高野山の魅力

 今日は、自分の高野山でのとりとめのない話をさせていただきます。

 

 高野山には117の寺院があります。

 しかし、行かれたことのある方は、そんなに寺があったかなと思うかもしれません。

 実は、一つのお寺の中に、二つ三つのお寺が併存しているからだったりします。

 

 自分のいた寺にも、一般的に通用している寺とは別の寺がありました。

 といっても、お堂が別に存在しているわけではなく、部屋の一つにご本尊さんがお祀りされていました。壇ももうけられていて、自分もそこで行をさせていただきました。

 

 修行の基本が「四度加行」であることは今までも何度も述べてきました。

 通常は約一〇〇日間ぶっ通しで、外界との連絡も絶たれます。親の死に目にも会えない覚悟ですし、昔の話ですが、行が終わって出てきたら戦争が終わっていてびっくりした、なんていうことも。

 

 自分のいた寺は宿坊でもあったので、完全に外界と閉ざされてというわけではありませんが、原則として伝授阿闍梨さんとしか話すことは許されてませんので、ある程度は「世捨て人」でいられました。

 

 あるとき、昼間の行をしていたときのことです。

 バタバタと人の足音が聞こえてきました。隣の部屋に入ってきたようで、話し声が聞こえてきました。

 「ちょっと早く着きすぎたかな?」

 「いやいや、これくらいの方が余裕あるし、いろいろ見て回れるわ」

 「じゃあ、荷物置いて出かけよか」

 

 大阪のおばちゃんのような、こんな会話が続いていました。

 高野山に来たことが本当に楽しい様子で、行中であるにも関わらず聞き入ってしまい、こちらまで楽しい気分になれました。

 

 行が終わり、寺務所の役僧の方に尋ねました。

 「今日はお泊りの方がたくさんいらっしゃるんですか?」

 というのも、行をする部屋の隣までお客様を入れるなんてよほどのことです。

 

 すると、役僧さんは

 「今日は泊りは無いですよ。」

 

 「?」

 気を取り直して、さらに尋ねました。

 「それでは、今日は昼食を召し上がるお客様がいらっしゃったんですか?」

 

 「いえ、そんなお客様はいませんよ。」

 「?・・・・・・」

    「! 」

 

 ようやく、理解しました。

 

 自分の知り合いの方も、行中に同じ部屋で不思議な体験をされたそうです。

 その方の場合は、床の下から、「ドン、ドン」と突き上げられたそうです。それも一度ではなく何日も。

 その方は、こう思ったそうです。

 「仏様が試しているのかな。」

 怖い気持ちをぐっと抑えて、頑張って行を続けていると、あるときからパタッと現象が止まったそうです。そのとき、ようやく認めてもらえたのかな、と思ったそうです。

 その方は、無事に行満されました。 

 

 自分が役僧として奉公しているときに、修行に入った方も不思議な体験をされたようで、

 「邪悪な力が、私の邪魔をしようとしている!」

と訴えてきました。

 そう、言われても何もしてあげることはできません。

 せいぜい「ちゃんと護身法とか、結界を張って」と言ってあげるくらいです。

 そのうち、どんどんと支離滅裂なことを言うようになり、行もせずに自室にこもり、ついには下山することになりました。

 

 この違いは何なのでしょうか(そもそも、どれもこれも、加行という心身ともに追い詰められた状態が生み出した幻想にすぎないのかもしれません)。

 

 結局のところ、信仰心だと思います。

 

 幽霊は信じるのに、仏様の力は信じないんですか。

 しかもお寺の中ですよ。

 日々、行で対面している仏様は何なんですか。ただの銅像なんですか。

 もっと言うと、ここは高野山ですよ。

 まるっと山全体、お大師様や仏様たちがぎゅうぎゅうの場所ですよ。

 

 その力が信じられないならば、真言僧失格とされてしかるべきでしょう。

 

 何も僧侶だけのことではありません。

 

 高野山には沢山のお墓があります。

 戦国時代に命を取り合っていた大名たちのお墓が並んでいます。

 普通だったら気味が悪くても仕方ないですよね。

 

 でも、訪れた方は、墓地とは思えない様子でエンジョイされていますよね。

 むしろ、聖域らしい独特の空気感を肌で感じているのではないでしょうか。

 

 しかも、信じている宗派も宗教も違えば、国籍も文化も違う方たちが。

 

 今年は、お大師様が生誕されてから1250年です。

 高野山でも5月から7月にかけて、記念法会が行われます。

 この寺からも、団体参拝をご案内していますが、日程の関係でご一緒できない方も多いと思います。しかし、せっかくの機会です。

 おばちゃんたちの幽霊さえ、はしゃぎたくなる高野山に是非、足を運んでください。

 

※ 令和5年2月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。