度諜(どちょう) ~僧侶の身分証~

 他の宗派の方の話です。

 無事に得度をされて、僧侶としてのスタートを切ったそうです。

 その後、京都にある本山にお参りをして、自分が得度したことがちゃんと登録されているかを確認してもらったところ、登録されていなかったそうです。

 得度した寺にクレームをつけてはじめて、その寺がその方が思っていた本山に属している寺ではなかったことが分かったそうです。

 得度をすると「度牒(どちょう)」というものが渡されます。得度証明書のようなものです。それを見ればもっと早く気づいたように思います。

 

 在家の方の中には、自分の家の宗派をよくご存じてない方もいらっしゃいます。何宗かは知っていても何派なのかまでは気にされていない方も多いことでしょう。

 ウチの寺は高野山真言宗です。本山は文字通り高野山です。関東でしたら奈良の長谷寺さんを本山とする豊山派や、京都の智積院さんを本山とする智山派のお寺が多いですね。真言宗にも大きく分けて古義と新義があり、上の例でいうと高野山真言宗は古義、智山派さんや豊山派さんは新義です。歴史的にはすったもんだあったのですが、今では正月に東寺で行われる後七日御修法という国家安寧などを願う法要なんかでも仲良くやっています。

 ちなみに後七日御修法は十八本山の山主さんの「オールスターキャスト出演」の豪華な法要なのですが、その本山とは次の通りです。

 善通寺 善通寺
 須磨寺 須磨寺
 清荒神 真言三宝宗
 中山寺 中山寺
 大覚寺 大覚寺
 仁和寺 御室派
 智積院 智山派
 泉涌寺 泉涌寺
 東寺 東寺真言宗
 勧修寺 山階派
 随心院 善通寺
 醍醐寺 醍醐派
 宝山寺 真言律宗
 朝護孫子寺 信貴山真言宗
 西大寺 真言律宗
 長谷寺 豊山
 根来寺 新義真言宗
 金剛峯寺 高野山真言宗

 

 話が大きくそれてしまいました。度牒の話に戻ります。

 かつて、僧侶は国家資格のようなものでした。度牒についても奈良時代律令制度にさかのぼるようです。

 平安時代には僧侶の質を維持するために、宗派や寺によって年度ごとに得度できる人数の定員を決めました(「年分度者」)。実際に、定員を増やしてもらおうと、自分の宗派の優位性を説くために勉強して、切磋琢磨した部分もあったようです。

 江戸自体以降は、お上によって発行されるものではなく、各本山が発行するようになりました。明治以降は、各宗派の規定によるとされたようですが、少なくとも高野山真言宗では、得度した寺や師僧の名前ではなく、本山である高野山真言宗の座主さんの名前で度牒が発行されています。

 

 ただ、れっきとした本山に属している寺であっても、本山発行の度牒と自分の寺発行の度牒とを使い分けるダブルスタンダードをもっているところもあるようです。

 ある僧侶の方から聞いた話ですが、巡拝ツアーに参加しているお客さんが、「得度をしたのだが、全然先に進ませてくれない」と相談してきたそうです。色々話を聞いていると、そのお寺はちゃんとした本山に属しているお寺なのですが、どうやらその寺オリジナルの度牒をもらっていたようです。

 そのお寺さんは、色々な方を受け入れて修行や講習の機会を熱心に提供しているお寺の様です。その中で、本気で加行を受けて阿闍梨を目指そうという人と、在家でありながらある程度仏教的な生き方をしようという人とで扱いを変えていただけなのかも知れません。

 ときどき、「在家得度」なんていう単語を聞きますが、普通「得度=出家」であることを考えるとおかしな話です。そこで、今まで通りの生活の中でも仏教的な生き方をしていこうと決心とた人は、「優婆夷」、「優婆塞」(在俗でありながら仏教に帰依する篤信者のこと)にあたるのですが、はげみになるように僧侶に準じて「オリジナル度牒」を出してあげたということなのでしょうか。

 

 僧侶派遣業者も、かつては玉石混交な僧侶がいたことによるトラブルがあったことから、ちゃんとした資格を有する僧侶であることの証明として度牒を提出させるところがほとんどのようです。しかし、度牒にも色々あるということが分かっていないと、あまり功を奏しないような気がします。

 

 在家に生まれながら、仏教修行をしようという方、さらには僧侶を目指す方の多くは、ものすごく熱心な方です。それだけに、その熱意をちゃんと汲み取ってもらえ、生かすことができる環境なのかどうかをしっかり調べていただきたいです。

 親を選ぶことは出来ませんが、第二の親である師僧は選べます。相性の悪い師僧についても不幸なだけです。僧侶の世界は、在家の者にとっては特に分からないことばかりで、本当に暗闇を歩くようなものです。そんな中で、弟子の機根を見ながら、的確に道案内をしてくれるのが師僧です。「記念得度」の人は度牒さえ手に入れば満足なのでしょうが、本気で仏道に進みたい人にとっては、得度してからが本番です。師僧次第ではその先が「無理ゲー」になることだってあります。

 安易に度牒を手に入れようとするよりも、時間をかけてよい師僧を探してほしいものです。