業が深い?

 最近の葬儀では、「式中初七日」といって、葬儀の際に一緒に初七日法要を行うことが一般的になっています。いわゆる「式中初七日」というものです。自分の親の葬儀は20年以上前ですが、当日に火葬した後に初七日を行う「戻りの初七日」でした。今はほとんどありません。葬家や参列者の負担を軽減するということもあるのでしょう。

七本塔婆です。七日ごとの法要を終えると裏返しにしていきます。

 

 ところが、最近葬儀をした方が、初七日はもちろん、七日ごとに法要をしてほしいと言ってこられました。不思議に思って、尋ねたところ、「見える」という方から「あなたのお母さんは業が深いから、丁寧に供養しないといけない。」というようなことを言われたそうです。

 

 業が深い

 

 一見、仏教的に意味のある言葉のように感じるかもしれません。しかし、そうではありません。「業」は仏教用語(仏教というよりもインド思想一般に用いられる言葉)ですが、「業が深い」という表現は、厳密には、仏教的には存在しません。辞書などでは、「前世での罪が深く、その報いを多く受けている様子などを意味する表現」と説明されています。転じて、単純に「欲深い、運が悪い」といった意味でも使われているようです。

 そもそも「業」というと、マイナスのイメージがつきまとうかもしれませんが、そうではありません。元となったインドの言葉である「カルマ」にしても「行動、行為」といった意味しかありません。ですから、「善業」もあれば「悪業」もあります。ついでにいうと、どちらでもない「無記業」なんていうものもあります。

 そして、「因果応報」の原理が働きますので、善業には善い結果がもたらされるわけですし、その反対も然りです。中には、悪い奴ほどよく眠る、で、悪業を積み重ねているのに、のうのうと生きている奴ばかりじゃないか、と思うかもしれません。大丈夫です、安心して下さい。自分たちの積んだ業は、善いものも悪いものも漏らさずに「記憶媒体」のようなものに蓄積されています。そして、「死に逃げ」は許されません。仏教の中でも、死んだらリセット、という考え方のところもあるようですが、少なくとも、真言宗では違います。アリ一匹を踏み潰したしまった悪業も、『蜘蛛の糸』のように、気まぐれで蜘蛛一匹を助けたささいな善業もちゃんと記憶されて、次の世界に持ち越すわけです。

 

 そういうわけで、仏教的には業に深いも浅いもないわけです。

 

 今回、亡くなった方は90歳くらいの方でした。一方、「見える」方は30歳前後の方のよう(もっと若ければごめんなさい)です。なんと無礼で失礼ではないか、と思いました。それだけ長く、この面倒くさい娑婆の世界で生きていれば、善業も悪業もたくさん積むのは当たり前です。たとえ「欲深い」という意味での業の深さがあったとしても、それは家族のために頑張った証だったりするわけでしょう。それを若造が、頭ごなしに否定する、さらには不安をあおる物言いをしたことがどうしても許しがたいのです。

 

 そして、本当に悪業ばかりを積んだ「業の深い」ひとならば、こうやって子供さんに手厚く供養されることすらないのではないでしょうか。

 

 本日は、そういう意味で、お身内の方がそれぞれ都合をつけて、故人様の前に集まり、手を合わせてくださっています。きっと故人様も、「俺、この世でちゃんとやったんだよな。善業積んだんだよな。」と安心されたり、誇らしく思われていることでしょう。そして、そう思わせてくれた皆様に感謝されていることだと思います。

 

※ 令和6年5月から6月にかけての回忌法要での法話に加筆修正したものです。

 

戒名に思いをめぐらせる

 あるときAという業者さんからこのようなご依頼がありました。施主様のお母様が危ない状態で、心穏やかに最期を迎えることができるように戒名をつけてほしいという内容です。いわゆる「生前戒名」というものです。本来であれば「戒名」である以上、面前で戒を授ける作法をしなければならないのでしょうが、事情が事情ですので方便として電話でやり取りをした上で、書簡にて戒名を授けました(生前戒名については問題点が指摘されています。また別の機会にお話ししたいと思います)。

 

