以前に、師僧から、
「お布施をもらうときに、『ありがとう』って言っちゃいけないよ。『お預かりします』と言うんだよ。」
と言われました。
なるほどその通りです。
お布施を受け取るのは、あくまでもお寺であり、お寺にいらっしゃる仏様であるわけです。
自分たち僧侶は、仏様のおつかいとして葬儀や回忌法要などの法務をして、受け取ったお布施を「預かって」仏様の前に届けるわけです。
ときには、僧侶派遣会社への紹介料や葬儀社へのマージンをそこから支払わなければならないこともあるので、仏様宛以外のものも「預かっ」たりしていることもあるわけですが。
ここでいうお布施というのはお金だけではありません。
あるお坊さんについて、こんなクレームが出たそうです。
回忌法要をして、帰る際に、施主さんから御供のための籠に入った果物を差し出されたそうです。
それに対して
「すみません、今日は電車で来てますし、寺にも寄らずに帰るので要らないです。」
と仰ったそうです。
それがクレームになったというわけです。
ご本人は、正直な気持ちで遠慮されただけで全く悪気はないわけです。
それに対して、その方の師僧さんは、邪魔になるんだったら、その場で受け取って、見えないところで捨てたっていいんだから、と注意されたそうです。
それも微妙な気がしますけど。
こんなことはレアケースだと思っていました。
しかし、以前に自分が導師として葬儀をしたときのことです。
葬儀を終えて、車に荷物を積み込んで帰ろうとしていたとき、ホールの担当者が走って、自分と伴僧の方の分のお花を届けに来てくださいました。葬儀で大量に飾りつけしたお花のうち、棺に入れることが出来ずに余ったお花をこういう形で下さることがあります。ちゃんと花の組み合わせも考えて、長さも切りそろえて束にしたものです。
自分ともう一人の伴僧の方は、感謝の言葉を述べて受け取りました。
ところが、もう一人の方は
「車で遠いところから来ているのでいいです。」
と断っていました。
担当の方が、自分たちが帰ってしまわないように、急いで準備をして、駆けつけて渡そうとした花束を前にして、あり得ないと感じました。
しかも、理由が意味不明ですし。
ちなみにもう一人の方は、東京からバスと電車を乗り継いできてくださった方でしたが、その場では受け取って、お寺に置いて行ってくださいました。これが模範解答ですよね。
そもそも、お布施を受け取るのは自分ではなく、仏様であることを忘れているからダメなんでしょう。
さらには、相手の方が「布施波羅蜜行」という仏様になるための立派な行をする機会も奪っているわけです。
以前に、布教について学ぶ際に、先生が「お寺でなにかしようとしたとき、タダでやるのはよくない。」と仰っていたのもそういうことだったのかも知れません。
葬儀にしても回忌法要にしても、お布施は高いという観念が一般化しているようです。現実には、僧侶も二極化しており、紹介業者だのみの僧侶なんかはワーキングプアだったりするのですが。
お布施は、本来、自主的に、気持ちよく渡すべきものなのですが、そうなっていないことも多いでしょう。
渡す方にとって、目の前の僧侶しか見えずに、その背後にいらっしゃる仏様が見えないことも理由なのかもしれません。
ましてや、目の前の坊さんがいかにも生臭坊主で、そんな奴の乗る高級外車に化けると思ったら、どんな金額でも「高すぎるお布施」に感じることでしょうね。
仏様のおつかいとして、仏様を近くに感じてもらえるようなふるまいを心がけたいものです。