生かせいのち ~S師を偲びつつ

 松が明けましたので、こんな話をすることを許してください。

 昨年末より、恩人という方を立て続けに見送ることになっています。

 つい先日も、非常にお世話になった兄弟子の通夜に行ってまいりました。

 西山寺での葬儀で、脇僧をお願いしたことも何回かありますので、この中にもお会いされた方がいらっしゃいます。

 

 師は、得度の上では一年先輩でしたが、年齢では20歳以上年上の方でした。

 あまり詳しくは伺わなかったのですが、大手の保険会社で、沢山の部下を従えてバリバリ働く企業戦士だったそうです。

 しかし、そのことを鼻にかけて話されることもなく、子供ほどの年齢の自分なんかに対しても、対等に丁寧な言葉で話してくださいました。

 よく、退職して僧侶になられる方がいらっしゃるのですが、得度とは一度死んで新しい人生を歩むものであるはずなのに、以前の肩書や栄光をひきずって、反り返ったままの方が多い中で、謙虚な方でした。

 

 退職後に僧侶を目指されたこともあり、修行をするうえで体力的な問題がありました。

 まずは、受戒といって、僧侶としての戒律を授かるのですが、この中でいわゆる「五体投地」を300回ほど連続してする場面があります。

 自分一人で休み休みするのなら楽なんでしょうが、受戒は集団で掛け声に合わせてやらなければなりません。

 師は、これに備えてスクワットで鍛えていたそうです。ただ、やりすぎて本番ではむしろ万全ではなかったそうですが、見事にやり遂げられていました。

 

 阿闍梨となるためには加行というものをしなくてはなりません。

 年齢制限があり、専修学院や真別所といった集団加行の道場にははいることができませんので、院内加行という個人加行を受けられました。

 個人加行といっても、決して楽なわけではありません。一日に三座の行法をするだけではなく、塔頭寺院ですので朝の勤行や夕の勤行もありますし、掃除などの下座行もあります。宿泊されたことがある方もいらっしゃるので、「ああ、あれのことか」と思われたかもしれません。しかし、あの朝の勤行は「宿泊者用パート」だけですので4~50分くらいです。実際には、その後、寺内の色々なところで勤行をしてまわるので90分くらいになります。

 また、伽藍参拝と奥之院参拝もしなくてはなりません。伽藍は一時間かからずに帰ってこれるのですが、奥之院は大変です。修行道場である塔頭は奥之院から一番離れたところにありますから3km 以上の距離です。しかも、こんな動きにくい法衣を着て、足元は下駄です。とはいえ、普通に歩いてられません。タイムスケジュール的に余裕がないので、実際は駆け足とはいわないまでも早歩きです。

 師も汗だくになって帰ってきては「なかなか2時間切れないな。」とか「ようやく2時間切れるようになったよ。」と笑顔で報告してくださったのも懐かしいです。

 それでも、体力と時間の戦いはタイトで、あるとき夕食後に、行をしている師の姿を見かけました。そんな時間には行をするスケジュールではないのに。

 聞くと、どうしても夕食(というか夕方の勤行)まえに、行が終わらなかったので、中断して続きをやっているとのことでした(もちろん大阿さんの許可を受けて)。

 中には、唱える真言の数を「千回っていうのは沢山って意味だから、100回でも21回でもいいんだよ。」とうそぶいてごまかしていた行者もいました。

 そんな人たちとは異なり、決してごまかさない、真摯な方でした。

 

 その後は、関東で師僧の寺の役僧として、葬儀や回忌法要などの法務に活躍されていました。

 葬儀の際には、密教の法流を受け継いだ証として「血脈」というものを渡します(観想だけで渡さない方もいます)。

 自分は、葬儀式の中で血脈を授与して、手が届くようならば棺の上、そうでなければ机の上に置いて、あとで出棺の花入れの際に、自分で入れるか、喪主さんに入れてもらうようにしています。

 しかし、師は退堂のさいに、直接喪主さんに、血脈の意味を説明したうえで手渡しされていました。

 司会の方が「それでは、ご導師退場です。みなさま、合掌にてお見送りください。」のアナウンスに合わせて、堂々と退堂するのが格好いいのかも知れませんが、師は、葬儀の意味を解ってもらう方を優先されていました。

 司会の方は焦ってたでしょうけど。

 

 また、師が俗名での葬儀の際にも血脈を渡していることを知り、非難している僧侶の方がいらっしゃいました。

 なるほど、正しいかどうかという点ではその方のいう通りでしょう。

 しかし、おそらく師は「訳あって俗名での葬儀をしているだけかもしれない。それならば、俗名か戒名つきかを区別なく、自分にできる全ての手段を駆使して送りたい」との気持ちだったのでしょう。

 

 また、葬儀では「阿弥陀如来根本陀羅尼」を唱えます。

 漢字の読み方には漢音読みと呉音読みとがあります。多分、一般的には呉音読みが大半です。

 呉音読みでは「あみだにょらいこんぽんだらに」です。これなら、意味も分かり、頭の中で漢字変換もできますね。でも、真言宗ではこれを漢音読みしています。「あびだじょらいこんぽんたらんじ」と。

 師が、西山寺の葬儀で脇僧に入ってくださったとき

「あみだにょらい・・・と唱えて良い?やっぱり、遺族の方にも、阿弥陀さんに救われるというイメージが浮かぶ方が安心して良いと思うんだよね。」と仰いました。

もちろん、そのようにお願いいたしました。

 遺族の心に寄り添うことを大切にされている方でした。

 

 また、ときどき本山が出している「オフィシャル」のCDに合わせて理趣経などを唱えているとも仰ってました。

 「一人でばかり唱えていると、我流の変なお経になってしまうから、こうやって、ときどき修正しないと駄目なんだよ。」と。

 

 人から頼まれて、坂東三十三か所霊場ツアーの先達をお願いしたこともありました。

 朝早くから夜までの拘束時間が長いうえ、お参りする寺には石段が待っています。それに比してびっくりするような安い日給の重労働で、お願いするのが申し訳なかったです。

 しかし、引き受けてくださったうえ、「色々なお客さんとお話もできたし、色々と勉強になったよ。」と仰ってくださったのに救われました。

 常に、現状に満足せずに、工夫と努力をされる方でした。

 

 ときには、なにも言っていないのに

 「自分も、以前は解脱、解脱とばかり考えていたけど、そうじゃないんだよね。」

と、自分のそのときの悩みを見透かして、誘導してくださったこともありました。

 

 人が本当に死ぬのは忘れ去られたとき。

 その人の思いを継ぐ人がいる限り、その人は生き続ける。

 

 わが高野山真言宗のキャッチフレーズは「生かせ いのち」です。

 自分を支えてくれた方、作り上げてくれた方を「生かす」ために、しっかりと「生きる」一年になればと思います。

 

※ 令和4年1月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 書いているうちにも、師との思い出が湧き出てきて、大量に加筆してまとまりのないものになってしまいました・・・・・。