よく見て よく聞き よく生かす

 この中にもいらっしゃいますが、先日高野山に団体参拝に行きました。

 

 高野山では「案内人さん」が案内してくださいました。今回は、自分が高野山

で役僧をしているときからお世話になっている大ベテランの方でした。

  案内人さんも色々な方がいらっしゃいます。

 今回の案内の中にもあったのですが、自分が役僧をしていた蓮華定院墓所

掃除をしていると、次から次へと団体を引き連れた案内人さんが通っていきます。

 しかし、説明する対象や、説明の仕方、内容は様々でした。

 何を伝えたいのか、みなさん必死で工夫されているのだと感じて聞いていました。

 

 一方で、受け手の方も様々です。

 案内人さんの話を聞き漏らすまいと、近くにかぶりつきで聞き、最高のリアク

ションをしている方もいれば、まったく興味を示さない方もいます。

 そして、帰ってきてからも、感動冷めやらずで、感想を伝えてくださる方もい

らっしゃいます。

 

 今回は、金剛峯寺で布教使の方の法話を拝聴する機会もありました。

 その中では、高野山真言宗のスローガンである「生かせ いのち」がテーマと

されていました。

 

 「生かせ いのち」

 

 簡単な言葉に見えますが、非常に奥が深い、多義的な言葉だと思います。

 

 そもそもここでいう「いのち」とは誰の「いのち」でしょうか。

 自分のいのちでしょうか。他人のいのちでしょうか。

 おそらく、その両方だと思います。

 

 落ち込んで、道をとぼとぼ歩いていて、ふと路傍の花に目が留まる。

 それを見て、心が癒されて、顔をあげて歩いていくことができる。

 そうすると、花によって私たちが生かされ、前向きに私たちが生きることで

花も生かされるわけです。

 

 鬱々とした気分で、夜空を見上げて、月の美しさに気づき、心が洗われた

とき、月にによって自分たちは生かされ、また私たちが月を生かすのです。

 

 朝、疲れ切って布団から出たくないようなとき、鳥のさえずりに後押しされて

気持ちよく一日がスタートできたとき、自分も鳥も互いに生かしあってるのです。

 

 ただ、先に挙げたように、同じ対象が目の前にあっても、見え方や聞こえ方は

様々です。そもそも、見ることも聞くこともしていない人さえ多いです。

 

 私たちの一生など一瞬です。

 目にすること、耳にすることにも限りがあります。

 もったいないですよね。

 

 漫然と見たり聞いたりするのも、もったいないです。

 

 どうせなら「生かし 生かされる」ように見聞きしたいものです。

 

 そのコツは「感謝」なのだと思います。

 

 花は、虫に受粉を手伝ってもらおうと咲いているだけで、人を喜ばそうとして

咲いているわけではない、とか、月は自分の意志で輝いているわけではないし、

そもそも太陽の光を反射しているだけ・・・とか言う方は、どうぞご自由に。

 

 今回も、案内人さんが工夫を凝らして、これだけは伝えたいということを考え

てくれているのだな、と感謝して、その思いを汲み取って聞いていた方は、互い

を「生かす」ことができていたのでしょう。

 

 面倒くさいこの娑婆の世界ですが、これも仏さまの作った修業向け「テーマ

パーク」なのかもしれません。

 命がけで山を登ったり、滝に打たれるのだけが修業ではありません。

 感謝して よく見て よく聞く そして生かしあう 

 これも素晴らしい修業なのだと思います。

 

※ 令和5年6月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。