都合よく考えてみましょう(令和2年初薬師の法話)

本日は荒天の中、護摩にご参加くださりありがとうございます。

どうしてもこういうときには「あいにくの天気で」と言ってしまいますが、そもそも天気に「あいにくの天気」などというものはありません。最近晴天続きで乾燥しておりましたので植物なんかは大喜びでしょう。せいぜい自分たちがお出かけするにあたって「あいにくの天気」ということにすぎません。

人もそうですね。どうしても「あの人、嫌な人」って言ったり、思ったりしますが、私にとって嫌な人というだけで、その人の性質として嫌な人というわけではないことも。職場では嫌な人であっても、家庭では素晴らしい人であったり、またその逆であったりということもあります。

今日の護摩の最中に、皆様に唱えていただいた般若心経もそのことを述べています。

「不生不滅 不垢不浄 不増不減」という部分ですね。自分の価値観を離れてありのままに見なさい、そうするときれいなもの、汚いもの等なんて存在しない。じぶんにとって汚いもの、きれいなものに過ぎないということです。

禅語では「花紅柳緑」なんて言葉もあるそうです。文字通り花は紅く、柳は緑色。つまりは当たり前の景色を自分の価値観を加えずにありのままに見る、ひいては日常の出来事をありのままに受け止めなさいという意味で、ほぼ同じことを言っているのでしょうか。でも、それって難しいです・・・。

そこで、いっそのこと、ありのままに受け止めるのではなく、自分に都合よく受け止めてしまうのはいかがでしょうか。

以前に、四国八十八か所霊場の先達をしていた時のことです。お客様が、あるお寺の池にかかる橋で足を滑らせて池に落ちてしまい、足をくじかれてしまいました。幸いにも池の水は抜かれていましたので濡れることは無かったのですが、痛い思いをされてしまいました。申し訳ない思いでいっぱいでしたが、そのお客様の「やっぱりお参りしたおかげやね。池に水も入ってなかったし、この程度で済んだわ。」との言葉に救われました。中には「折角お寺参りしたのに、こんな思いをして、ご利益無いわ。」と思う方もいらっしゃるかも知れません。でもその方は、仏様のおかげさまでという感謝で出来事を受け止められたのです。

何かが起こった時、どう感じようと結果は変わらないです。それならば自分に「都合よく」考える方が幸せではないでしょうか。どうせ花を見るなら「赤い花」ではなく「きれいな赤い花を見ることができてラッキー」と思うことが出来る方が幸せではないでしょうか。

今日は大雨であまりお参りの方も少なかったので、お薬師様にしっかりお話を聞いてもらうことが出来てラッキーだったな、と思っていただければ幸いです。