施餓鬼の表白 

 法要の中で、僧侶が仰々しく宣言書のようなものを読み上げるのに気付いている方もいらっしゃるでしょう。

 

 「表白」(高野山では濁らずに「ひょうひゃく」と読みます)とか、「諷誦文」というものです。

 法要の際に、本尊様に対して法要の旨趣を啓白するものです。「表」は内心を表し、「白」は所願を表すともいわれています。

 修法の種類や、所願の性質によって色々です。葬儀で耳にする機会がおおいであろう表白では、もちろん亡者の成仏が所願として述べられます。

 

 組み立ても色々あるので一概には言えませんが、

① 本尊をはじめとする諸尊への帰命

② 本尊の様々な徳を讃える、または修法のすごさを讃える

③ 行者の所願を伝える

というパターンが多いです。

 

 ですから、お経は難しくてよく分からないという方も、表白の部分を気を付けて聞いていただけると、その法要が、どの仏さんに向けられたもので、その仏さんがどんな力をもっていて、どういう意味で、どのような願いが向けられているのか等が理解できます。 

 それが理解できると、退屈な法要も、一緒に願いを向けることのできる充実した時間になるかもしれません。

 

 今回の施餓鬼の表白ならこんな感じでした。一部抜粋ですが参考までに。

 

 敬って白す。大施餓鬼供養法会功徳廻向の事。

 伏して惟るに三世諸仏出世の本懐は一切衆生成仏の指南、如来所設の八万四千の法門は生死の苦海を渡す筏也と。

 嗚呼頼もしい哉、茲に甚深微妙の法有り。所謂施餓鬼供養の秘法是れ也。

 抑々施餓鬼供養と者、亡霊得脱の法会にして、其の施主にありては寿命長遠、福徳増長するの功徳無料広大也。

 往昔如来在世の砌、阿難、目連の両尊者・・・・(中略)

   今茲に護持信徒一同各家先祖代々幷に志す所の諸精霊の追福菩提を祈る為、恭しく有縁の浄侶を屈請し、彼の遺風を扇ぎ、先哲の旧流を汲んで施餓鬼供養の梵席を開筵し・・・(中略)

一、三世覚満十方賢聖浄仏国土成就衆生の奉為に

一、弘法大師を始め奉って三国伝燈諸大阿闍梨耶普賢行願皆令満足の奉為に

一、本日廻向精霊各々追福菩提の為に

一、本日施主各々家門繁栄子孫長久息災延命六親眷属如意円満の為に

一、三界六道有縁無縁一切霊等乃至法界平等利益の為に

右唱え挙ぐる所、如件。

 

 施餓鬼の由来は二つあって、ともにお釈迦さまの十大弟子であった阿難さんと目連さんの話がつたわっています。阿難さんは施餓鬼をすることで、早死にするピンチを免れ、目連さんの方は、餓鬼道で苦しむお母さんを救うことができたとされます。

 

 表白をご覧いただくと、亡者への追善供養と、生きている者の幸せの「両にらみ」の法要であることが分かっていただけると思います。

 それだけ功徳が大きいというのは、やはり施餓鬼が、全ての亡者に向けて供養するという「究極の布施」だからなのかもしれません。

施餓鬼2021

 本日は施餓鬼法要にお参り下さり、ありがとうございます。

 

 いつもよく分からないお経(理趣経なんですけど)を聞かされてばかりでたまらないと思っておられたかもしれません。

 その点、今年はよくわかる内容の歌があったりして、少し趣が違うと感じたのではないでしょうか。

 普段、嗜んでおられる方もいらっしゃるかと存じますが、今日のはご詠歌、正確には和讃というものです。ご詠歌は和歌のように5、7、5、7、7で完結するのに対して、和讃はそれよりも長いものです。

 

 今日の曲は「相互供養和讃」というものです。

 歌詞は以下の通りです。

一、一樹の蔭の雨宿り 一河の流れ汲む人も

  深き縁の法の道  歩むに遠き行くてをば

二、情けに包む人の慈悲 供うる人も受くる身も

  共に仏の御光を  受けて輝く嬉しさに

三、施主の功徳を称えつつ 御名唱えて報いなん

  南無大慈如来尊 南無大師遍照尊

 

