自力?他力?

 高野山では仏さまも神様も仲良くしています。

 たとえば、加行という修業が終わると、奥の院のお大師様に報告に行くのは当然ですが、お大師様に高野山を譲ってくださった神様のいらっしゃる丹生津姫神社や立里荒神さんにもお礼参りをします。

 

 自分が立里荒神さんにお参りした際に、祝詞の中で「この者は、人智に限りがあることをしり、神の力を頼み・・・」といった内容がありました。

 実際に加行中は、仏様神様を問わず力を貸していただき、無事に成満できることを願っていました。

 その祝詞を聞いたとき、そのときのことがフラッシュバックして、ただただ、ありがたく感謝を申し上げました。

 

 日本仏教にも色々宗派があり、浄土系の宗派は「他力」、禅宗さんは「自力」による覚りを重要視しているようです(相対的にですが)。

 

 では、真言宗はどうでしょうか。

 答えは「三力」です。

 自分たちは勤行で「三力偈」というものを唱えています。

    

    以我功徳力 如来加持力

    及以法界力 普供養而住

 

 自分の努力(自力)と仏様の加持力(他力)だけでなく、「法界力」というものが加わります。

 宇宙という意味もありますが、分かりやすく言うと、周囲の色々な人や環境といった数多くの力の三つが揃ってはじめて願いが成就するというのです。

  よく「自己責任」などという言葉が安売りされていますが、自分一人で成し遂げられていることなんて殆どないのではないでしょうか。

 私たちは常に周りの力を借りていきていますし、迷惑をかけて生きています。それは恥ずかしいことではなく、当たり前のことです。それが分かっているからこそ、今度は誰かの「法界力」になろうと決意できるのです。

 むしろ、自分一人で何でもできているというのであれば、本当にすごい方なのか、ただの無知で傲慢な人でしょう。

 

      

 先日、今年最後の薬師護摩を修しました。いつも参加される方に仏様への願いを書いていただいている添護摩木を見ると、願い事ではなく一年間の感謝を書いてくださった方がいらっしゃいました。すごくありがたい気持ちになりました。

 

 年末で忙しいとは思いますが、一年間無事に過ごせたことを感謝してお礼参りに行くくらいの余裕は持ちたいものです。

 

 また、最近は「年賀状じまい」という言葉も聞かれます。お歳暮文化も衰退しているようです。

 しかし、形式的なものは省略するとしても、一年間を振りかえり、「功徳力」と「法界力」に感謝する気持ちは忘れたくないものです。

 

※ 寺報「西山寺通信」令和4年12月号の内容を加筆修正したものです。