運がいい(令和2年星祭の法話)

有名な話ですのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

松下幸之助さんは、入社面接の最後にこう尋ねたそうです。「あなたは運がいいですか?」と。そして、「運が悪い」と答えた人は、どんなに成績優秀であっても不採用としたそうです。

理由は色々あるようですが、いくつかをピックアップしますと「運がいい」と答える人は、自分が成功しても自分だけの成果とは考えない。運もそうですが、人の縁などいろいろな要素で成功したと分かっているから、謙虚でいられる。また恩返しということで社会に貢献しようとする使命感を持つ人であることなどが挙げられています。

よく考えると、そもそも「運の悪い人」なんて居ないのかも知れません。『涅槃経』の中に「盲亀浮木の譬え」というものがあります。目の見えない海亀が、百年に一度浮き上がってきた時に、偶然穴の空いた浮き木の穴に首を突っ込むという寓話で、人に生まれることの難しさ、さらに仏法に出会うことの難しさを譬えたものです。だからこそこのめったにないチャンスを無駄にすることなく、感謝して努力せよというものです。

つまり人に生まれた以上、それだけで強運です。ましてやこの平和な日本に生まれたなんてかなりの強運と言えるのではないでしょうか。運を数値化したら誰もが90点以上といったところでしょうか。ただ、人の性として隣の人が1点でも高いと自分は不運であると思いがちです。今日も星祭ということで、今年は星回りが悪いとか良いとか気にされている方もいらっしゃると思います。また厄年に当たっている方なんかは不安に思われているかもしれません。しかし、過度に恐れることはありません。厄年だからと言って運が0点になるわけではありません。せいぜい89点や88点になるくらいではないでしょうか。

よく占いなんて、と全否定する方もいらっしゃいます。たしかに占いに振り回されて人生の選択をするのもどうかと思いますが、統計的な根拠はあるように思います。たとえば厄年の時期は、体質に変化がおこりやすい時期であったり、人生でターニングポイントを迎える時期と一致していることが多いように感じます。

そういうときこそ、神仏に対して、この世に生まれることのできたことを感謝して、世に生まれた以上全力で「いのちをいかす」決意をする機会なのだと思います。

本日の護摩で仏様の加護を肌で感じ、自分たちが運のいい存在であることを実感していただけたとしたら幸いです。