ペット供養

  拙寺を参拝する方は少ないですが、動物は沢山来てくれています。

 朝、外のお堂でお参りしていると、鳥たちが一緒に真言を唱えてくれているかのように喧しく鳴いてくれます。春先には頼りない鳴き声だったウグイスも、初夏を迎えた今では上手に鳴くようになりました。

 夕方には施餓鬼(自分の食事を少し取り分けて餓鬼に供養すること)をするのですが、賢いスズメはこちらがご飯をまくのを覚えていて、少し離れたところでスタンバイしています。慌て者の子が、まだ作法の途中なのに庭に居りてきて、自分と目が合って慌てて戻って行ったりするのもかわいらしいです。猫たちは、ときどき望まざる「お布施」を置いて行ってくれるのが困りものですが、あの愛くるしい姿は免罪符です。

先日は、寺の裏にカモシカまでもやってきました。

 

 今昔物語には、天井裏でいつもお経を聞いていたネズミが、そのおかげで天界に生まれることが出来たと言ってお礼に来る話もあります。

自分も、せっかくうちの寺に来てくれている以上、人だけではなく動物たちにも幸せになってもらいたいと思い、お経をあげています。

 

 最近はペット供養が盛んです(ウチにもペットの合祀墓があります)。

 自分も以前、首都圏のあるペット霊園の彼岸法要に参加したことがありますが、七、八百本の塔婆が立ち並び、沢山の方が参列されているのには驚きました。

 また、ペットの葬儀では号泣されている方が多いのも特徴です。人間の葬儀では、個人と面識のないような方が笑い声を上げたりして、ややもすると単なる同窓会や名刺交換の場になってしまっていることもあるのとは対照的です。

 

 ペットの場合、生かすも殺すもすべて飼い主にかかっています。思いを言葉で伝えてくれないだけに、ああしてほしかったのではないか、こうしてあげればよかったのではないかという後悔の念が人間の場合とは比べ物にならないのでしょう。

 

 動物は自分でお経を上げたり、修行をして覚ることが出来ない(人間だって超難関ですが)。だからこそ、人間である私たちが、代わりにお経をあげて供養してあげたいという気持ちは当然ですし、家族として過ごしてきたペットであればなおさらです。

 

 自分がペット供養をするにあたり、先輩の僧侶の方に言われたことがあります。

「ペット供養はいいけれども、ペットが成仏するのかどうかについて、ちゃんと自分の考えをもってからにしなさい。」と。

 

 ペット供養をしてるんだから、ペットも成仏するにきまっているじゃないと思うかもしれません。でも、そう簡単ではないのです。

 

 さきほどの今昔物語ではネズミが「天界」に生まれ変わることが出来たと言っています。

 天界とは六道の一つです。六道とは天道、人道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道の六つの世界です。覚りを開いて仏とならない限り、この六道を輪廻しなければなりません。よく葬儀で子供さんが故人さんへのお手紙として「おじいちゃんが天国に行けますように」等と書いて下さったりしていますが、自分たちはその上の「成仏」をしてもらうべく作法をしています。話がそれましたが、要は天界に生まれることは「成仏」ではありませんし、天人にも寿命があり、次はどこに輪廻するか分かりません。中には、天界は苦労が少ないので、人間界よりも修行には適していないという方もおられます。

 

 実はペットが成仏できるかについては、争いがあります。

この続きはまたの機会にしたいと思います。