 それから半年くらいして、今度はBという業者さんから葬儀の依頼がありました。内容としては、既に生前戒名をもらっている方なので、その戒名で葬儀をしてほしいとのことです。その戒名は分かり次第、伝えますと。

 その後、伝えられた戒名は、自分が半年前につけたもの。偶然にも、以前に戒名を授けた方の葬儀をすることになったのです。業者も違いますし、葬家さんも「できれば真言宗の寺で」、としかリクエストしていなかったそうですから、本当に偶然です。葬家さんも自分も驚きました。もしかしたら、戒名によって縁ができていたのではないかと思います。

     

 戒名のつけ方にも色々と約束があります。真言宗でしたらフルバージョンだと

        AA院BBCC居士

のような形式をとります。Aが院号、Bが道号、Cが狭い意味での戒名となります。

 一例を挙げると、Bの部分には一文字「実字」という、実際に存在しているもの(「山」とか「海」とか)を入れる。

 日常、熟語として使うものはそのままでは使わない(「仁義」とか「美徳」とか)。どうしても使いたいならば分割する。もちろん仏教用語で分割すると意味がなくなってしまうものはそのまま使います(「一乗」とか「金剛」とか)。

 他にも、Bでその方の生き様を表し、Cでこれからの仏としての在り方を表すようにする、と主張する方もおられますが、自分は、BとCを分けずに全体として、生前の姿とこれからの仏としての理想の姿を表すように作成しています。

 もっと厳格なものでは、漢字の読み方には四声がありますが(漢詩を学んだり、中国語を学んだ方なら分かりますね)、Cの最後の文字は平声でなくてはならない、なんていうのもあります。但し、これは音の響きを大切にせよ、くらいに読み替えて、自分はさほどこだわってはいません。

 さらには、故人様の俗名の一部を入れたり、葬家の方のリクエストを考慮したりすることになるので、原則通りにつかないことも多いです。

 

 最近では、戒名は要らない、といって俗名の葬儀をする方もおられます。しかし、子供が生まれたときに、親が健やかに育つことを願い、名前を付けるのが「命名」、残された子供が親に感謝し、あの世での平安を願って贈るのが「戒名」とも言います。最後の親孝行くらいしてほしいと思います。また、この世では「名前負け」なんてありますが、仏さまの世界では名前が仏さまの功徳をストレートに表したりします。

 うちの本尊の薬師如来様も名前の通り健康祈願に験がある仏様です。阿弥陀さんはもともと法蔵菩薩という名前だったのですが、如来に「出世」される際に「阿弥陀」と改名されます。これはサンスクリットの「アミターバ」の音写で「無限の光」を意味します(「アミターユス」=「無量寿」というパターンもあります)。まさに地獄に仏、とばかりに、頼ってきた方はどんなに悪党であっても、漏らさずに救ってくださる阿弥陀様にピッタリのお名前だと思います。そう考えると、戒名は故人様の仏さまの世界での活躍に力を与えるのではないでしょうか。むしろ「名は体を表す」世界なのです。

 

 お盆を前に、ご先祖様のお位牌をじっくりご覧ください。そして想像してください。こんな戒名がついているということは、こんな人柄だったのかな。そして、今はこんな仏さまになっているのかなあ、と。

 会ったことはなくとも、子々孫々を見守ってくれている仏さまたちです。より一層、親しみをもって手を合わせることができるのではないでしょうか。

 

※ 寺報「西山寺通信」令和6年5月号の内容を加筆修正したものです。

地位が人を作るのか?

 昔話をします。

 もう10年以上前のことです。高野山塔頭で役僧をしながら、高野山大学に通っていました。と言っても正規の学生ではなく、科目履修生としてです。加行は終わったものの、実習という部分での経験値が絶対的に足りなかったため、塔頭で寺院の日々の業務を学ぶとともに、大学で僧侶に必要な実技を身に着けたいと思ったからです。具体的には教学実習科目といわれる常用経典、声明、布教、法式などです。

 常用経典はお経の意味を学ぶとともに実際にお経を唱える科目、声明は経に節がついた歌のようなもので、ともに実技試験です。名簿順にみんなの前で、唱えていくのですが、両科目とも自分の前の方が「壊滅的」な方でした。