  ごくごく簡単に申し上げると、 人は、知ると知らざると多くの人と無数の縁に結ばれて生きています。

 ときには助け、ときには助けられることもあります。この長くて面倒くさい人生を、仏様の加護を等しく受けるチームとして、互いに尊敬しあいましょう、といった感じでしょうか。

 生きとし生きるもの全てが、等しく仏の子である以上、自分と他人の区別はない。

「無分別」こそが理想の境地なのですが、なかなか難しいです。

 

 他のいのちを大切にするために、まずは自分が特別な存在であることに気付く。意外と、このスタート地点を忘れがちかも知れません。

 次に、自分を育ててくれた両親に感謝する。

 さらには、命をつないでくれた先祖に感謝する。

 今度は身内だけにとどまらず、自分を支えてくれる色々な人に感謝する。

 最終的には、目に見えないあらゆる存在にまで思いを巡らせて感謝できるようになれば大したものです。

 

 本来、施餓鬼はお盆の行事とは別のものです。しかし、それが一緒に行われることが通例になっています。何故なのか。

 お盆は先祖供養です。それに対して、施餓鬼は見ず知らずの亡者を救うための供養です。要は、供養の対象を時間的にも空間的にも広げる法要です。

 

 その素晴らしい功徳をもって、仏様として先を歩いておられるご先祖さまたちにも喜んでもらうということです。

 

 誰に対しても、どんな存在に対しても「相互礼拝 相互供養」というのは正直、難しいと思います。

 しかし、日本人は、どんな人でも、死んだら仏という感覚があります。墓を暴いて、死体に鞭打つとか、死体を辱めるということを忌避する国民性ではないでしょうか。

 ですから、今日は罪深き亡者にももれなく、手を合わせて「恩赦」が一刻も早く下るように供養していただきました。

 

 さらには水向けだけではなく、般若心経もご一緒していただきました。

 布施にも種類があります。まずは餓鬼さんにおなか一杯になっていただくのが水向けです。おなかがすいていては、ありがたい仏様の教えも耳には入らないでしょうから。

 でも、それは対処療法にすぎません。いずれは、また飢えに苦しみます。

 そこで、仏の教えを施すことで、根治治療、すなわち本当の意味での救いを与えるのです。

 

 そういう意味で、今日は大きな功徳を積んでいただきました。

 皆さんのご先祖様をはじめ、沢山の仏さまたちもきっと喜んでくださったことと思います。

 本日はありがとうございました。

 

※ 令和三年七月 施餓鬼法要での法話に加筆修正したものです。

度諜(どちょう) ~僧侶の身分証~

 他の宗派の方の話です。

 無事に得度をされて、僧侶としてのスタートを切ったそうです。

 その後、京都にある本山にお参りをして、自分が得度したことがちゃんと登録されているかを確認してもらったところ、登録されていなかったそうです。

 得度した寺にクレームをつけてはじめて、その寺がその方が思っていた本山に属している寺ではなかったことが分かったそうです。

 得度をすると「度牒(どちょう)」というものが渡されます。得度証明書のようなものです。それを見ればもっと早く気づいたように思います。

 

 在家の方の中には、自分の家の宗派をよくご存じてない方もいらっしゃいます。何宗かは知っていても何派なのかまでは気にされていない方も多いことでしょう。

 ウチの寺は高野山真言宗です。本山は文字通り高野山です。関東でしたら奈良の長谷寺さんを本山とする豊山派や、京都の智積院さんを本山とする智山派のお寺が多いですね。真言宗にも大きく分けて古義と新義があり、上の例でいうと高野山真言宗は古義、智山派さんや豊山派さんは新義です。歴史的にはすったもんだあったのですが、今では正月に東寺で行われる後七日御修法という国家安寧などを願う法要なんかでも仲良くやっています。

 ちなみに後七日御修法は十八本山の山主さんの「オールスターキャスト出演」の豪華な法要なのですが、その本山とは次の通りです。

 善通寺 善通寺
 須磨寺 須磨寺
 清荒神 真言三宝宗
 中山寺 中山寺
 大覚寺 大覚寺
 仁和寺 御室派
 智積院 智山派
 泉涌寺 泉涌寺
 東寺 東寺真言宗
 勧修寺 山階派
 随心院 善通寺
 醍醐寺 醍醐派
 宝山寺 真言律宗
 朝護孫子寺 信貴山真言宗
 西大寺 真言律宗
 長谷寺 豊山
 根来寺 新義真言宗
 金剛峯寺 高野山真言宗

