今日も色々なご祈願をしていただきました。
こんなに欲まみれの、自分のための祈願では恥ずかしいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。そして、お坊さんだったら、きっと自分の願いなどなく、人様の願いを届けることに全振りしていると思われているかもしれませんが、そんなことはありません。
以前にも申し上げたかと思いますが、数珠の擦りかたにも色々あって、自分たちは向こう→手前→向こうの順に行います。これは他人のため、自分のため、他人のために祈ることを表すともいわれます。ちなみに阿闍梨になる前は、人のために祈る余裕はない、その分自分の修業に力を入れるようにということなのか、手前→向こう→手前でした。比率は変わりますが、僧侶であっても自分のために祈ることが許されている証なのかもしれません。
暑い日が続いています。少し外で作業をしていると干からびてしまいそうです。しかし、雑草はタフでして、少しでもにわか雨が降ろうものなら、待ってましたとばかりに茂ってしまいます。本当に、刈り取っても刈り取っても生えてくるという点では、私たちの煩悩と同じです。ここでは簡単に欲と言ってしまいましょう。私たちの欲も次から次へと湧き上がってきます。
その都度、欲(煩悩)を摘み取ることができればよいのですが、なかなか大変です。真言宗ではむしろ、その欲を生かしなさいというのです。
欲にも「小欲」と「大欲」があります。前者は、もっぱら自分のための願望をかなえたいと言う欲です。一方、後者は自分だけでなく、広くたくさんの人の願いをかなえたいという欲です。
先ほどのように、植物に例えるならば、小欲は地面近くに生えている雑草のようなものです。こまめに刈り取るのも良いのでしょうが、それよりも、近くに大欲という大樹を育てなさいというのです。その大樹が大きく枝を張って、葉っぱが茂ると、日陰になって下の雑草は自然に枯れてしまうでしょう。そして枯れた雑草は、大樹を育てる肥料にかわるというのです。小欲は大欲を育てる原料にさえなるというのです。
実は、自分も、自分の願いを叶えるための行法をしています。安心してください、今日の薬師護摩では、全力で皆さんの願いを届けることだけしていましたから。自分の願いが何かというと「勉強できるだけのお金に困らないこと」です。いつも申し上げていますが、四度加行を終わって伝法灌頂を受けて「阿闍梨」になったといっても、ただのスタートラインです。ようやく、色々なことを学ぶ権利を得ただけです。今日の薬師護摩も以前奈良まで行って伝授を受けたものです。先日の胡瓜加持もそうです。今も悉曇の勉強会をはじめ、複数の伝授を受けているところです。正直、お金がかかります。でも、その行法をするようになってから、なんとかうまくいっています。あと〇万円だけあれば、この伝授受けれるのになぁ、と思っていると、ちょうどそのぶんくらいの臨時収入が入ったりするんですね。残念ながら、ちょうどの分しかはいってこないですけど。
すると、力を貸していただいたんだということ、学ぶことができたということが嬉しくて、次の願いが出てくるんですね。「この学んだことを生かす機会が欲しい」と。正直、学んだものの、使う場面はないだろうな、といった内容もあります。胡瓜加持もそうでした。学んだころには、先々代が、この寺で行っていたなんてことは知りませんでした。また、井戸封じや伐木供養なんか、都会の寺にいたころには一生使う機会はないと思っていましたが、こちらへ来てからやる機会に恵まれました。
また、伝授に行くと、顔見知りができます。類は友を呼ぶ、なんでしょうか。自分と同じように、お金をやりくりして、何とか駆けつけている仲間がいるんですね。親から、金を出してもらっているのか、伝授が始まって早々にいびきをかいていたり、旧知の坊さん同士で飲み会の打ち合わせばかりしているような幸せな方たちと違って、自分たちは必死です。一言だって聞き逃すものかと前のめりで受けているんですね。そうすると、こんどは「自分と同じように、志のある僧侶が勉強に困らないだけのお金が回りますように」という願いが加わります。ここまでくると「小欲」から「中欲」くらいになったでしょうか。
ちょうど、先日も伝授仲間から、経済的状況が上向いた、との報告がありました。自分以上に苦労して、頑張っている方なので、すごくうれしかったです。すると、最終的には「僧侶に限らず、学ぶ意思のあるものが、経済的理由であきらめないで済むように」という願いに代わってくるんです。ここまでくると「大欲」ですね。
自分が苦労したうえで、願いが叶ったという体験があるからこそ、他人の同じ願いに共感して、叶えばいいなぁ、という気持ちになれるんだと思います。
うちのお薬師様は文字通り、病気平癒に特に験がある仏様です。もしかすると、仏さまになる前には、健康面で苦労され、救われた体験があるのかもしれません。だからこそ、衆生の病を必死で治そうとしてくださるのかも知れません。お薬師様の誓願の中には、病気を治すこと以外もありますので、経済的な願いもOKですのでご安心ください。
本日の薬師護摩で、皆様の小欲が満たされ、大欲を育てる糧となることを願っております。