記念得度?冥途の土産?

 先日、度牒についてお話ししましたが、それと関係のあるお話です。

 

 以前に、社会人向けに仏教を教える塾のお手伝いをしたことがあります。

 学問として仏教を学ぶという面だけではなく、実践的な部分も体験してもらい、やる気のある方は得度を目指すといったところでした。自分はもちろん、真言宗コースの担当でした。

 短い期間でしたが、色々な方がいらっしゃいました。

 信仰心は希薄で、カルチャーセンターのノリ、修了書として度牒がもらえるならラッキーくらいの方。

 ファッションとして坊さんになりたいと思っている方(社会人として高い地位を得た方が、退職後も「先生」と尊敬されたいといった感じ)。

 明らかに「拝み屋さん」で、お客さんを信頼させるための「看板」として度牒が欲しい方(俺はすでに色々知っているという感じで、傲慢なタイプ。ただし、お経や真言のクセが酷い・・・)。

 とにかくお坊さんを名乗りたいので、度牒がもらいやすいと噂の真言宗コースに来ている方(禅宗のコースでは得度の条件が厳しかったようです)・・・等。

 もちろん、真摯に真言宗を学び、先に進みたいという方も多かったですが、熱心な檀信徒以下という方が多かった印象です。

 

 前にも書きましたが、得度とは、いったん死んで、新しく生まれ変わることです。今までの俗世界の人間関係を絶って、新たに師僧と親子関係を結ぶことです。

 宗門大学なんかでしたら、大学側が師僧を割り当ててくれたりするようですが、そうでない場合、在家の人間は、師僧を見つける方法など簡単には思いつかず、ついつい手っ取り早い方法に飛びついてしまうのかもしれません。結果、いい縁に恵まれればよいのですが・・・。

 

 師とする阿闍梨の選び方として、浄厳和上の『受法最要』の中に、大日経具縁品を引用して以下のような条件が挙げられています。

1. いつも大菩提心に安住し

2. 出家の菩薩浄戒を守り

3. 聡明で優れた知恵を持ち

4. 慈悲深く

5. 学問、芸術に通じ、

6. 三乗の法門に通達し

7. よく般若波羅蜜を行じ

8. 瑜伽行に習熟し

9.   よく真言の意味を理解し

10. 曼荼羅に通達し

11. 穏やかな人柄で、 我欲を持たず

12. 真言の行において善く決定することを得る

 

このような徳を兼ね備えた師を探しなさいというのです。

超難関ですね。

 

ということで、妥協案として

菩提心を持ち、浄戒を守り、瑜伽をよく行じ、真言の意味をよく理解している人」

でもよいとします。

 

 これでもまだまだハードルが高いですね。戒をしっかりたもっている僧侶なんて、厳格に判断すると、今日では滅多にいないですよね。

 

それでは、ということで最低限

菩提心が堅固である人」

を探しなさい、と言っています。

 

 そして、その菩提心というのは、大乗仏教的には、自分が覚りを求めるということだけではなく、生きとし生けるもの全てを救うという利他の面を含むものです。そういう目的のために必死で努力している人を師としなさいというわけです。

 

 もっとも運よくそのような方を見つけても、師僧になってもらえるかは別の話です。

 なぜならば、『受法最要』には、師僧の選び方のすぐあとに、弟子の選び方があげられていますから・・・。

 

 ある住職の話です。

 よく住職相手にズケズケとものを言う檀家総代さんがいたそうです。仏教のことにはそこそこ詳しいようで、あるときに住職に対して「ワシも坊さんになろうかな。得度させてくれるか。」と言ったそうです。

 それに対して、「ワシの弟子になるんやから、これまでみたいにワシに対して偉そうにものを言えんようになるけど、それでもええか。」といったところ、黙ってしまったそうです。

 

 いずれにせよ、得度は記念でするようなのではないです。資格欄に書くためのものでもないです。たしかに会話のネタくらいにはなるでしょうが。

 安易に得度したい、とかいう人に限って、一番基本となる在家用の日用経典(ウチだったたら青本と呼ばれる『仏前勤行次第』)すら唱えていなかったりします。まずは、ちゃんとした信仰者になるっていうのではダメなんでしょうかね。