 

 話が大きくそれてしまいました。度牒の話に戻ります。

 かつて、僧侶は国家資格のようなものでした。度牒についても奈良時代律令制度にさかのぼるようです。

 平安時代には僧侶の質を維持するために、宗派や寺によって年度ごとに得度できる人数の定員を決めました(「年分度者」)。実際に、定員を増やしてもらおうと、自分の宗派の優位性を説くために勉強して、切磋琢磨した部分もあったようです。

 江戸自体以降は、お上によって発行されるものではなく、各本山が発行するようになりました。明治以降は、各宗派の規定によるとされたようですが、少なくとも高野山真言宗では、得度した寺や師僧の名前ではなく、本山である高野山真言宗の座主さんの名前で度牒が発行されています。

 

 ただ、れっきとした本山に属している寺であっても、本山発行の度牒と自分の寺発行の度牒とを使い分けるダブルスタンダードをもっているところもあるようです。

 ある僧侶の方から聞いた話ですが、巡拝ツアーに参加しているお客さんが、「得度をしたのだが、全然先に進ませてくれない」と相談してきたそうです。色々話を聞いていると、そのお寺はちゃんとした本山に属しているお寺なのですが、どうやらその寺オリジナルの度牒をもらっていたようです。

 そのお寺さんは、色々な方を受け入れて修行や講習の機会を熱心に提供しているお寺の様です。その中で、本気で加行を受けて阿闍梨を目指そうという人と、在家でありながらある程度仏教的な生き方をしようという人とで扱いを変えていただけなのかも知れません。

 ときどき、「在家得度」なんていう単語を聞きますが、普通「得度=出家」であることを考えるとおかしな話です。そこで、今まで通りの生活の中でも仏教的な生き方をしていこうと決心とた人は、「優婆夷」、「優婆塞」(在俗でありながら仏教に帰依する篤信者のこと)にあたるのですが、はげみになるように僧侶に準じて「オリジナル度牒」を出してあげたということなのでしょうか。

 

 僧侶派遣業者も、かつては玉石混交な僧侶がいたことによるトラブルがあったことから、ちゃんとした資格を有する僧侶であることの証明として度牒を提出させるところがほとんどのようです。しかし、度牒にも色々あるということが分かっていないと、あまり功を奏しないような気がします。

 

 在家に生まれながら、仏教修行をしようという方、さらには僧侶を目指す方の多くは、ものすごく熱心な方です。それだけに、その熱意をちゃんと汲み取ってもらえ、生かすことができる環境なのかどうかをしっかり調べていただきたいです。

 親を選ぶことは出来ませんが、第二の親である師僧は選べます。相性の悪い師僧についても不幸なだけです。僧侶の世界は、在家の者にとっては特に分からないことばかりで、本当に暗闇を歩くようなものです。そんな中で、弟子の機根を見ながら、的確に道案内をしてくれるのが師僧です。「記念得度」の人は度牒さえ手に入れば満足なのでしょうが、本気で仏道に進みたい人にとっては、得度してからが本番です。師僧次第ではその先が「無理ゲー」になることだってあります。

 安易に度牒を手に入れようとするよりも、時間をかけてよい師僧を探してほしいものです。

 

 

 

終息?収束?

 伝聞になってしまうのですが、ある宗門大学の先生(立派な僧侶でもいらっしゃいます)が、真言宗の僧侶ならば「コロナ終息」ではなく「コロナ収束」と表記すべきであると仰っていたそうです。

 

 「終息」とは「完全に制圧すること」を指すのに対して、「収束」は「ある程度落ち着くこと」という意味です。

 疫病である以上、完全に無くなってくれた方がいいじゃないかと思うかもしれません。しかし、その先生の意図するところは別のところにあるように思います。

 

 自分が、現在進行形で受けている伝授に、佐藤隆彦先生による「疫病終息の祈り伝授」というものがあります。

 タイトルは「終息」となっていますが、その中で、繰り返されて教えていただいているのは、疫病を「やっつけるのではない」ということです。

 疫病を流行らせているのもれっきとした神様で「行疫流行神」という方です。

厄介な神様ですね。まあ、死神や貧乏神という方たちもいらっしゃいますから。八百万といわれる神様たちもバラエティに富んでいます。

 真言僧は、そんな神様をやっつけるのではないのです。まず、その神様も、そんな存在になったことで苦しんでいると見るのです。ですから、自分たちは、供養して、救ってあげるのが本義であるというのです。

