弔問外交? ~ いろいろな葬儀

 最近は、家族葬というのが増えてきました。

 

 以前は、100人越えの弔問客が押し寄せる葬儀が普通でした。

 ときには通夜で、全員の焼香が終わらないため、葬儀社さんから「伸ばしてください」と書かれた紙をそっと渡されて、延々とお経をあげたなんてこともありました。

 

 多くの方に、安らかな旅立ちを応援してもらえる葬儀は、一般的には幸せな最後のシーンであるのでしょうが、デメリットもある場合も。

 

 たとえば、故人様と面識がなくて、喪主さんとの仕事上の関係者が多い場合です。

 ほとんどの方は、喪主さんの気持ちに寄り添って、悲しみを共有したり、励ましたりしてくださるのですが、中には「名刺交換の場」としか考えていないような方もおられます。

 焼香が終わると、会場の外で早速、主目的たる「弔問外交」をするのは我慢できるのですが、場違いな笑い声が響くのはいただけないです。

 

 一方、身内だけの葬儀でも「きつい」ものはあります。

 

 もう10年位前になるでしょうか。都内での一日葬でした。

 亡くなった方は男性で独り身の方ということもあり、喪主はお姉さまでした。

 僧侶の控室が遺族の控室の隣で、襖一枚で仕切られているだけでしたので、話が丸聞こえでした。しかもひそひそ話ではなく、大声でしたので・・・。しかも聞きたくもない内容で・・・。

  

 「あれは、自分勝手に生きてきやがって。暇があったら、ハワイ旅行。そんな奴の葬儀をやる羽目になるなんて、交通事故にでもあったようなもんだわ・・・(以下略)。」

 

 こんな愚痴と悪口は、火葬場への移動中のマイクロバスの中でも延々と続きました。

 

 そんな悪口を言っていても、葬儀をしてくれるだけありがたいのかな、と思って聞いていましたが、どうやらその方が残した都内の一軒家があるようで、終盤は、相続に関する話で盛り上がっていました。

 

 正直、葬儀によってしんどいときがあるのは自分だけか、と不安に思っていたこともありましたが、そうではないようです。

 

 先日、ある大徳さんの伝授をうけたときにこう仰っていました。

 「葬儀の際には、亡者と『入我我入』しなければならない。正直、こんな(悪い)人に引導を渡すのは無理、と思うこともあるが、頑張るしかない。」

 

 葬儀では、目の前の亡者の方と対話をしながら、引導作法を進めていきます。

 場合によっては、フライングして旅立ってしまおうとする亡者の方に対して、「お土産を忘れてはいけませんよ」とばかりに、呼び寄せてから始めたりもします。

 逆に、未練を残して旅立ちたがらない方に対しては、「あなたの大切な人たちを思うなら、むしろ早く立派な仏様になって、仏として見守ってあげてください。」と説得したりもします。

 そして、この世で、汚れてしまった心を洗い、旅立ちにふさわしい身づくろいをしてもらい、仏様の世界に旅立ってもらうわけです。そのための細かい作法が引導作法です。 

 真言宗では、自分たちが阿闍梨になったときに授かった秘印明を「お土産」としてお授けするところが「山場」なのでしょうが、それ以外の部分は同じ真言宗でも、自分たち高野山真言宗と智山派さんや豊山派さんなんかとではかなり違っているようです。それもこれも、先人たちが、いかにして亡者を丁寧に成仏させるかを工夫していった結果なのでしょう。

 

 そして、同じ引導作法をするうえでも、沢山の方が、心から故人に感謝して、悲しいながらも、その旅立ちを一生懸命応援してくださる葬儀はやりやすいです。

 

 それに比べて、先ほど例に挙げた葬儀は「四面楚歌」のような状況でした。

 しかし、「入我我入」はしやすかったです。

 自分も家庭を持っていませんから。いつか弟子は持ちたいと思っていますが。

 いつも以上に、絶対に仏様のところに送り届けるという強い気持ちで、させていただきました。

 当然(?)、四十九日の依頼も初盆の依頼もありませんでしたが、自分が葬儀をした方は日々のおつとめで「日月牌精霊」「施入精霊」という形で供養を続けて「アフターサービス」をしっかりしています。

 

 どんな葬儀であっても、僧侶が最後の砦としてしっかりしてさえいれば、亡者を成仏させることができると信じています。

 

 また、別の機会に触れることもあるかと思いますが、最近では葬儀の形態が簡略化されています。およそ昔の感覚では葬儀とはいえないものもあります。

 そんな中で、僧侶だけは亡者としっかりと「入我我入」して、真に寄り添うこと。それが僧侶としての矜持を持つことなのだと思います。