施餓鬼の表白 

 法要の中で、僧侶が仰々しく宣言書のようなものを読み上げるのに気付いている方もいらっしゃるでしょう。

 

 「表白」(高野山では濁らずに「ひょうひゃく」と読みます)とか、「諷誦文」というものです。

 法要の際に、本尊様に対して法要の旨趣を啓白するものです。「表」は内心を表し、「白」は所願を表すともいわれています。

 修法の種類や、所願の性質によって色々です。葬儀で耳にする機会がおおいであろう表白では、もちろん亡者の成仏が所願として述べられます。

 

 組み立ても色々あるので一概には言えませんが、

① 本尊をはじめとする諸尊への帰命

② 本尊の様々な徳を讃える、または修法のすごさを讃える

③ 行者の所願を伝える

というパターンが多いです。

 

 ですから、お経は難しくてよく分からないという方も、表白の部分を気を付けて聞いていただけると、その法要が、どの仏さんに向けられたもので、その仏さんがどんな力をもっていて、どういう意味で、どのような願いが向けられているのか等が理解できます。 

 それが理解できると、退屈な法要も、一緒に願いを向けることのできる充実した時間になるかもしれません。

 

 今回の施餓鬼の表白ならこんな感じでした。一部抜粋ですが参考までに。

 

 敬って白す。大施餓鬼供養法会功徳廻向の事。

 伏して惟るに三世諸仏出世の本懐は一切衆生成仏の指南、如来所設の八万四千の法門は生死の苦海を渡す筏也と。

 嗚呼頼もしい哉、茲に甚深微妙の法有り。所謂施餓鬼供養の秘法是れ也。

 抑々施餓鬼供養と者、亡霊得脱の法会にして、其の施主にありては寿命長遠、福徳増長するの功徳無料広大也。

 往昔如来在世の砌、阿難、目連の両尊者・・・・(中略)

   今茲に護持信徒一同各家先祖代々幷に志す所の諸精霊の追福菩提を祈る為、恭しく有縁の浄侶を屈請し、彼の遺風を扇ぎ、先哲の旧流を汲んで施餓鬼供養の梵席を開筵し・・・(中略)

一、三世覚満十方賢聖浄仏国土成就衆生の奉為に

一、弘法大師を始め奉って三国伝燈諸大阿闍梨耶普賢行願皆令満足の奉為に

一、本日廻向精霊各々追福菩提の為に

一、本日施主各々家門繁栄子孫長久息災延命六親眷属如意円満の為に

一、三界六道有縁無縁一切霊等乃至法界平等利益の為に

右唱え挙ぐる所、如件。

 

 施餓鬼の由来は二つあって、ともにお釈迦さまの十大弟子であった阿難さんと目連さんの話がつたわっています。阿難さんは施餓鬼をすることで、早死にするピンチを免れ、目連さんの方は、餓鬼道で苦しむお母さんを救うことができたとされます。

 

 表白をご覧いただくと、亡者への追善供養と、生きている者の幸せの「両にらみ」の法要であることが分かっていただけると思います。

 それだけ功徳が大きいというのは、やはり施餓鬼が、全ての亡者に向けて供養するという「究極の布施」だからなのかもしれません。