 実際、普段の行の中で、仏様だけではなく神様にも感謝する部分があります(「神分」)。その中で、毎回「当年行疫流行神等」として供養しています。

 

 「終息」と「収束」ではないですが、「除霊」と「浄霊」も似て非なるものです。

この場合、浮かばれない霊がいたら、邪魔だといって取り除くのではなく、供養して本来向かうべきところへ導く「浄霊」こそが理想です。

 

 自分は経験したことがありませんが、葬儀で、強い未練や怨み等の理由から、引導を渡されることに対して激しく抵抗する亡者の場合でも、まずは必死で供養することが大切で、無理やり撥遣(はっけん)するのは最後の手段と聞きます。

 

 もしかすると、力づくで白黒つけるというのは日本人の心情としては受け容れにくいのかもしれません。

 仏教に限らず、神道でも、怨霊を鎮めて、むしろその大いなる力を「有効活用」してもらうという「御霊信仰」があるくらいですから。

 だからこそ、いっときパワーワードだった「排除します」という言葉に対して、拒絶反応を起こす人が多かったのかも知れません。

 

 白黒をつけないということでは、チェスと将棋の違いも、日本人の価値観を表しているかも知れません。

 将棋では、相手からとった駒を自分の手駒にできるのに対して、チェスではそうはいきません。これは、駒の動きの違い以前の、根本的なルールの違いです。

 これには、農耕民族か騎馬民族か、ということも影響しているのかも知れません。

 つまり、農耕民族では、たとえ敵であっても降伏したものは労働力として活用できるため大切に扱い、騎馬民族であると、降伏した敵は、食糧の無駄で、移動の妨げになるから邪魔でしかないと考えるというわけです。まあ、おおざっぱな話ですし、日本民族自体、江上波夫先生によると騎馬民族由来ということですから、聞き流してください。

 

 コロナを絶対悪として、現状を最低最悪のものとして否定するのではなく、この状況だからこそ気づくこと、得られるものというのも何かあると信じたいです。

 

 "No Rain, No Rainbow"

 雨が降らなければ虹は出ない、ということわざです。

 ただし、ここでいう雨の後の、素晴らしい虹というのは自然発生的なものではなく、私たちの心次第で作り出すものなのかもしれません。

布施は100×1よりも1×100

 先日、ある業者さんの依頼で導師を勤めた葬儀を終え、帰ろうとすると、参列者のお一人から声をかけられました。なんと、以前に葬儀をしたときの喪主さんでした。本当に偶然です。というのもその以前の葬儀と言うのも、とあるお寺の下請けの下請けみたいな形で行ったものでしたから。意外と、法務を通じて多くの方と縁を結ばせていただいているのだと実感いたしました。

 

 前にも書いたかもしれませんが、拙寺は檀家が少ないですので、檀家さん以外の方の葬儀や法要を引き受けています。むしろ、そちらの比率の方が高いです。

 Facebookをご覧いただいている方なら、結構な頻度で、遠方での法務をこなしているのをご存じの通りです。

 

 多くの檀家を抱えて、ドーンと構えていれば、黙っていても高額なお布施が集まるお寺さんなんかから見れば、新幹線を利用すれば赤字になりかねない法務に、バスやら在来線を乗り継いで必死で馳せ参じる姿は滑稽に見えるかもしれません。

 

 お布施と同じようなもので、勧進というものがあります。お布施と異なる点といえば、寺の修復や仏像の建立といった風に、目的が決まっていることです。

 ただ、もらうだけでは申し訳ないので、エンターテイメント性を加えたのが「勧進能」ですし、射幸性を煽って盛り上げたのが宝くじの原点にあたる富くじだったりします。

 昔、ある勧進僧が豪商などを巡って効率よく大口の寄付を集めようとしたところ、師僧に怒られたそうです。というのも、勧進はお金を集めるだけでなく、できるだけ多くの人に仏縁を結んでもらい、その縁を深めていくという目的があるからです。ですから、金額が少なくて、手間がかかろうとも、なるべく多くの方から布施を頂くことが価値があるというわけです。