 たとえば、理趣経を順番に唱えていくというテストでは、彼が何を唱えているのかさっぱり分かりません。ですから、自分は次にどこから唱えればよいのかすら分かりません。先生も分からなかったようで、「(とりあえず)次は○○のところから読んで。」と指示してくださったほどです。

 声明もひどかったです。多分ジャイアンリサイタルよりひどいです。なるべく聞かないようにして自分の番を待ちましたが、幻惑されて頭出しの音を大きく外してしまいました。おそるおそる、先生にもう一度やり直させてください、と申し出ると、先生も哀れに思ったのでしょうか、お許しが出ました。いつもは厳しい先生なのですが。

 一緒に受けていた同級生からは、同情されていました。本当に、彼のせいで単位を落としてしまったらどうしようと、自分の不運を嘆くとともに、彼のことを腹ただしくさえ思っていました。無事に単位が取れたときは、心からほっとしました。

 

 なぜ、こんな話をしたのか。

 先日、仁和寺悉曇灌頂というものを受けてきました。三年越しで、児玉先生より澄禅流の悉曇を教えていただき、「卒業式」のようなものです。ただし、密教ですので、法流を伝える重要な儀式である灌頂があります。内容は詳説できませんが、長時間にわたり様々な真言を唱えたりします。そして、自分の隣の方が、「懐かしい(笑)」彼でした。

 長くてややこしい真言は、ぼそぼそと唱えていました。しかし、簡単な真言になると、元気溌剌で唱え始めました。でも・・・間違っているんです。さらには声量を大きくしたり小さくしたり、一定のリズムで唱えることなく、好き勝手なビートを刻む彼。10年以上たっても変わっていませんでした。そして、それに幻惑されてストレスが溜まっしまう器の小さい自分。自分も変わっていませんでした。

 

 悉曇にも色々な流派があります。慈雲流で知られる慈雲さんは「灌頂を受けたって、悉曇がうまくなるわけではない。」との考えから、悉曇灌頂を開きませんでした。代わりにこの流では卒業試験のような「考試」というものがあります。

 

 よく「地位が人を作る」と言います。

 しかし、悉曇灌頂を受けて「悉曇阿闍梨」となったからといって、悉曇が上手になるわけではないということは、慈雲さんのおっしゃる通りでしょう。その肩書にふさわしくあろうという決意と努力が無ければ、資格コレクターにすぎないでしょう。

 

 自分の周りで、新たに得度を受けて、僧侶になったという方を結構目にします。しかし、僧侶になること自体では、髪形以外ほとんど何も変わりません。

 僧侶としての戒を授かり、仏さまの弟子となったことを自覚して、そのことにふさわしく生きていこうという決意が伴ってはじめて、「変わった」ことになるのだと思います。そうでなければただのコスプレです。

 

 信徒さんについても同様です。カルトならば、優しい言葉で「うちの教団に入ったら誰でも幸せになれるよ。」と甘言を弄するかもしれません。しかし、真っ当な仏教では、そんなに甘くありません。肩書上、檀信徒になったからと言ってそれだけで何かが変わるわけではありません。真言宗であれば、自分の中の仏を見つけ、仏の子として恥じないように生きていこうという決意があってはじめて「変わる」ことができるのでしょう。

 

 では、僧侶になるとか、信徒になるとか、ということ自体に意味はないのか、というと、そんなことは決してありません。

 私たちは、何かきっかけがないと、大きな決心をするのは難しいですから。

 

 縁なき衆生は度し難し

 

 お釈迦様の言葉です。せっかく仏縁を得たのです。仏の子、仏の弟子となったわけです。これは特別なことです。ただ、それだけではもったいないです。

 地位とそれにふさわしくあろうという決意があれば人は大きく変われるのです。

 

 オン ボウジシッタ ボダハダヤミ

 

 お馴染みの発菩提心真言です。信心をおこして、覚りを目指すという決意表明です。常に口にして、仏作って魂入れず、とならないように気を付けたいものです。

 

 

