆様も大切な方が残された何かを前にして、その方の念いに心を向けていただければと存じます。

