真言宗の特徴といえば、名前が示す通り真言を唱えることです。実は、密教を含む天台宗はもちろんですが、禅宗でも真言や陀羅尼を唱えていますので、真言を「重要視している」といった方が正しいかもしれません。
さらには、手でいろいろな印を結ぶことも真言宗の特徴といえるでしょう。
私たちと仏様とは「構成要素(六大)」は同じなのですが、仏様は行動、言葉、気持ち(身口意)が清浄なものなのに、衆生は同じものをそなえているのに、それらをうまく使いこなせないために罪過の原因たる「三業(さんごう)」となってしまうわけです。
そこで、印を結び、真言を唱え、心を整えることで仏様と同じ境地に至る訓練をするわけです(三密行)。
あの一休さんが高野山を訪ねたときの話(多分フィクション)です。ある阿闍梨さんに向かい
「真言宗では印というものを大事にしているようだが、子どもの手遊びと同じじゃないか。功徳などないでしょう。」と小馬鹿にして、立ち去ろうとしました。
すると、阿闍梨が、手をポンと打ちました。
一休さんは思わず振り返ります。
次に阿闍梨は手招きをします。
何事か?と一休さんは戻ってきました。それに対して
「あなたは、私が手をうっただけで振り返り、手招きすれば戻ってきましたよね。私の手の動きひとつでもこのようなはたらきがあるのです。まして仏様の伝えてくださった印にどうして功徳がないでしょうか」と。
さすがの一休さんも失礼をわびたそうです。
なかには、在家の方でも、どこで調べたのか、色々と印を結んでいる方もいらっしゃいます。ちなみに真言宗では、印は自分で調べて勝手に結ぶようなものではなく、「授かる」ものです。
もともとはインドの舞踊のときの指の動きが起源ともいいますから、一般の方が興味本位で結ぶ分には目くじらを立てる必要はないのかもしれません。
しかし、僧侶が、しかるべき手続きを踏んで教わらずに結んだり、資格のない方に伝えたりすると「越法(おっぽう)」という重罪になります。
ただ、そんなことをいうと、やはり密教は坊さん向けの「秘密の」宗教で、排他的で嫌だ、と思われるかもしれません。
しかし、みなさんは一番大切な印をすでに知っています。
合掌です。
合掌にも色々な種類がありますが、普段みなさんがされている「普通」の虚心(こしん)合掌も立派な印です。
ただ、手を合わせるだけではもったいないです。
最初に述べたように「三密行」にレベルアップしてしまいましょう。合掌すると同時に気持ちと言葉も整えるわけです。
右ほとけ 左衆生と
合わす手の 内ぞゆかしき
南無の一声
仏教では右手が仏、左手が私たち衆生を意味します。合掌は、仏と私たちが一体となる様子を表しています。
仏様が私たちに寄り添っていること、私たちの中にも仏がいらっしゃることを心に浮かべて、ただ「ありがとうございます。」と唱えるだけで立派な三密行です。
その姿は、すでに仏の姿そのものです。そんな時間を大切にしたいものです。
※ 令和三年11月号の「西山寺通信」の内容に加筆修正したものです。