洒水加持 ~仏様と会うための身だしなみ

 今日も薬師護摩に多くの方がご参加くださり、ありがとうございます。

 今日は、初参加の方もいらっしゃいますし、また皆さんが皆勤賞というわけではありませんから、基本的なことをお話ししたいと思います。

 

 最初に、M師が「洒水」という作法をしています。

 散杖という木の棒を使って、水を振りまくようなことをしているやつです。

 真言宗では、梅の枝とか白檀とかを使うのですが、禅宗さんでも「洒水枝」といって松葉を先で束ねたようなものを使っているみたいですね。

 

 よく見ておられる方ならお気づきかもしれませんが、水を振りまく前に色々やっています。

 水の入った容器(洒水器)に向かって、印を結んで何か唱えていると思ったら、おもむろに散杖を入れて「かき回して」ますよね。

 その際には「ラン」と「バン」を繰り返し唱えています。

 「ラン」と「バン」は「ラ」と「バ」の「変化形」です。

 「ラ」と「バ」は皆さんもよく見ているはずです。はい、塔婆の上の部分です。

 塔婆の上には、順番に「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵字が書かれており、それぞれ「空」「風」「火」「水」「地」を表しています。

 そうです。「ラン」の火の力で、器の水の中に有る不浄なものを焼き尽くして、「バン」の水の力で「スペシャルな」水に変化させているわけです。

 

 そして、その水を振りまくことで、この道場と皆さんたちを清めているわけです。

 

 この「洒水」のことを、「洒水加持」ということもあります。

 「加持」には、色々な意味があるのですが、お大師様によると、「加」は仏様の私たち衆生への働きかけ、「持」とは、私たち衆生がそれを受け取ることだと言います。

 電波とアンテナにたとえる方もいらっしゃいますね。

 

 つまり、「加」は常に存在しているんです。

 私たちが「持」の準備が出来ていないだけなんです。

 

 仏様はいつでもどこにでも存在しています。

 ただ、日常の雑多なことに追われている中では、なかなか仏様のメッセージが聞こえないわけです。

 

 最近では死語になりましたが、「パワースポット」なんていうのも、その場所に力があるというよりも、神仏のメッセージや働きかけをよく受け取ることができる「アンテナ感度」がよくなる場所ということなのかも知れません。

 

 そして、せっかく、そんな場所に来たとしても、本人がそもそもアンテナを立ててくれなければだめなわけです。

 両手いっぱいに、欲や煩悩の塊をにぎったままでは、神仏のお土産を受け取ることは出来ません。

 

 ですから、最初に「洒水加持」を受けていただき、仏様とじっくりお話をしていただくための「身だしなみ」をととのえてもらっているわけです。

 

 護摩の途中で「百八支」という、文字通り108本の枝を火にくべるのも、百八煩悩を焼く意味です。

 護摩というと、「御利益」にばかり目がいきがちですが、まずは自分の不浄なものを取り除くということを忘れてはいけません。

 

 護摩に参加すると、何かすっきりした気がする、と言ってくださる方がいらっしゃいますが、理屈ではなく、心身で実感されているのだと思います。

 

 日常生活を送っていれば、知らず知らずのうちに色々な汚れがたまってきます。

 定期的に、護摩に参加してくださり、心のフィルター掃除をして下さればと思います。

 

※ 令和4年5月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。