法友

 以前、八千枚護摩の伝授を受けた際、伝授阿闍梨さんがこんな話をしてくださいました。

 その大阿さんも若い頃は色々と悩んでおられたようで、あるとき自分の閉塞的な状況を変えようと八千枚護摩を修法しようと思い立ったそうです。そのことを師僧に相談するとこう言われたそうです。

「生まれ変わるために修法したいんか?」

それに対して、「はい」と答えると

「生まれ変わってからやりなさい。」

と一蹴されたとのことです。当時は腹が立ったが、今となっては、その言葉の意味が良くわかるとおっしゃってました。

 

 八千枚護摩という言葉は耳にした人も多いと思います。通常の護摩では途中で煩悩の数に見立てて百八本の護摩木を炉に投じます。その部分が八千枚、すなわち80倍になるわけです。精神的にも体力的にも最高にハードな修法の一つです。

 かなりの高熱になりますので、普通の護摩釜ではもたないようです。また、灰の量もかなりのものになりますので、承仕(助法とも:導師を助ける僧侶)がタイミングをみて灰をかきださなければなりません。行中、導師は声を出せませんので、以心伝心で汗を拭いたり、灰を処理したりできる人じゃないと務まらないそうです。

 要は、八千枚護摩は自分一人がやりたい、と言ってできるものではないのです。それを支えてくれる方々が居てこそ、やらせていただけるものなのです。「生まれ変わってから・・・」というのは、まずは、そのように人が支えてあげたいと思うような僧侶となるように努力しなさいということだったのです。

 

 ともに仏法を求める仲間を「法友」(先輩を「法兄」後輩を「法弟」とも)と呼びます。そういう意味では、僧俗を問う必要はないかもしれません。

    

     別れ路の さのみ嘆くな 法の友 また遇う国の ありと思えば

 これは、念仏禁止により、異なる遠国へ配流されることになった際に、嘆き悲しむ親鸞上人に法然上人が贈った歌です。そのときの光景が目に浮かぶようです。本当に素敵な師弟関係ですね(高野山奥之院への途中に圓光大師(法然さんのこと)のお墓があるので、前を通るときは手を合わさせていただいてます)。

 

 こんなに未熟な自分ですが、多くの法友に恵まれてここまでやってこれました。現在も、寺の行事には自分の法務を差し置いても駆けつけてくださる僧侶の方々、物理的にも精神的にも支えてくださる檀信徒の方々がいらっしゃいます。

 

 役僧を多く抱えている寺の住職さんがこんな風に言っておられました。

「うちには兵隊がたくさんいるから、どんな法務にも対応できるのが強み・・云々」

なんか悲しかったです。

 

 「人身受け難し 今すでに受く 仏法聞き難し いますでに聞く」

 この特別な状況で、特別な縁で結ばれ、同じものを目指す法友にあらためて感謝して、その恩に報いる生き方を心がけたいと思います。