炉前読経とか 火葬式とか

 炉前読経というものをご存じでしょうか。

 文字通り、火葬場の炉の前で、僧侶が簡単なお経をあげてお送りするものです。

 業者さんの中には「火葬式」という表現を使っているところもありますが、「火+葬式」ではなく、「火葬+式」と思ったほうがよいでしょう。

 以前は、業者さんのホームページの紹介では「10分から15分くらいのお経」と書いてあるところもありましたが、今は「5分から10分くらい」としているところが多いように思います。

 

 先日、あるご住職が行った炉前読経でクレームが出たと伺いました。

 その方は、お経も上手ですし、人当たりも良い方で、人気こそあれクレームとは無縁な方でしたので不思議に思いました。

 内容としては、「お経が短すぎる。般若心経くらいしかあげていなかった」とのことだったそうです。

 正直、短い時間で、何のお経をあげるかということには頭を悩まされます。

 以前にも書きましたが、真言宗は何かにつけて理趣経をあげます。

 回忌法要などでは、理趣経をフルであげることはせずに、「中抜き」をして唱えることが多々あります。全部で十七段からなる理趣経ですが、初段までで「中抜き」して最後の部分(百字偈以下)を唱える最略の唱え方であっても10分には収まりません。

 短い時間の中で、一番「効果的」なお経は何なのか、それぞれの僧侶が工夫して行っているのが現状ではないでしょうか。その中で、般若心経は模範解答の一つだと思います(自分は違いますけどね)。

 

 中には、炉前読経をウェルカムとしているお坊さんもいるようです。拘束時間が短い割には実入りが良い、ということでしょうか。

 しかし、多くのお坊さんは炉前を得意としていないように思います。

 葬儀社の方が依頼をしてくるときに「住職、炉前ですけど良いですか?」「炉前で申し訳ないのですが・・」という言い方をすることもありますので、炉前を断っている方が多いのかも知れません。

 

 では、何が難しいのかというと。

1. 時間的制約

 少しでも、「本当の」引導作法に近づけようとして努力はしていますが、できることが限られています。

 

2. 場所的制約

 洒水をして、剃刀を当てて・・・といった作法をすることはできません。まず、法具を用いることはできません。

 

3. 不定型であること

 これが、一番厄介かもしれません。

 「不定型」とはどういう意味かというと、火葬場によって、あるいは同じ火葬場でも混雑具合などによって状況が変わるということです。

 

 たとえば、火葬場によっては、炉前に行く前の段階で「お別れルーム」みたいなところを経由するところがあります。

 ここならば、比較的落ち着いて、読経をして、皆さんにも焼香をしてもらい、お別れをしてもらうことができます。もちろん、そのあとで炉に収める時間は決まっていますから延々とお経をあげることはできませんが、比較的落ち着いた感じで行うことができます。

 

 しかし、多くの場合は、前室がなく、そのまま炉前に行きます。

 その場合でも、炉ごとに、或いは少数の炉ごとに部屋が区切られているパターンですと、他の方たちとバッティングすることもないので、比較的落ち着いた雰囲気でお別れをしていただけます。この場合、炉に収めた後で読経ということが多いですので、むしろ、先のパターンよりも時間に余裕があったりします(それでもこのあとに遺族を控室に案内する係の方がスタンバイしていますので、そのプレッシャーに負けないことが必要ですけど)。

 

 一番大変なのは、直接炉前に向かい、その炉が複数、横並びで、仕切りもないというパターンです。田舎ならそれでもよいのですが、都会だと大変です。

 火葬場の方もうまく、隣にならないようなローテーションをしているのかも知れませんが、混雑しているときは結局、隣同志で、お経が入り乱れることがあります。

 葬式を終えて、最後にもう一度炉前でお別れ、というならば、これでも仕方ないのでしょうが、炉前のみの場合、この状況の中で、気持ちの整理をしてお別れをしてもらうのは酷かなぁと思うことがあります。

 

 先にクレームが出たというのも、このパターンだったのでしょう。すぐ後ろに、次の方たちが来ていたので、あまり待たせるわけにはいかないと優しい配慮をしてしまったのかもしれません(炉自体は時間で予約を入れているので、バッティングすることはないのですが、入り口や通路などは早い者勝ちになってしまい、その場で待たされるということがあります)。

 

 他にも、地域や火葬場で変則ルールがあったりします。

 たとえば、うちの寺の近くのとある市の火葬場では、炉前で焼香の用意がありません。棺の上に喪主さんが直接火をつけた線香を置いてから炉に収めます。そのあとで炉前読経となるわけです。

 あるとき、その市の業者さんから炉前読経の依頼を受けたのですが、特別にその業者の式場で出棺経をあげてくださいと依頼されました。炉前では焼香ができないことを分かったうえで、少しでも落ち着いてお別れをできる機会を作りたいという地元業者さんの心遣いだったのだと思います。

 

 現在のコロナ禍もあり、仕方なく炉前を選ぶ方もいらっしゃると思います。また、参列者が高齢で、長丁場の式には耐えられないという理由で炉前にされた方も知っています(その方とはその後も長いお付き合いをしており、先年は七回忌をいたしました)。

 

 自分たちも限られた状況の中でベストを模索しています。

 自分が「炉前デビュー」当時に師僧から言われたのは「十分なことができなくて、もやもやするのだったら、自坊に戻ってから普通の葬儀のようにしっかり拝めばいい」ということでした。自分も、なるべく事前に、用意した戒名紙を前にして修法してから臨むようにしています。

 

 ただ、これだけでは遺族の気持ちに対してはケアできないこともあります。

 

 先日、火葬だけをしたという方が、49日を寺で行いたいと仰ってきました。また、それに合わせて、後付けですが、戒名もつけてほしいということでしたので、お引き受けいたしました。

 結果、丁寧に戒を授けた上で、戒名を授与して、しっかりとお経をあげて、この後続く、故人様の旅の応援をすることができましたし、ご遺族も安心されたように思います。

 

 炉前読経で、十分に心の整理が出来なかったと感じている遺族の方こそ、そのあとの法事が必要な気がいたします。