ご朱印と納経

 シルバーウィーク中、拙寺のようなマイナー寺院にもご朱印をお求めになる方々がいらっしゃいました。

 

 大概、「○○女子(ガール)」なる表現が用いられたり、懐かしい芸能人がそのジャンルに参入して活躍しはじめると、そのブームは下火となるのが定番。そういう意味ではご朱印ブームなるものもすでにオワコンかと思っていたのでに意外でした。

 

 自分自身、西国や四国をまわっていました。その後は、先達としてお客様を案内させていただいてました。

 ただし、札所や霊場という場面では、まず「ご朱印」という表現は用いません。

 通常は「納経(印)」です。書いてもらう場所も「納経所」です。霊場専用の帳面も「納経帳」です。

 というのも、写経を納めて、その寺の仏様と縁を結んだ証として頂くものだからです。現在では、写経を納める方は少なくなっていますが、手を合わせてお経(真言)を唱えて縁を結んでいただくべきものでしょう。

 

 自分が四国をまわっていた頃の話をご紹介します。

 

 四国の結願の回でした。ご夫婦でのご参加で、上から下まで白装束の『正装』の方々がおられました。かなりのベテランの様子で、知識も豊富な方々でした。大峯で修験道などもされているようでした。

 無事に結願を迎え、帰りのバス車内で、添乗員さんが預かっていた納経用品をお返ししました。その方々は納経帳だけではなく掛軸も預けていたようです。

 そして、その掛軸に余分な墨の汚れがついているとのクレームが出ました。

 自分も拙寺、以前は高野山内の塔頭で納経印を書いていたので分かるのですが、筆の勢いで、墨が飛ぶことは珍しいことではないです。

 いくら添乗員さんが説得しても、最後には謝っていましたが、それでもダメ。結局、旅行会社が持ち帰って、薬品で墨を消す処理をすることになりました。

 折角の結願の回だったのですが、その方の止まないクレームを聞かされ続けていた他のお客さんが気の毒でした。

 

 もう一つ。

 こちらは四国の別格霊場の話です。回ったことがある方なら、どこのお寺か分かるかもしれませんが、かなり「特徴的な」納経印を書かれるご住職がおられます。

 こちらも、添乗員さんが納経帳を返したときに、お客様からクレームが出たそうです。

「なんやこのへたくそな字は! 書いてもらうのを忘れて、お前が自分で書いたんちゃうんか!」

それに対して、添乗員さんはこう言い返したそうです。

「自分やったら、もっとうまいです。」

 魂のこもった迫力のある文字ですので、わざわざご住職がいらっしゃる時を狙って、納経をしていただくファンの方もいらっしゃいます(自分ももらえました)が、お気に召さなかったようです。

 

 よく納経印のことを、お経をおさめたことに対する「領収書」と説明される方もいらっしゃいます。

 しかし、自分は仏様と縁を結んだ証である「契約書」と表現する方がよいかと思います。

 いずれにしても「領収書」や「契約書」に文字の美しさを求めて、文句を言うのは本来の意味と異なるのはご理解いただけると思います。

 

 たしかに、もらえるのならば見ていて惚れ惚れする達筆の方が良いと思うのが人情でしょう。昨今では、プロ級のイラストやら、その寺にお祀りしていない妖怪やキャラクターの類まで登場していて百花繚乱です。しかし、何より仏様と縁を頂いた証であることが大切です。

 

 札所や密教寺院では納経印の中に梵字が書かれていたり、朱印として押されていることが多いでしょう。これらは梵字でありますが、特に「種子(字)」といってご本尊様そのものを表しています(拙寺ではお薬師様を表すバイの字です)。

 今はどうか分かりませんが、西国札所の勝尾寺さんで、納経所の尼僧さんが真言を唱えて書いてくださったのが、とてもありがたかったのを覚えています。

 自分も、字は下手ですが、お参りくださった方に、ご本尊様の分身をお連れしてもらえるように一生懸命書かせていただいています。

 

 折角、寺まで足を運んできたのに、ただの「集印」になるのはもったいないと思います。お経をあげないにしても、手を合わせて、仏様と心を通じ合わせる機会を無駄にしていただきたくないものです。