あるご住職とお話をしていたときのことです。
そこは新興のお寺さんなのですが、葬儀会社や僧侶派遣業者や霊園など幅広いコネクションをもち、それに対応できるだけの多くの僧侶を抱えているのが強みです。
ただ、それだけの業者とコネがあるのには当然理由があり、紹介マージンやキックバックが大きいわけです。自分も以前、そこの法務を手伝っていたこともありますので知っているのですが、中には葬儀のお布施のうち6割以上を「キャッシュバック」しないとダメな業者もありました。
このときも、法務のお布施の話をしていたときでしたが、横に居られたご住職の奥様が「お布施が安いとか言ったらだめよね。時給でいったらものすごく高いんだから。」とおっしゃいました。とりあえず、適当に相槌をうって、愛想笑いをしていましたが、何だか釈然としない思いでした。
後々、そういえば・・・と思いだしたことがありました。
昔、塾講師をしていたときのことです。当時は、バブルがはじけた後でしたが、教育産業の景気は良く、先日亡くなった「金ピカ先生」が予備校講師としては異例の契約金付きで移籍したなんていう時期でもありました。
自分は、中学受験の算数担当でしたが、時給にすると5000円くらいでした。
すると、先輩の講師の方が言いました
「この時給を高いと思う?」
自分は
「高いと思います。」
と答えたところ、
「そう思っていては駄目だね。塾講師は最低でも授業の時間と同じ時間をかけて授業の準備をする。そして、授業の後は、やはり同じ時間をかけて問題点を洗い出したりする。他にも入試問題の分析など、授業以外にやることは沢山ある。だから実際の時給は÷3や÷4にもなる。だから、塾講師の時給は安いんだよ。」
と言われました。
なるほど、「僧侶の時給」も同じなのかなと思いました。
残念なことに、お布施の封筒に「お経代」と書いてくる方もいらっしゃいますが、自分たちが受け取るのは、その時間にその場所でお経をあげたことの一点に対する対価ではないはずです。
以前に、あるお寺さんの檀家さんと話をしたときに、こんなことを言っておられました。
「うちの住職は、歳を取って声も出ないし、法話にしても、前に話したことを忘れて、同じ話をしたりする。でも、それでもありがたいんだ。」
檀家さんだからこそ、そのご住職の人となりをよく知っておられるのでしょう。だからこそ、このような気持ちになるのでしょう。「お経」や「法話」を商品として見ていないわけです。
天台宗さんでは、荒行として知られる千日回峰行というものがあります。まさに命懸けの行で、だからこそ土足での参内が許されるなど特別な尊敬を集めるわけです。
仮に、そんなすごい方が葬儀をしてくれたとして、少々お経を間違えたとしても、そこにクレームをつける人はいないでしょうし、少々高いお布施でも喜んでお渡しするのではないでしょうか。それは、そのお坊さん自身とそのバックグラウンドを含めた全てに対する感謝が込められているからだと思います。
僧侶といっても、いろいろな方がいらっしゃることは以前にも書きました。どの段階まで修行が進んでいるかという違いもありますが、普段どのように生活されているかという違いもあります。
中には、寺に出入りもせず、夫も子供もいらして、普段は妻や母として過ごしているのに、僧侶としての「業務」のときだけは「ありがたい尼僧さん」になる方も知っています。ちなみに普段はカツラをつけているそうです。
また、ウイークデイはリーマンをしていて、法務の繁忙期である土日だけ、僧侶の「業務」にいそしんでいる方も知っています。
お経も法話も作法も、「フルタイム僧侶」より素晴らしいのかも知れません。
でも、自分ならたとえお経が下手でも、日々ご本尊様に灯明をあげ、香を焚き、手を合わせて、行法をしている坊さんに拝んでほしいです。
以前にも書きましたが、僧侶は「職業」ではなく「状態」であり「生き様」です。葬儀や回忌法要は「業務」ではなく「法務」です。法務に対する布施は、その僧侶の生き様とその僧侶が身を捧げてお仕えしている仏様へのものだと思います。
高いお布施と思われないような生き様を心がけたいものです。