御影供2024

 御影供に毎年、同じ話ばかりでは退屈されると思います。

そこで、今年からお大師様のエピソードをお話してきたいと思います。

あとで、広間にかけてある「弘法大師行状絵図」で確認していただければ、と思いますが、「捨身誓願」という話です。

 

 お大師様が七歳の時、まだ「真魚(まお)」ちゃんと呼ばれていた頃のことです。近くの捨身ガ嶽に登り「私は大きくなりましたら、世の中の困ってる人々をお救いしたい。私にれだけの力があるならば、命をながらえさせてください。もしそうでなければ、この命を捧げます。」と仏さまに祈り、谷底めがけてとびおりました。すると、どこからともなく美しい音楽とともに天女が現われ、しっかりと受け止められました。

 

 かなり無茶をするお子様だったようですが、お釈迦様も似たようなことをされています。もっとも、お釈迦様の前世の話です。

 お釈迦様が「雪山童子」として真実の法を求めて修業をしていたときのことです。これは名前ではありません。「雪山」というのはヒマラヤのことだといわれています。要は人里離れた雪山の奥でひたすら覚りを求めて修業していた子供のことです。頑張っていますが、なかなか覚りに至りません。

 すると、どこからか声が聞こえます。耳を澄ませて聞いてみますと

 諸行無常 是生滅法

と言っています。諸行無常は「平家物語」の冒頭でもおなじみですね。この世のあらゆるものは変わらぬものはない。生じたものはいつかは滅してしまうというのが真理である、という意味です。

 

 雪山童子は、これこそ求めていた真実の教えだ、と喜び、声の主のもとへ駆けつけると、そこには鬼がいました。普通でしたら、逃げ出すところですが、真理に近づきたい童子は、是非続きを聞かせてくれるように懇願します。

 しかし、そこは鬼のことです。キャラ通りのリアクションをしてくれます。「お前を食わせてくれるなら、聞かせてやる。」というのです。常識的には、交渉決裂となるところですが、童子は承諾します。すると鬼は続きを聞かせます。

 生滅滅已 寂滅為楽

 生滅の道理に反する執着を無くしたときに、心の平穏が得られ覚りに至るという意味です。

 

 これを聞いた童子は、せっかくの教えが失われてはいけないと思い、近くの岩に刻むと、満足して山頂から身を投げて、鬼に捧げます。すると、鬼は本来の姿である帝釈天となり、童子を受け止めます。そして、いずれ仏陀となり人々を救う存在になることを告げ、礼拝されたという話です。

 

 お釈迦様が前世で命がけで手に入れたこの教えは「雪山偈」とか「無常偈」とか呼ばれています。覚えられなくても大丈夫です。みなさん、もう知っていますから。

 色は匂へど 散りぬるを

 わが世誰そ 常ならむ

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見じ 酔ひもせず

 「有為の奥山」とは迷いの世界。無常を知り、執着を除くことで、迷いの世界を抜けて、覚りに至るという同じ内容です。

 

 この「いろは歌」の作者には、色々な説があります。その中の一人に弘法大師が挙げられています。自分は立場的にお大師様が作られました、と言い切るべきかもしれません。真言宗では「宗歌」にもなっています。

 

 よく、密教は仏教ではない、なんて言う方もおられますが、やはり仏教の範疇であることに間違いはないと思います。むしろ、いろは歌のように、日本人に分かりやすくアレンジしてくださったのだと感じます。今日の御影供、お大師様を通じて仏教を学ぶ機会になれば幸いです。

 

※ 令和6年3月 正御影供での法話に加筆修正したものです。

 

修業は目的ではない

 スポーツ選手に「憧れの選手は誰ですか?」なんてインタビューしているのを見ることがあります。

 同じように、自分たちが「憧れのお坊さんは誰ですか?」と言われたらどうでしょうか?本当でしたら宗祖弘法大師の名前を挙げるのが筋なのかもしれませんが、あまりにもすごい存在過ぎて、憧れや目標として名前を挙げるのすら憚られる気がします。

 

