手放す訓練

 ちょうど境内の紅葉が綺麗なときに来ていただきました。となりのお家のイチョウも綺麗だったと思います。

 どちらも秋の彩りですが、仕組みが少し違うそうです。

 

 モミジやカエデが赤くなるのは、気温の低下に伴い、葉っぱの中にアントシアニンという赤い色素が出来るからだそうです。あのブルーベリーの色素としても有名なやつですね。

 一方、イチョウの黄色は、カロテノイドという色素によるものなのですが、こちらは元々備わっているそうです。

 ただ、普段は葉緑素であるクロロフィルの緑色に隠れて見えないだけだそうです。それが、秋になり日照時間が短くなり光合成が盛んでなくなると、クロロフィルが退化して、結果、黄色が表面に出てくるわけです。

 

 イチョウの木は寺によく植えられています。

 理由の一つとしては、火災対策とも言われています。

 イチョウは多くの水分を含み、燃えにくいそうです。実際、色々なお寺で「火伏せのイチョウ」などと呼ばれ、火事でも燃え残ったイチョウの大木が残っていたりします。昔の人の智慧が見つけた「自然の防火壁」でもあったようです。

 

 それだけではなく、イチョウはお寺にふさわしい木であるように思います。

 いつも申し上げているように、私たちの中には「仏性」があります。

 ただ、煩悩にまみれて埋もれてしまっていて見えなくなっているだけです。

 仏教には三つの定義があるといいます。一つはブッダのおしえ、二つ目は仏となるための教え、三つめは自分が仏であることに気づく教えです。

 密教では最後の定義を大切にしています。

 闇夜であっても、月は存在しています。雲を取り除けば、まんまるい月が顔を出すように、自分の中の仏様を現わして、大きくしていくのが密教の修行です。

 

 今、護摩でいろいろな祈願を添え護摩木に書いていただいたものを仏様にお届けしました。

 それは、欲であり煩悩のあらわれであり、今までの話に反するものではないかと心配されている方もいらっしゃるかもしれません。

 

 ご安心ください。

 密教では、欲を否定していません。欲が人間の行動の原動力になることはたしかです。ただ、その欲のレベルを、高度のものにしなさいというのです。

 だって仏様にも欲はあります。それは「衆生を救いたい」という欲です。

 

 「小欲」と「大欲」などということもありますが、仏様の欲は「偉大な欲」である「大欲」です。

 なかなか、凡夫たる私たちには難しいです。でも、あきらめてはそこでおしまいです。だから意識して訓練する必要があります。

 

 実は、この護摩の修法の中にもあります。

 みなさんの添え護摩木を投じるタイミングは、百八支という文字通り108本の枝を投じた後です。108という数でピンとくるでしょうが、これは煩悩を表しています。

 火を見つめ、一心に真言や経を唱えることで、煩悩を焼き尽くします。

 そして、今後は「大欲」を満たすために生きる決意をすることで、祈願を聞き届けてもらうのです。

 

 握った手のままで、福徳をつかむことはできません。

 一度、手に握っていた煩悩をすべて仏様に引き取ってもらって、代わりに仏様からプレゼントをいただくのが護摩です。

 今日、沢山のお土産をもらったと感じていただければ幸いですが、なんかモヤモヤしたものを下ろすことができたと感じていただければ、それだけでも幸いです。

 

※ 令和三年12月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。