受験シーズン真っ只中ですね。
先ほども、ある方からお孫さんが無事に第一志望の中学に合格したとの報告をいただき、ほっとしているところです。
中学受験の算数を教えていた経験があるため、合格祈願は特別な思い入れをして修法しています。
そんなわけで、今日はこんな話です。
高野山で役僧をしていたとき、その塔頭の親奥様(住職のお母様)が、突然こんなことを仰いました。
「私は別に学歴が好きなわけじゃないのよ。」
親奥様は、昨年101歳で亡くなられましたが、はるか昔、しかも和歌山の田舎(失礼)から、東京の女子大に行かれた才女でした。瀬戸内寂聴さんとは少し先輩ですが、ルームメイトだったそうです。
特に語学が堪能な方で、今では珍しくもないのでしょうが、「敵性言語」である英語を操ることでできる方は、戦後に重宝されたそうです。
荒廃していた塔頭に嫁いだのちは、そのスキルを存分に活かされて、外国人の方に人気の寺として見事に復興を遂げられたとのことです。
また、教育熱心だったそうで、息子さんである現在のご住職は京大、お孫さんたちは東大×2、早大出身です。
また、寺で働く役僧の方も、「無駄に」高学歴の方が多かったように思います。
ただ、役僧に関しては、「学歴負け」しているポンコツも多かったです。学歴が仕事上の能力に合致しないことなど、社会人なら常識ですけど。
そんな感じでしたから、親奥様の突然の「カミングアウト」には、「またまた~」という気持ちで聞いていました。
しかし、続けてこう仰いました。
「でもね、学歴がある人は、それだけ努力する人だという証明にはなるのよ。特に国公立の人は、苦手な科目でも頑張る必要があるから、辛抱強い、忍耐強い人ってことだと思うのよ。」
自分も今では住職をさせていただいていますが、加行を終わってからもしばらくは師僧の手伝いをする立場でした。
その間に、色々な方からお寺の紹介をいただく機会がありました。
しかし、その流れの中で紹介者の方から「あなたは親が亡くなっていて、後ろ盾がないからね。」と言われ、驚いたことがありました。いまどき、そんなことを言う人がいるんだと。
身長のことを言われたこともありました。たしかに、特定の人にとっては「人権のない」身長ですけど。
また、住職になってからも、他の寺の方と一緒になることがあって、「『ラゴちゃん』ですか。」と聞かれ、違う旨を伝えると、急にそっけない態度になったこともあります。
うちの宗旨では、あまり使わない表現なのですが、『ラゴちゃん』とはお釈迦さまの息子さんである『ラゴラ』さんのことで、寺の息子であることの隠語です。
何も僧侶の世界にかぎったことではないのでしょうが、自分の努力ではいかんともしがたい部分で不当な評価を受けることは少なくないと思います。
そんな中で、ガチガチの保守的な組織であってもおかしくない本山の塔頭の親奥様から、個人の努力や忍耐強さという部分を評価してくださっていることを伺うことができ、嬉しかったのを覚えています。
勉強に限らず、スポーツなどでも同じなのでしょう。
何かに一生懸命打ち込んだ人ならば、別のことに対しても一生懸命に打ち込むことができるという証明になるのでしょう。実際、寺には、プロ野球に誘われるレベルだった子や、ハンドボールで県代表だった方なんかもいたようです。
あるとき、上綱様(住職)から、自分ともう一人が指名されて連れ出されたことがあります。何の仕事かと思い、ついていくと、杉苔の生い茂った庭の手入れでした。
苔を痛めてはいけませんので、手作業で枯葉をはらい、苔の間から生えている小さな雑草を、目を凝らして見つけては抜いていくという、地味な作業でした。でも、嫌いじゃないんですよね。
時間も忘れて、没頭していると、上綱様がぼそっと、「こういうことを黙ってやり続けることができるのは君たちだから(指名した)。」と仰いました。
上綱様も、自分の忍耐強く一つのことをやり続けることができるという内面を評価してくださっているのだと思い、ありがたかったです。
上綱様と自分ともう一人とで、素敵な「同窓会」になりました。
年齢とともに頭の回転も鈍ってきました。「全盛期」を思い出すと、歯がゆいこともあります。しかし、どのような努力をすれば結果がでるか見当がつくといった経験は不滅の財産ですし、辛抱強さなんかも劣化しないと思います。
爆発的にこの寺を変えるなんて言うのは無理ですが、少しずつコツコツと素敵な場所にしていければと思います。