ある高名な行者さんの本の中にこんな話が載っていました。
ある方にこのようなことをいわれたそうです。
「前世では、お釈迦様の元で一緒でしたね。お久しぶりです。」
さすがに、困ってこう答えられたそうです。
「申し訳ありませんが、そんなに昔のことは覚えていません。」
今年に入って、まだ三か月たっていませんが、自分も既に、前世の記憶を持っているとか、前世は○○だった、という話をされる方と複数巡り合いました。
自分自身は、前世の記憶はありませんし、前世が何だったかにも興味はありません。
といっても、前世の存在を否定しているわけではありません。
うちの宗旨では霊魂の存在を否定していませんし、転生も肯定しているので、矛盾するものではありません。
また、お釈迦様自体の前世についても『ジャータカ』などで記されています。法隆寺の玉虫厨子に描かれている「捨身飼虎」の話なんかが有名ですね。
ただ、普通の人は前世の記憶なんてものは持っていません。
自分は「恥の多い人生」を送ってきましたので、夢の中、時としては、起きていても突然嫌な思い出がフラッシュバックしていたたまれない気持ちになります。
現世でもそんなですから、前世の記憶まで残っていたら大変だろうと思ってしまいます。良い記憶だけを選り好みできるのなら別ですが。
パソコンがリフレッシュされて中古販売されるような際に、ハードディスクを消去するのですが、消去したつもりでも残っていたり、復元ソフトで復旧出来たりできるように、前世の記憶が残っている人がいてもおかしくないのかも知れません。
先にも述べましたが、私たちの宗派では霊魂の存在を肯定しています。
財産も地位も名誉も連れていくことは出来ません。そして、通常は記憶も思い出も。
しかし、唯一持っていける、というか永遠に付きまとうものがあります。
それは「業(カルマ)」です。
「業」というと、「業が深い」などの用法でマイナスのイメージが強いかもしれません。しかし、業そのものには善悪の意味は含まれず、善意と善行は良い業を生みますし、悪意と悪行き悪い業を生み出すわけです。
人間り作った法律では、悪いことをしたならば、罪を償えばチャラとなりますが、仏教的世界では、一度作った悪業は打ち消すことは出来ません。
たとえるならば、コップに無色の毒をスポイトで一滴たらすようなものです。たとえ、目に見えなくても毒は存在しています。
そこにきれいな水を足して、バケツ一杯にしても毒は残っています。
たとえ風呂桶を一杯にしても、毒が無くなっていることにはなりません。
ただ、致死量の毒ではなくなるのかもしれません。
そういう意味では、一つの悪業を作ると、その毒を打ち消すことは出来ませんし、その毒によって死なないようにするためには、何倍もの良い業を作らないというわけです。
ところで、業について語るときに、気を付けたいことがあります。
それは、業を強調すると、「親の因果が子に報う」だったり、現世での過酷な環境が、前世での業によるものである、といった短絡的な考えに至り、いわれもない差別につながる危険性があることです。
以前、どこぞの元知事が、ある難病のことを、前世の業に起因する「業病」などと表現したのには愕然としました。この令和の時代に・・・。
自分たち僧侶は、葬儀の際、故人様が成仏するように全力で作法をしています。
資格もない僧侶が葬儀に関わることは詐欺ですが、成仏を信じていない僧侶による葬儀もまた立派な詐欺だと思います。
ただ、成仏した私たちは、それで終わりではありません。
衆生を直接的に救うために、この娑婆の世界に舞い戻ってくることもあります。
これは、真言宗独特の考えではありません。浄土系の宗派でも「還相(げんそう)回向」などと言っているのがそうでしょう。
居心地の良い仏様の世界から、この世に舞い戻るのには、ものすごい決意が必要でしょう。
その際には、衆生を救うという大きな目標の為、わざわざ苦労の多い人生を選んでいることもあるのではないでしょうか。
ゲームで言ったら、イージーモードではなく、ハードモード。さらにはデスモードを選んでやってきているのかも知れません。
最近の英語では、障害者の方を、神から試練を与えられた存在として「チャレンジド」と呼ぶこともあるようですが、仏教でも、私たちはより難しいことに「チャレンジ」するためにこの娑婆の世界に舞い戻って来ているのかもしれません。
もちろん、そのときの記憶は消されていますが。
むしろ、記憶が残っていて、ふと「俺は、前は仏だったんだけど・・・」とか口にしたら、支障があるでしょうしね。
ただ、私たちは、この世に大きな決意をもってやってきたことだけは、自覚していないといけないと思います。
そして、少しでも良い業を積むこと、悪い業を積まないようにすること。
唯一、持って帰ることのできる「お土産」を実りあるものにすることを第一にして生きていきたいものです。