ペットの成仏

 前回の「ペット供養」の続きです。

 

 ペットが成仏できるかどうか、については決まった答えがありません。

 

 ネットで「ペット 成仏」で検索すると、百家争鳴というか、それって何を根拠にして述べてるの?と首をかしげたくなる「教祖様」たちの意見に出会えて面白いです。大体、自由な論拠で肯定しています。耳障りの良いことを書いておけば、みんな幸せになれるので良いのかも知れませんが、それって「論文」と「作文」くらいの違いがあると思います。

 

 伝統仏教においては大体、一番大きな争点は次のようなものではないでしょうか。

⑴動物は即座(直接的)に成仏できる

⑵動物は即座(直接的)には成仏できない

⑶動物は成仏できない

のいずれか、という点です。⑴と⑵では「即座に」というのがキーワードです。⑵も「成仏」そのものを否定しているわけではないです。

 

 『宗教問題 29』という月刊誌でも、浄土宗の宗派内でこのことが議論になっているという記事が出てました。宗派として、見て見ないふりする、うやむやにしないというところがすごいと思います。

 

 前回も述べましたが、私たちは覚りを得ない限り六道を輪廻します。六道とは①天道②人道③修羅道畜生道⑤餓鬼道⑥地獄道です。

 

 ⑵説の立場では、このなかで、成仏が可能なのは①と②だけであるとします。

 ③を含めるかどうかは考え方次第です。かつては六道ではなく五道という分け方で、修羅道は地獄に含まれていた点を重視すると「含めない」のが妥当となりますが、修羅道にも天部が存在していることを重視すると「含めても」いいのでしょう。

 

 なぜ、①と②だけが成仏できるかというと、①と②だけが仏法に出会い、修行することが出来るからということです。

 

 同じ浄土系の浄土真宗でも、ひたすらに阿弥陀様の救いを求めて「南無阿弥陀仏」と唱えれば阿弥陀浄土に導いてくださるはずですが、念仏を唱えることのできない動物たちはダメということになりますね。

 これについて、言葉を覚えるオウムや九官鳥が「ナミアミダブツ」と唱えればどうなのか、やはり意味が分かっていないので駄目だろう、などと真面目に論じています。

 

 浄土系といえば、阿弥陀経の中にはちゃんと動物が出てくるじゃないかって思うかもしれません。オウムなどの鳥がきれいな声で鳴いている様子が描かれています。でも、それは幻というか、極楽に住む人たちを楽しませるための「作り物」だそうです。

 

 しかし、⑶説とは異なり、いずれは成仏することが可能であるとしています。次に人間や天界に生まれ変わればいいからです。その後で成仏することが可能です。

 その意味で、私たちがペットの供養をする意味はあります。そして、そのとき心に願うのは

 「次は人間に生まれ変わって仏法に触れることができますように」

ということです。

 

 ⑴説は、仏様の慈悲の力を強調する方に多いようです。

たとえば、どんな悪人でも救うと誓願された阿弥陀様が、動物だからといって一旦人間に生まれ変わってから救う、なんて遠回りでセコいことをおっしゃるわけがない、とかです。

 

 天台方なのですが、伝授でお世話になっているある先生は、動物が大変お好きなようで、作り物の動物しかいない極楽なんかには行きたくないとおっしゃっています。

 そのうえで、仏教の教えが分からない動物は、人間の葬儀のような授戒、引導作法よりも真言の力によってこそ成仏させることができるとおっしっゃています。

 ※ 人間の葬儀の作法や意味についてもいつか触れたいと思います

 

 では、自分はどうなんだと言いますと・・・

 成仏は可能と信じています。「考えます」ではなく「信じています」ですけど。

 といっても、「自業自得」が基本的にあてはまる仏教において、私たちの祈りだけでペットたちを成仏させることはできないように思います。そういう意味で、ペットたちにも何らかの「修行」が必要ではないでしょうか。

 以前に書きましたが、仏教の基本的な修行として「六波羅蜜行」があります。その中の一つに「布施波羅蜜行」なら、ペットたちも果たしているのではないでしょうか。もちろん、猫たちが寺の庭に置いて行ってくれるアレではないです。

 

 布施といってもお金や物を差し出すことだけをいうわけではありません。

「無財の布施」といって、文字通り財産を必要としない布施もあります。その中には「和顔施」といって笑顔で相手に接することや、「言辞施」といって相手に真心のこもった言葉をかけるということも含まれます。

 

 嫌なことがあった時、足元にすり寄ってくるペットたちに癒されたこと、腹が立った時にふと目を向けたペットたちの罪のない姿に笑顔を取り戻させてもらったこと・・・・。ペットと暮らしたことのある方なら、誰もが彼らから受けたたくさんの「布施」を思い出すことでしょう。そう考えれば、彼らもちゃんと修行をした、と拡大解釈をしても許されるのではないでしょうか(「教祖様」たちと変わらないとの謗りをうけるかもしれませんが)。

 

 「あなたのおかげでいっぱい幸せなきもちになれました。ありがとう。」

と感謝することでペットたちを成仏させてあげられると信じます。

 

 先日、寺の玄関でウグイスが亡くなっていました。少しでも、仏様の近くで最期を迎えようと思ったかのようでした。きっと、この子の鳴き声を自分も聞いて癒されていたことでしょう。

「きれいな鳴き声をありがとうね。」

と感謝の気持ちでお経をあげさせていただきました。成仏を願って。