御礼肥え ~感謝で大きな花を咲かす

 秋になり、夏に咲き誇ってくれた蓮たちもほとんどが枯れてしまいました。

 枯れてしまったから世話は終わりというわけではなくて、今は「御礼肥え」の時期です。

 いらしている中には、農家の方もいらっしゃるので、自分が説明するのも気恥しいですが、御礼肥えとは、蓮に限らず、花が咲いた後や、実を収穫した後に肥料をあげることです。

 これをすることで、花や実をつけることで疲れた植物の疲労回復を図ります。これを怠ると、翌年は花や実をつけてくれません。

 

 「御礼肥え」という表現も本当に素敵だと思います。

 

 以前にも申し上げましたが、蓮は仏教的な意味をたくさん含む植物です。

一番有名なのは「泥中不染」すなわち、泥の穢れに染まらずに美しく咲く蓮が、自分たちの生き方の理想とするものです。

 

 そして、この「御礼肥え」も蓮だけに当てはまることではないですが、仏教的な格言が含まれているように思います。

 

 寺や神社で一生懸命に拝む方は多いです。賽銭箱にわずかばかりの小銭を入れて、元を取らないと損とばかりに拝んでいる方も多いでしょう。

 しかし、願うときには必死でも、日々の感謝のために手を合わせに来る方は少ないのではないでしょうか。

 

 よく仏教の根本は何か、というと「慈悲」を挙げることがあります。自分は「感謝」も挙げられると思います。

 

 日々、幸せなことがあった場合はもちろん、何事もなく過ごすことができたならば、「御礼肥え」よろしく、感謝をしなくてはいけません。利に訴えるようでいやらしい様に聞こえるかもしれませんが、それが花を咲かせ続けるコツです。

 

 難しいのは、うまくいかなかいことが続いている場合です。

 花も咲いていないのに「御礼」なんて、と思いがちです。

 下手すると「神も仏もあるものか」とそっぽを向いてしまうかもしれません。

 

 ここで、ウチで咲いた蓮の話に戻りますが、今年一番大きな花をつけたのは「原始蓮」という品種です。この護摩堂に一番近いとこで咲いていた9株です。

 実は、この品種は、昨年1株を手に入れて育てたのですが、花が咲かなかった子たちです。

 そして、3月に株分けしようとしたところ、土の中で9株もとれるほど、蓮根が育っていたのです。そして、その結果が今年の夏のあの結果です。

 

 先日、受講してきた宿曜という密教占星術の先生もこうおっしゃっていました。

 「星まわりの悪い時こそ、自分を鍛えて大きくするチャンスです。」

 

 日々、神仏をはじめあらゆる力に「御礼肥え」。

 たとえ、まだ花が咲かなくとも、いつかより多く大きな花を咲かせるために、感謝の気持ちを持ち続けていきたいものです。

 

※ 令和5年9月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。