教祖様おことわり

 昔、学習塾で働いていた頃の事です。

 今はどうか分かりませんが、当時は出席簿に生徒の情報として知能指数(IQ)が記されていました(自分自身も、その塾のOBでしたので、小学3年生のときには自分の知能指数を知る羽目になりました)。

 たしかに、上位のクラスの方がIQの高い生徒が多かったです。地域によってもばらつきがあり、京大の御膝元に存在している校の上位クラスともなると学者さんのご子弟が多いせいか、150台がゴロゴロしていて、自分なんかがこのクラスを教えてもいいんだろうかと思ったりもしました。

 ただ、IQが成績に直結しないということも確信できました。

 

 実際、IQが唯一無二の成功条件でないことは自明の理で、他にも重要なパラメーターがあることが指摘されてきました。

 たとえば、EQです。「心の知能指数」などと言われることもあります。空気が読めない、相手の気持ちを慮ることができないというのでは、いくらIQが高くても、それを十分に生かすことができないかもしれません。

 

 他にもAQ(達成指数)とかDQ(良識指数)とか、さらには子供のころに豊かな社会体験をすることで後天的に育まれるPQなんていうのもあるようです。

 

 話を戻しますが、自分が塾で教えているときに、IQ以外に最も大切であると思っていたのは「素直であること」でした。希学園の前田卓郎先生も同じことを仰っていたように思います。

 実績のある大手塾の強みはノウハウです。これだけのことをやれば合格できるというデータがあるわけです。それなら全員合格できる理屈になるじゃないか、というかもしれませんが、実際にはそのノルマをこなすことができない人が大多数なのです。能力的に難しい場合もあるのですが、そのノウハウに全幅の信頼を置くことができないために無駄なことをしてしまっているケースもあります。

 中長期的な結果を見ずに目先の結果に右往左往して、やるべきこともやらずして家庭教師(しかもプロではない)をつけたり・・・。

 親が不安を顔に出したり、口に出したり、ましてや「あの先生(塾)で大丈夫かしら」なんて言ってしまったら、生徒は自信をもって勉強できるはずもなく「詰み」は見えています。

 

 今回は何の話なんだ?と思われたかも知れません。いよいよ本筋に入ります。

 

 宗教も同じではないでしょうか。

 仏教には2500年の歴史があります。すごい実績です。そして、とんでもない天才たちが少しずつアップデートしてくださったほぼ完成品の宗教です。

 日本の仏教に限って見てもそうです。

 弘法大師最澄さんの平安仏教、そして鎌倉新仏教のお祖師様たちはどの方もとんでもない方たちです。自分たちが覚りを得るのもすごいですが、凡夫であるパンピーをいかに覚りに導くかというメソッドを苦心して確立してくれたのが各宗派の教義です。

 

 真言宗について申し上げると、ひとつ間違えると迷路に入り込みそうな難解な宗派なのですが、そのために、弘法大師は攻略本ともいうべき沢山の著作を残してくださっています。もっともそれすら難解ですので、色々な先達の方々の力を借りて理解する必要があるのですが。

 我々が行う行法についても、数々の大徳によって次第として確立しており、それを忠実に修すればよいだけです。

 

 よく密教は、在家の人が一緒に唱えたりできないお経や声明をあげて、不親切だと不満を言う方もおられますが、理趣経のような難しいお経をあげなくても、在家用の勤行次第にある般若心経でも十分なことは、先にもあげたお大師様の攻略本のひとつ『般若心経秘鍵』でも分かります。

 少し、本格的な「行」のようなことをしたいのであれば、「阿字観」「阿息観」「月輪観」などの瞑想を行うこともできます。決して閉鎖的な宗派ではありません。

 

 以前に社会人向けに真言宗の講師をしていたことは書いたと思います。

 そのときには、けっこうな割合で「教祖様」がいました。

 その「教祖様」というのは、真言宗の教えや作法をちゃんとトレースするのではなく、都合の良いところだけをつまんで、場合によっては他の宗派や民間信仰のような類とくっつけてオリジナルのものを作ってしまうのです。

 

 自分は、新興宗教を否定するわけではありません。真言宗だって鎌倉新仏教だって、いやそもそも仏教だって、当時は新興宗教だったわけですから。

 また先ほども、仏教はその都度アップデートして「ほぼ完成」していると申し上げました。時世に応じて、まだまだ変化、改良すべき余地も残されていると思います。でも、それができる人というのは、ごくごく特別な人だと思います。

 それなのに、わざわざ、先師さんたちが拓いてくださった道を歩かずに、獣道を分け入りショートカットできるという「教祖様」の自信はどこからくるのでしょう。

 

 繰り返しますが、それぞれのお祖師様たちは、「これこれのことをすれば覚ることができます」というノウハウを提示してくださっています。

 ただし、それこそが難しいです。 合格のためのノウハウと同じです。

 しかし、そこでバタバタして、あっちの宗教の方が楽そうだとか、家庭教師をつけるかのように、宗派を複数組み合わせた方が効果的では?なんていうのは逆効果でしょう。

 結果的に、自分に合わない、ということで、宗派を変えることになるのは仕方ないかもしれません。それでもまず、家の宗派であったり、縁のあった宗派に全幅の信頼をおいて信仰してからではいかがでしょうか。