施餓鬼

 拙寺の周辺は七月盆です。

 そして、お盆の行事として「施餓鬼」法要があります。拙寺でも今年は7月5日(日)に施餓鬼法要を執り行います。

 しかし、お盆と施餓鬼は必ずしも一体のものではないのです。

 たとえば、真言宗の僧侶は日々の作法として施餓鬼を行います。自分も、夕勤の最後に施餓鬼をしています。餓鬼さんだけでなく、雀たちもそれを待っています。

※ 実際には、施餓鬼をする場所などに色々と制約がある為、皆さんがされているわけではありませんが、修行中は毎日やるものです。

 

 施餓鬼の由来として、有名な話が二つあります。

 まず、一つ目です。『盂蘭盆経』に載っているものです。

 夏安居(インドでは夏の雨季には遊行をせず一か所に留まり修行をしました)の最中、神通第一の目連尊者が、餓鬼道に堕ちている自分の母親を見つけます。飢えて苦しんでいたので、水や食べ物を得意の神通力で届けるものの、ことごとく口に入る直前に炎となってしまいます。

 ※ その苦しみの様子が「逆さづり(サンスクリットでウラヴァンナ)」の如し、ということから「盂蘭盆」の呼び名になったと言われています。
 

 釈尊に話して、何か方法はないかと尋ねたところ、「安居の最後の日に集まっている全ての僧侶に食べ物を施せば、母親にもその施しの一部が口に入るだろう」と答えてくださいました。その通りに実行して、僧侶のすべてに布施を行ったところ、母親にもその一部が届けられる姿を見通すことができました。

 ※ その喜びから、踊ったのが「盆踊り」の始まりとも。

 

 このことから、夏のお盆の時期に先祖供養として、施餓鬼をするようになったというものです。

 

 もう一つのお話です。こちらは『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』に載っています。

 やはり、釈尊十大弟子のお一人である阿難尊者が、夜中に一人で静かな大木の下で瞑想をしていたところ、目の前に恐ろしい姿の餓鬼が現れました。そして、「汝は、三日後に寿命が尽きる。そして餓鬼道に落ちるであろう。」と言います。さらに「助かる方法は百千恒河沙数の餓鬼と百千の婆羅門仙人に供養することだけである。」と付け加えました。

 阿難さんは、そんな膨大な量の供養をすることなんかできるわけがないと困り果てて、釈尊に相談します。そして、「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」という陀羅尼を授かります。その陀羅尼を用いて加持すると、わずかで粗末な食事でも様々な大量の食事となり、膨大な数の餓鬼や婆羅門たちを満足させることが出来る。結果、その功徳によって身体健康、寿命延長の幸福を得ることが出来るというものでした。 

 早速、阿難さんはその法によって供養をされたそうです。

 一説には、阿難さんは百歳まで生きられたとも言われていますから、効果はあったのでしょうね。

 

 この他にも、諸説存在しているようですが、この二つがメジャーなものです。

 前者が、お盆の先祖供養の意味につながる施餓鬼、後者は、密教行者が日々、修法する施餓鬼の根拠といえるでしょう。

 

 「本来的には、真言宗では後者の意味の施餓鬼しか存在しない。施餓鬼棚を作って、派手な幡飾りをしてお盆の行事としてする施餓鬼というのは、他宗の真似をしてやるようになったのだ」と聞いたこともあります。

 

 そこで、こんな風に考えてはいかがでしょうか。

 お盆は、ご先祖様たちの夏休み。

 このときでなくても、自由自在にこの世とあの世を行ったり来たり出来る存在のはずなのですが、いつもは仏様として修行も頑張らなくてはなりません。

 しかし、お盆の時期だけは、可愛い子孫たちのところへ戻って、一緒に食卓を囲み思う存分リラックスすることができます。

 でも、子孫のいない修行仲間もいるでしょう。そこで、「帰るところがないんだったら、自分の子孫のところに一緒に帰ろう」と誘って、やってくることもあるのではないでしようか。

 自分たちのご先祖様たちだけではなく、ご先祖と一緒に仏様の世界で修業している仲間の分の食事をご用意して、ごちそうするのが「お盆の施餓鬼」と考えればいいのではないでしょうか。

 

 自分たちは、一人で生きているわけではありません。時系列という縦の関係、空間という横の関係で、限りない方のおかげで存在しているわけです。そんな名前も顔も知らない「恩人」を供養する儀式が施餓鬼と言ってもいいかもしれません。

 結果として、いつもは自分の事ばかり考えがちな、自分の心の中の餓鬼を供養することもできるのでしょう。