 それでも、少しでもお大師様を追いかけたいということで、同じ修業をされている方もおられます。その代表が「虚空蔵求聞持法」というものです。

 内容としては虚空蔵菩薩のご真言である「ノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ」を50日間もしくは100日間で100万回唱えるというものです。お大師様は、四国の太龍寺室戸岬で修法されました。特に室戸岬で修法された際には、明けの明星が口に飛び込む神秘体験をされ、悟りに到達されたといわれています。

 どれくらい大変か想像できないかもしれません。自分が行法でお不動さんの真言である「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」を1000回唱えるというものがあるのですが、大体50分ちょいかかります。100万回の真言を100日なら一日で1万回ずつ、50日なら2万回ずつです。起きている間はひたすら真言を唱えないと間に合わない計算です。

 そんな過酷な行なのですが、自分の知っている方で、二度もこの行をされた方がいらっしゃいます。本当に頭が下がります。

 

 こんなすごいお坊さんもいると思えば、こんなお坊さんもいます。

 ある霊園の彼岸法要に呼ばれたときのことです。先輩の僧侶お二方とご一緒させていただきました。

 その法要には、いつも素敵なお菓子を差し入れしてくださる施主さんがいらっしゃいました。そのときも自分では買ったこともないようなお菓子を差し入れてくださいました。

 「どんなものが気に入っていただけるか分からないので・・・。お口に合えばよろしいですけど・・・。」

 自分と、一番年長の僧侶の方は、ただただ感謝の言葉を返したのですが、もう一人の方はというと

 「そうねえ、誰もに気に入ってもらえるものですか・・・。そうですね、米なら誰だって食べるじゃないですか。そうですね・・・お米券なんかいいと思いますよ。」等と熱弁を振るわれました。

 その間、施主の方の表情がどんどんこわばっていくのに、自分たちはフォローをあきらめました。感謝という単語が、その方の辞書には載っていないようでした。

 

 これは、知り合いのお坊さんから聞いた話です。やはり、ある霊園の彼岸法要に参加したそうです。そこでも、色々な施主さんから霊園にお菓子の差し入れがあったらしく、その一部を坊さんに、ということでいただいたそうです。

 その中に、虎屋の一口羊羹があったようで、一番年長の方が分けていったそうですが、人数でうまく割り切れなかったそうです。すると、もう一人の方が、全部箱に戻すように指示をしたそうです。そして、虎屋の羊羹を箱ごと自分のカバンにしまったそうです。そして、テーブルには「虎屋じゃない」お菓子が残されたそうです。呆気にとられて、何も言えなかったそうです。


 どうせ同じお布施を渡すなら、最初のお坊さんがいいですよね。二番目や三番目のお坊さんは願い下げではないですか。

 

 すみません。それ、無理なんです。

 何故って、これ全部、同一人物なんです・・・。

 

 すごい修業や苦行をしたことが、その方の人柄を保証するものではありません。修業はそれ自体が目的ではなく、手段でしかありません。何のための手段かというと、たとえば「上求菩提 下化衆生」とか、でしょうか。自分の覚りを目指す一方で、衆生を救うという意味です。

 

 今日は、護摩に参加していただきました。修業といって良いでしょう。もちろん、個人的な願い事を込められた方も多いでしょう。自分も、それが仏さまに届くように修法致しました。しかし、それが最終目的ではありません。

 健康を手に入れたならば、その身体を使って世のために働く、財産を手に入れたならば、それを社会に有用なことに使う、というところまで思いをめぐらさないと、ダメなのでしょう。神仏もそういう方に手を貸してくださるのだと思います。

 

※ 令和6年3月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

 

仏教は哲学ではない

 お寺にいますと、檀信徒以外の方から、色々な質問を受けることがあります。

 先日は、電話にて「ふきょうし」になりたいとの相談を受けました。

 どうやら高野山真言宗の「本山布教師」のことのようです。高野山内の金剛峯寺などで布教をする僧侶のことです。お大師様のお膝元で、宗門を背負って布教をする立場ですので、講習会を受け、試験を突破しなくてはなりません。そして、その受講資格は、教師、すなわち加行を終わって住職資格を持っていることです。

 そのことをその方に告げると、「高齢で身体に自信が無いため、加行はできない」とのこと。しかし、「仏教に対して知識は十分あるから、どうにかならないか」と食い下がります。

