不悪口

 今日も十善戒のお話です。

 口にまつわる戒律の続きになります。不妄語、不綺語の次は不悪口です。

 今までのものよりも、意味を推し量ることが容易な気がするかもしれません。

 しかし、一般的に用いる「悪口」を言ってはならないということではないのです。

 

 相手に対して、荒々しい言葉で罵ってはいけないというのが、不悪口戒の意味なのです。

 

 よく、「男性に失望した瞬間は何ですか」などというアンケートで「店員さんに横柄な態度をとっていたとき」なんていうのがランクインしますが、それを見ると、少し安心します。

 立場が優位であることを利用して、罵声を浴びせたり無理難題を突き付けたり、見っともないです。

 不悪口というのは、そういうことを戒めているわけです。

 それは表面にあらわれた言葉を問題にするだけではなく、むしろその背後にある傲慢な心を問題にしているわけです。

 

 法華経の中に「常不軽(じょうふきょう)菩薩」という比丘がでてきます。

 インドの話なのに、漢字でこんな不思議な名前がついているのは、名は体を表すパターンです(以前に出てきた月蓋長者もそうでしたよね)。

 この方は、出会った方に対しては誰に対しても礼拝してこう言ったそうです。

 「わたくしは、あなたを敬います(軽んじることはいたしません)。なぜならば、あなたは必ず仏になられる方ですから。」

 

 中には、気持ち悪がる人もいます。少し修行をして自信満々な僧侶なんかになると、なんでお前のようなひよっこに、おれが仏になるなんて予言されなければならないんだ、と腹を立てたりもしました。

 石を投げられたり、迫害を受けながらも、全ての人に対して「仏の種」を見出し、敬い続けた結果、この方は、のちにお釈迦さまとなられたのです。

 

 ちなみに僧侶の世界では、戒律として、たとえベテランの僧侶であろうと、相手がいくら新米の僧侶だからといって侮辱してはいけないとされています。実際に守られているかどうかは疑問ですが。ただ、実際、坊さん同士で、相手を馬鹿にして足を引っ張ったり意地悪をした人は、後々ろくでもないことになっているのは目にしていますね。

 

 「相互礼拝 相互供養」とはよく言いますが、どうしても仏の種なんか入ってなさそうな人もいて、手を合わせるどころか、手をあげたくなる人もいると思います。

 そんな人に対しても「悪を知らせてくれる人に感謝する」という心を持つことはなかなか難しいです。

 

 それでも、不悪口戒をお唱えすることで、自分自身の傲慢さを意識して抑える機会とするだけでも素晴らしいことでしょう。

 

※ 令和三年三月の薬師護摩での法話に加筆修正したものです。