回忌法要

 以前、同じ真言宗の智山派開催の勉強会に参加致しました。

内容は葬儀と回忌法要に関してのものでした。そこでの質疑応答の一部を要約してご紹介したいと思います。

 

問 回忌法要をすべてやらないと成仏できないのか。
もしそうだとしたら子孫や縁者がおらず、法要をしてもらえない死者は成仏できずにさまようのか。
答 成仏できる。葬儀にて引導作法(授戒・灌頂)をした時点で既に成仏している。

 

問 では何のために回忌法要をするのか。成仏しているのであれば不必要ではないか。
答 成仏してもそれでおわりというわけではない。水泳に例えるなら、葬儀で引導を授けただけでは泳ぎ方を何とか覚えただけである。上手く泳げるように、色々な泳ぎ方を身につけるように練習する必要がある。死んでからの仏道修行は続くのである。

 

問 よく追善供養というが、回忌法要を行った功徳が故人の善行として回向されるのか。
答 いいえ。仏教の基本は自業自得である。自分の善行をもって他人の善行に変換することはできない。

 

問 それでは改めて問う。それでも回忌法要は故人の為になるのか。
答 なる。故人は、残された者たちが一生懸命に手を合わせ、お経をあげてくれる姿を喜ぶ。そのような衆生を是非にも救いたいと強く願うことで、より一層仏道修行をするはげみになるからである。

 多分に回答された先生の私見によるところも大きいでしょうが、自分もほぼ賛同します。

 

 わたしたち高野山真言宗の、ある布教資料では年忌法要を以下のように説明しています。
『 故人は年忌ごとにそれぞれの仏様の教えを受けられ、徳を高めていきます。それにあわせて遺族が年忌法要を行って功徳を積み、その供養が先立って行った故人の為になるので追善と申します。
 年忌は故人の為に行うものですが、それは同時に残された私たち(殊に子供達)に我々を超えた偉大な存在(仏・先祖等)を感じさせる場でもあり、また故人の為に法要を行うことにより生命の尊さを教え、行儀作法を教える機会でもあります。
 このように家庭行事として行う法事には仏教に根差して深い智慧が含まれているのです。』

 こちらでは追善を肯定しています。

 私自身は「追善」とは少し異なる考え方です。後から拝んであげてもその方の生前の行いの評価を変えることはできないという意味では「自業自得」だと思います。ただ死後にみんなに手を合わせてもらえる、ちゃんと法事をしてもらえるというのは紛れもなく、その方の生前に積んだ徳に他ならないです。そういう意味では評価を変えるのではなく、評価そのものだと思います。生前の恩に感謝、そして現在は仏様となって変わらずに守ってくださっていることに報謝するのが回忌法要だと思います。

 

 中国の道教では死者は十回の裁判を受ける機会があるとされました(ちなみにインドでは四十九日までの七回)。その裁判官が十王で、五番目の裁判官が閻魔大王です。回忌法要をするのは、その裁判がうまく進むように、「弁護側の証人」として応援するという意味です。
 日本では十王が仏様に代わり、裁判の機会も三回増えます。それが十三仏信仰です。むしろ、ここでは裁判というよりも、色々な仏様が故人を浄土へ導いて下さったり、仏道修行の手助けをして下さると考えています。
 その担当の仏様を紹介いたします。

初七日
  不動明王
二七日
  釈迦如来
三七日
  文殊菩薩
四七日
  普賢菩薩
五七日
  地蔵菩薩
六七日
  弥勒菩薩
七七日
  薬師如来
百か日
  観音菩薩
一周忌
  勢至菩薩
三回忌
  阿弥陀如来
七回忌
  阿閦如来
十三回忌
  大日如来(金剛界)
三十三回忌
  虚空蔵菩薩

 このほかにも回忌法要として十七回忌や二十三回忌、二十七回忌なども行われます。これも色々な説がありますが、三は仏教では「吉祥数」といって喜びの生まれる数、七は物事や願いが叶う「成就数」とされていることから、三と七の年に年忌法要をすることで、仏様の恵みと誓願によって、ますます家が繁栄し、悪い因縁が消えるようにという願いも込められたのかもしれません。
 真言宗の場合、二十三回忌と二十七回忌とを兼ねて二十五回忌としてて行うことも多いです。十三回忌が干支が一周するタイミングであるのと同様、干支が二周するタイミングということもあるようです。

 

 こちらも「担当」の仏様をご紹介いたします。
十七回忌
  大日如来(胎蔵)
二十三回忌
  般若菩薩
二十五回忌
  愛染明王
二十七回忌
  大日如来(金剛界)
五十回忌
  愛染明王
百回忌
  五秘密菩薩

 四十九日までは仏様として慣れていないので、迷わないように七日ごとに仏様が案内して励まして下さるイメージ。四十九日以降は自分の理想となる仏様となれるように色々な仏様のもとへ赴いて修行するのですが、ベテランになるにつれて自由度も高くなるとう感じでしょうか。   

 時間の経った回忌をきっちりやるのは大変かと思います。少し前倒しして、別の新しい仏様の回忌法要と組み合わせるのも方法です。自分たちだけで拝むのが寂しいと思われる方は、塔婆だけでも建てよう、というのもよろしいでしょう。心さえこもっていれば形にこだわる必要はないでしょう