 そこで、「別に本山でなくても僧侶であればどこでも布教はできますし、むしろそうすることが僧侶の責務ですよ」と申し上げました。

 すると今度は、「まだ普通の仕事もしているので、髪を剃らずに得度できませんか?」。

     

 どうやら、この方は仏教を「信仰の対象」ではなく「知識や学問の対象」としかとらえていないように思いました。

 実際、仏教と哲学との区別は難しく、重なり合う部分も多いです。真理を求め続けるという点などは共通部分です。むしろ、真理を求めようとしないものは「仏教もどき」ではないでしょうか。

 では、異なる部分はどの点か、というと「体験」「実践」を伴うかどうかだとも言われます。

 仏教も宗教である以上、実際の信仰、信仰に伴う宗教的行為や活動を通じてしか理解できない部分があり、そこに本質的なものが多く含まれているというのです。

 実際、在家出身でわざわざ僧侶になろうという人の中には、死を覚悟するような大病から生還した、人生のどん底から光明を見出した、といった「奇跡」をきっかけとしている方が多いです。そして、その方たちは強固な信仰心をもち、とりわけ熱心な方が多い様に見受けられます。

 もちろん、お寺に生まれた方でも、名僧になられたような方の話には、そのような逸話を目にすることが多いように思います。

 では、そのような貴重な奇跡体験をしないと強固な信仰心は芽生えないのでしょうか。仏教の真髄に触れることはできないのでしょうか。

 

 違うと思います。

 奇跡体験をするのではなく、奇跡体験に気づいて、意識して、感謝することが必要だというのが正しいのだと思います。

 

 どういうことでしょうか。

 

 以前にも書きましたが、お釈迦様はこうおっしゃっています。

人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」

 人に生まれたことの奇跡、しかも、仏教をはじめ、色々なことに思いを巡らす余裕のあるこの平和な世界に生まれた奇跡を、私たちは当たり前のように思ってしまいがちです。しかし、こんなチャンスはもう無いかもしれません。

 

 勤行で最初に唱えることの多い開経偈は、そのことを再確認して感謝する宣言です。

  

  無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

  百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

  我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅーじ)

  願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

 

 どんなに上手くお経を唱えるよりも、自分の置かれた環境が奇跡であることに感謝してから唱えるお経の方がどんなにか素晴らしいものになるでしょう。

 誰もが「奇跡の存在」です。大切に生きていかなくてはならないですね。

 開経偈、是非とも口に出してお唱えください。

 

※ 令和6年2月 寺報「西山寺通信」26号の内容を加筆修正したものです。

涅槃図 2024

 今年も2月の間は涅槃図を展示しています。

 お釈迦さまが入滅されたのは、はっきりした年代は争いがありますが、紀元前5世紀ころの2月15日とされています。

 そのことから、お釈迦さまへの報恩の意味で涅槃会を執り行うお寺も多いです。拙寺でも、派手な法要は致しませんが、涅槃図をご覧いただくことで、お釈迦さまの遺徳を讃えています。

 

 涅槃図には色々なメッセージが込められています。その中のいくつかを紹介したいと思います。

 

 お釈迦様は生身の人間なのですが、特別な方だということで、普通の人とは異なる特徴を備えたとされます。あの独特の髪形や眉間の白毫というのもそうです。ついには「ビッグな」存在というのが物理的な意味でも「ビッグな」存在であらわされるようになり、身長は5m近くになってしまいます。

 

 そんな超人みたいな方ならば、不老不死も可能だったんではないだろうか。そして、人々を導き続けてくれてもいいように思わないでしょうか、と思いませんか。これについては、自ら「無常」を伝える必要があったなんていう理由をあげる方もおられます。他には、自分が死なないと、みんな甘えてしまって本気で覚りを目指さないからだったという理由をあげる方もおられます。

 なるほど、いつでも頼れる人が近くにいると、自分でどうにかしようという気持ちが弱くなってしまうかもしれません。

 実際に、いつもそばに付き従っていた阿難さんというお弟子さんは、一番近くでお釈迦様の教えを聞いていたのに、まだ覚りに至っていません。それなのにお釈迦様が亡くなると知ったときの嘆き方は半端ではないです。涅槃図でも地面に這いつくばって派手に悲しんでいる姿で描かれています。

