法事の席では、当然檀家以外の方もおられます。というか、ウチの場合はほとんどの方が檀家以外だったりします。
あるとき、お一人の方が
「うちの住職は、年を取って、お経の声はかすれるし、法話は前と同じものをしたりするけど、それでいいんだ。この人だからいいんだ、と思えるんだ。」
と仰っていました。
一方、自分の知っている僧侶の方は、お経の最中に何度か咳払いをしたことでクレームを入れられたそうです。お経も所作も見事な方なのですが・・・。たまたま犬に噛まれたようなケースだったのかも知れませんが、先の話とは対照的ですよね。
僧侶にこんなクレームをつける方がいるんだ、と驚かれた方もおられるでしょう。
次のようなクレームで、出禁になった方もおられます。その方もお経の声は素晴らしいですし、人当たりの良い方なのですが、あるお寺が経営する霊園に出仕した際に担当の方から
「袈裟のたたみ方が雑。あんなことをするのは本物の坊さんじゃない。」
と言われたそうです。
お坊さんというと、いい声でお経をあげるとか、難しい祈願をしてくれるとかが大事に思うかもしれませんが、そうではないんですね。
以前にも書いたかも知れませんが、高野山にいるときに大先輩に言われたのは
「抹香くさくなれ。」
ということでした。
日常的に使う「抹香臭い」というと「辛気臭い」なんかと類似したマイナスの言葉ですが、僧侶にとっての「抹香臭い」というのはプラスの言葉です。表面からだけではなく、内面からも僧侶の風格というものがにじみ出ていなければいけないということで、なかなか難しいことです。
以前、あるお坊さんとお話しした時に、色々と難しいことを語ってくださいました。熱い理想も語っておられました。すごいなぁ、と思って聞いていました。
その後、その方を見ていると、仏前の燈明をお経本でうちわのようにあおいで消していました。
ありえないです。経本は仏様の言葉。先の大徳たちが命懸けで運び、翻訳してくださったものです。当然、僧侶たるもの、扱い方は徹底的に指導されます。
ごめんなさい。もう無理です。どんな素晴らしい言葉を並べられても、その方の言葉は頭に入ってこないです。
ヤフートピックスなんかで、スキャンダルで去った政治家や芸能人がまっとうなコメントをしていても「お前が言うな」と思うだけで、心に響かないのと同じですよね。
技術的な部分での研鑽を怠ることは許されないでしょうが、この坊さんの話なら聞いてもいいかな、と思っていただけるように、内面を磨くことの方が大切なのだと教えていただきました。