 

 話は変わりますが、袈裟には色々な種類があります。

 袈裟は「福田衣」ともいうように、あぜ道で区切られた田んぼが組み合わさっているようなデザインをしていて、五条袈裟、七條袈裟や二十五条袈裟などといった種類があります。

 ここでいう「条」は袈裟が縦方向に何分割されているかを表しています。ですから五条袈裟に比べると二十五条袈裟の方は、より細かい布を数多くパッチワークした模様になっています。

 そして、袈裟としての「格」は条数が多いほうが上です。

 

 また、袈裟は「糞掃衣(ふんぞうえ)」とも言います。

 最初は袈裟を作る際には、人からいただいたぼろ布を使いました。再利用しつくされた布ですから、洗ってもなかなか汚れがとりませんし、破れているところも多いわけです。ですから、使えそうなところを切り取って縫い合わせて作ったのが始まりです。

 ですから、前述のように田んぼのような模様になりますし、色も「糞掃衣」といわれるように茶色や木蘭といった薄汚れた色が如法というわけです。

 今では、ただのデザインになっていますし、金糸どころかプラチナ糸を使っている袈裟なんかもあります。昔のお坊さんが知ったら苦笑いすることでしょう。

 

 つまり、条数の多い袈裟の方が「格上」とされるのは、それだけ多くの方からの布施として布を頂いて作られた徳の高い袈裟だからということなのです。

 

 「縁なき衆生は度し難し」とはお釈迦さまの言葉です。

 

 葬儀の簡略化が進んでいます。自分もここ数か月で導師を勤めた葬儀の大半は、通夜のない一日葬でした。また、火葬炉の前で簡単なお経をあげて見送るだけという炉前読経も何件かありました。

 そのことをただ嘆くのでは間違っているのかもしれません。

 むしろ、こんなコロナ禍や宗教離れ…などの逆境にあっても、何らかの形でできる限りの供養をしたいと思ってくださることはありがたいことです。

 普段は、仏教なんかに興味を持っていない方たちでも、仏教にふれることになる数少ない機会が葬送の場面です。

 それすらも失われそうな気配がある中で、負担の少ない形の葬送を選択できるようになったことで、仏縁を持っていただける機会をいまなお多く頂けている現状には感謝しています。

 

 せっかくいただいた機会です。遺族の方にちゃんと寄り添える葬儀をすることで、「仏教も捨てたもんじゃないなぁ」「ちょっと仏教を勉強してみようかな」と思っていただけるように工夫しなくてはならないと思います。

必要な時間はそれぞれ

 遠い昔の記憶ですが、大学で刑法を習ったときに、いつから「人」となり、いつ「人」でなくなるのか、という話がありました。

 始期についていえば、「堕胎罪」の客体となるのか、「傷害罪」や「殺人罪」の客体となるのかの問題になりますし、終期についていえば、どこからが「死体損壊罪」になるかという問題です。

 

 終期について、20世紀前半以降は、三徴候説といって、呼吸停止(呼吸の不可逆的停止)、心停止(心臓の不可逆的停止)、瞳孔散大という3つの徴候をもって人の死の診断基準とするものが一般的です。

 呼吸停止を伴わない所謂「脳死」を死に含めるかどうかで争いがあるのはご存じの通りです。

 

 かつて日本では人が亡くなった(ような)状態に陥ると、まずは「反魂」といって、死者の魂を肉体に戻して蘇生させようとしたそうです。そして、どうしようもないとなった時点ではじめて死者として扱い、「鎮魂」の作法に移行したそうです。

 今でも、「末後の水」までは生きている人として扱ったりしていますね。

 

 「死」をどこかの瞬間に限定して、その瞬間から「人」が「遺体」となり、「家族」が「遺族」になると線引きすることがそもそも不自然なのかも知れません。

 さきほどの三兆候説などを用いて死の瞬間を決めるのは、あくまでも社会における便宜上のことにすぎないでしょう。

 

 実際、下級審判決ではありますが、すでに死んでいるのですが、まだ生きているような状態の人を殺そうとした事案について「殺人未遂罪」が成立しています。

 すでに死んでいる以上、どう頑張ってみてもあらためて命を奪うことは不可能ですから、「不能犯」(どう考えても危険性がないので、犯罪が成立しないケース)となってもおかしくはないのですが、そうではないのというのも、心情的には理解できます。