 

 しかし、お釈迦様は最後に仰います。

「自らを燈明とせよ 法(正しい教え)を燈明とせよ。」

 結局は、自分でどうにかしなくてはならないのです。そして、頼るべき正しい教えはすでに伝えてあるだろうと仰ったのです。別の場面では「私はもう拳を握っていない」すなわち、手の内に隠したものはもう何もないよ、と仰っています。

 

 お釈迦様は亡くなっても、人々を救いたいという思いや、そのための教えというものは不変です。それを示すのが後方の木です。平家物語の冒頭でも有名な沙羅双樹の木が、右と左に4本ずつ描かれています。よく見ると、葉の色が違うのに気づくでしょう。右は枯れていますが、左は青々としています。これは、お釈迦様の肉体が滅んでも、その思いや教えは変わらないことを表しています。

 何もお釈迦様に限ったことではないでしょう。私たちも、死んだら終わりというわけではないです。思いや影響力はこの世に残るものです。

 

 そして、このスパルタは功を奏して、阿難さんはお釈迦様が亡くなってほどなくして覚りを開きます。

 

 ただ、優秀なお釈迦様のお弟子さんならそれでいいのでしょうけど、凡人としては心細いです。では、お釈迦様の次に仏さまになられる方はいないのでしょうか。

 実は、予約が入ってます。弥勒菩薩さんが次に仏すなわち如来になられます。国宝第一号として知られる広隆寺さんの弥勒菩薩さんをご存じの方も多いですね。あの頬に指をあてて考え込まれている姿は、仏になってどうやって衆生を救おうかと考えをめぐらしてくださっているのでしょう。楽しみですね。でもそれって、56億7千万年後です。現在は兜率天というところで長ーいウォームアップ中です。

 

 そのため仏さまが娑婆の世界に不在である今を「二仏中間(にぶつちゅうげん)」と表現することもあります。中には、お釈迦様が亡くなってから、釈迦様の教えが残っている時代(正法)、表面上の形だけが残っている時代(像法)、そして形すら残っていない最悪の時代(末法)に分ける末法思想というものも生まれます。ちょうど今大河ドラマでやっている摂関政治の時代が、末法に入ったと考えられ、生きているうちに希望を見出すことをあきらめて、死後に素晴らしいところに行くことに希望を全振りするという浄土思想につながります。平等院鳳凰堂などは浄土への強いあこがれを具現化したものです。

 

 ただ、この二仏中間の時代であっても救いはあります。

 たとえば、お地蔵さんの存在です。お地蔵様はこのような救いのない時代を、昼は生きているもののため、そして夜はあらゆる地獄を駆け回り、亡者を救ってくださっています。

 

 そして、弘法大師さんもそのような方です。

 仏法という難しい「教科書」だけを手渡されて勉強しろ、ということが難しいことを理解してくださっています。ですから、沢山の「参考書」を残してくださいました。仏教の宗祖で、お大師様ほど著作が残されている方はいらっしゃらないと思います。

 それでも大変、という私たちのために「家庭教師」もしてくださっています。ご自身が奥の院で瞑想されているほか、先に述べた弥勒菩薩さんのいると兜率天で修業されるだけではなく、衆生のもとに駆け付けてサポートしてくださっているわけです。

 

 お釈迦様に比べると、かなり過保護かもしれません。

 私たちが仏を目指すにしても、自分自身が困窮していてはそんな余裕もないだろう、ということで手助けもしてくださっているわけです。

 密教の得意とする加持祈祷なんて、仏教の本筋ではないという方もおられますが、私たちが万全の心身で、仏を目指すためのサポートという意味で重要なものです。そういう意味では、自分が幸せになればそれでOKという加持祈祷は仏教の本筋ではないといえるでしょう。その先があってこそです。

 

 本日の護摩で、心身ともにすっきりしていただけたかと思います。仏となる、仏さまのお手伝いをする素晴らしい一か月としていただければと存じます。

 

※ 令和6年2月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。