理趣経の要点(百字偈)

 真言宗で必ず読まれるお経といえば理趣経です。密教をよくご存じの方なら、他に大日経金剛頂経という重要な経典も知っておられるでしょうが、こちらは修行方法や理念を示すもので読経するためのものではありません。理趣経金剛頂経の一部なのですが、こちらは読むために編集されたものとなっています。
 理趣経には、愛や欲をも肯定する内容が書かれているため、曲解されるととんでもないことになるということで、一般には秘されることにされてきました。実際に、鎌倉時代から室町時代にかけて、とんでもない解釈で真言立川流などという邪教が生まれてしまっています。
 現在でも、単に得度しただけの僧侶は読むことが許されず、「理趣経加行」を修了したものだけが読んでいいという建前です。あくまで建前ですけど。
 さらに、かつては理趣経を読むときには、横に「理趣釈経」という解説本を置いて、意味を誤らないように注意しなさいと言われていたようです。最澄さんがお大師様に借りようとして断られたあの本です。
 実際には、何も知らない方が、このお経を読もうとしてもなかなか難しいです。というのもこのお経は漢音で読むことになっています。漢字の読み方には漢音と呉音があり(他にも唐音というのもありますがレアです)、多くのお経は呉音で読みます。具体時には「金剛」を「こんごう」と読むのが呉音、「きんこう」と読むのが漢音です。「阿弥陀如来」も呉音では聞き慣れた「あみだにょらい」ですが、漢音では「あびだじょらい」となります。
 さらには書いてあっても読まない文字などのルールもあって、どうにも一般の方の手に届かないようにしているのではないかと思えるお経です。
 とはいえ、真言宗で一番耳にするお経が謎のままというのでは、もやもやする信徒さんも多いと思います。理趣経はいくつかのパートに分かれているのですが、メインパートが終わった後に、そのエッセンスを百字にまとめた「百字偈」という部分があります。これに関しては、信徒向けの経本(「青本」など)にも記されています。短いものですが、真言宗のツボをおさえたものですので紹介したいと思います。
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 理趣経百字偈

菩薩勝慧者(ほーさーしょーけーしゃー)
乃至盡生死(だいしーしんせーしー) 
恒作衆生利(こーさくしゅーせーりー) 
而不趣涅槃(じーふーしゅーでっぱん) 
般若及方便(はんじゃーきゅーほーべん)
智度悉加持(ちーとーしっかーちー) 
諸法及諸有(しょーほーきゅーしょーゆー)
一切皆清浄(いっせーかいせーせー) 
欲等調世間(よくとーちょーせーかん)
令得浄除故(れーとくせーちょーこー) 
有頂及惡趣(ゆーてーきゅーあくしゅー)   
調伏盡諸有(ちょーふくしんしょーゆー) 
如蓮體本染(じょーれんてーほんぜん)

不爲垢所染(ふーいーこーそーぜん) 
諸欲性亦然(しょーよくせーえきぜん) 
不染利群生(ふーぜんりーきんせー) 
大欲得清浄(たいよくとくせーせー)
大安楽富饒(たいあんらくふーじょー) 
三界得自在(さんかいとくしーさい)  

能作堅固利(のーさーけんこーりー) 
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 フリガナは実際の読み方に合わせました。
 次は内容です。これについては、栂尾祥雲先生が五七調で意訳したものをご紹介いたします。格調高いものですが、何せ昭和三十五年発行のものですので難解な表現があるのはご容赦ください。

こよなき智慧のひじりらは
いましこの世の尽きるまで
つねに救いの わざをなし
涅槃にゆく こころなし
般若と方便 たぐいなき
加持の力 てり映えて
この世の迷い すべてみな
清けきものと なりぬべし
大欲などの 力もて
世の中浄め 調えて
この世の涯の 辺際までも
全ての迷い 尽くさなん
蓮華に真紅の 色あるも
泥のけがれに 染まぬごと
けがれに染まぬ 大欲は
あらゆるものを 救いなす
清き大欲 あるゆえに
安楽ありて 富みさかえ
この世の中に 思うまま
救いのねもと 堅むべし
    
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 いかがでしょうか。真言宗のエッセンスが詰まっていることに気づかれたのではないでしょうか。
 「般若と方便」とは智慧と手段。頭でっかちではなく、実際に人を救う宗教であること。また、欲を否定するのではなく、大欲をもってみんなで幸せになろうとする宗教であることがここに示されています。
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 お経には色々な効能があるとされます。昔から伝えられてきた儀軌というものを根拠としています。中には供養に特化したお経や、祈願に特化したお経など、いろいろあるのですが、理趣経については供養にも祈願にも良いとされています。そういうわけで、真言宗の法要では必ずと言っていいほどこのお経があげられるのです。
 ただ場面に応じて読み方や、読む場所、語句が変わったりします。
 たとえば枕経(枕経をあげない場合は通夜のお経)では、速く読みます。これは一刻も早く仏の教えをもって心を安らかにしてもらうためのならいです。
 自分が伝法灌頂という阿闍梨になる儀式を受けたときに大阿闍梨様から言われたのは「坊さんは一に声、二に顔や」でした。悲しみを抱えた方には癒すような声で、落ち込んでいる方には元気づけるような声で、というように相手の力になれるような声でお経をあげることが出来るようにとの教えでした。 
 声がいいとか、流暢に唱えることが出来るということが重要なのではなく、心を込めて唱えることが大事ということでしょう。
 日々のおつとめの参考にしていただければ幸いです。

 

※ 檀家さん向けの寺報の記事をもとに加筆修正したものです。