不綺語

 今回も十善戒のお話です。

 前回の不妄語に続いて、言葉に関する戒です。

 「不綺語」

 「綺」とは「綺麗」の「綺」ですから、悪い意味が無いように感じるかもしれませんが、そうではありません。

 意味としては、中身のない、無意味な言葉ということになります。

 ついでに申し上げると、反対語は「道義語」です。

 

 中身や意味がなくったって、会話の潤滑油になるならいいではないか、と思うかもしれません。

 たしかに、その通りなのですが、逆にそのことが、不綺語戒を守ることを難しくしているとも言えます。

 たとえば、前回の不妄語戒なら「嘘をつかない」ですし、予習になってしまいますが、来月以降の口に関する戒律である「不悪口戒」「不両舌戒」なんかは、文字通りの意味ですから、何がタブーなのかは明白です。

 

 一方、不綺語戒の場合、タブーかどうか不明瞭な場合があります。

 

 落ち込んでいる人を前にして、励ますつもりで、他愛のない冗談を言う。

これは、意味のない言葉ではないですよね。

 でも、葬儀の場で、同じように冗談をいうのは、不綺語戒に反する以前に、非常識とされるでしょうね。もっとも、それすら絶対ではないです。

 

 先日、ある方の家族葬に行ってまいりました。

 花入れが終わり、出棺までのお別れの時間になりました。

 すると、長女の方が、亡くなられたお父様との思い出を楽しそうに話してくださいました。すると他の姉妹の方や、親族の方も「そうだったよね♪」とか、「えっ、そんなことがあったの?」とかいう話になり、めいめいに故人様との思い出を、時には涙を浮かべて、時には笑ってお話しされていました。

 コロナの影響もあり、大規模な参列者を呼ぶ葬儀が減り、家族葬が増えています。でも、今回は、親しい家族だけだったからこそ、みんなが素の気持ちで、故人様との思い出を語り合えたのかなと思いました。

 葬儀の際の、こういう笑い声は大歓迎です。

 一方で、親しくもない会社関係の人などが多く集まる葬儀で、名刺交換の場や、同窓会の場と化した中で聞こえてくる笑い声は、正直勘弁してほしいです。

 

 少し、話はそれてしまいましたが、結局のところ、「不綺語戒」に反しているかどうかは、TPO次第なのでしょう。

 そして、それを判断する基準は、「慈悲」以外にないのでしょう。

 

 言葉を整えると心が整う、心が整うと言葉が整う。鶏が先か卵が先か、みたいな話ですが、どちらも正しいように思います。

 無駄に言葉を垂れながすのではなく、慈悲の心のフィルターを通して、最も意味のある言葉を選んでいきたいものです。

 

※ 令和三年二月の薬師護摩での法話に加筆修正したものです。