 

  死を迎えたあとも、「曖昧な期間」があります。

 四十九日がそれです。

 インドでは、この期間は「中有」といって、死でも生でもない期間としています。この期間を終えると、無事に次の生に輪廻すると考えています。そして、その輪廻から逃れるために目指すのが「覚り」というわけです。

 ですから、仏教原理主義者でインド仏教以外は仏教に非ず、という方は、四十九日以降の一周忌だとか三回忌だとかをやることはナンセンスだと仰るわけです。だって、もう生まれ変わってしまっているわけですから。

 

 ただ、日本の仏教の考え方は少し違っています。中国での十王思想といった、死後に何回も裁判を受けるという話から、遺族が「追善供養」することで、弁護側の証人として、情状酌量を願い出るかのような効果を生じて、無事に極楽行きを勝ち取るのだという考え方になります。日本では、さらにチャンスが三回増えて、十三仏信仰でおわかりのように「十三審制」という裁判の長期化がされているわけです。

 

 ここで、「葬儀の時に成仏したんじゃないのか」とツッコミを入れる方はよくわかっておられる方です。

 その通りです。自分たちも葬儀の際には、成仏してもらえるように色々なことをして引導作法をしているわけです。

 ただ、成仏したと言っても仏様としては「若葉マーク」というわけです。ですから、この場合、十三仏は裁判官というよりも、ヨチヨチ歩きの仏様を少しずつ指導して、立派な仏様にしてくださる先輩と考えた方がよいでしょう。

 

 そして、この期間は亡くなった方の為の時間であるだけではなく、残された方にとっても大切な時間です。

 真言宗ではあまり使わない表現ですが、回忌について下のような呼び名をすることがあります。

  初七日・・・初願忌

  二七日・・・以芳忌

  三七日・・・洒水忌

  四七日・・・阿経忌

  五七日・・・小練忌

  六七日・・・檀弘忌

  七七日・・・大練忌

といったものです。

 細かい意味の説明は致しませんが、故人と遺族の進むプロセスを上手に表現したものになっています。

 故人の冥福を最初に願う初願忌で勇気づけられた故人は、「芳舟」に乗り彼岸に渡り、少しずつ仏様として修行をされます。そして、四十九日において、大いに修練されたことをもって、仏様として「仮免許」から、一人前の仏様になるというわけです。

 一方で、遺族の心の動きをも表しています。たとえば、四十九日の大練忌は、「未練」をたちきり「大いに練る(=悟る)」という意味で、遺族が故人の死を受け入れる時期という意味でもあります。また、百か日を「卒哭忌」とも言います。こちらは文字通りの意味です。

 

 古来より、大事な人の死を受け入れて日常に戻るのには、これくらいの時間を要すると考えられてきたということでしょう。

 

 ただ、これもあくまでも「平均値」や「理想値」にすぎません。

 中には、「四十九日を過ぎても納骨もしないと、死んだ人が迷う」とかいう、出典不明のことを言ってくる人もいて、遺族の方を悩ませることもあります。また、どこで聞きつけたのか、霊園や墓石のパンフレットやDMが送られてきてプレッシャーをかけてきたりします。

 

 そもそも葬儀関係のことは、仏教由来の儀軌や経典によるものではなく、習俗によるものが大半です(中には三日以内に納骨するような地域もありますし)。ということは、地域や時代によって同じである必要はありません。さらに申し上げると、故人と遺族の関わり方も様々ですし、考え方も様々です。

 

 無理にどこかの時点で「家族」から「遺族」へと切り替える必要はないのではないでしょうか。

 むしろ、いつまでも「家族」であり、「遺族」でもあるというのが自然なのかもしれないですね。

 

 

 

不慳貪

 今日も十善戒の話の続きです。

 今日からは「心」の戒律です。

「不慳貪」とは、ごく簡単に言えば、物惜しみをしないこと、欲張らないことです。

 

 以前に、塾で教えていたときのことです。

 同僚の社会の先生が授業を終えて職員室に戻ってきて、こんなことがあったと話してくれました。

 小学校六年生の社会の授業で、世界恐慌の単元だったそうです。

 東北の寒村の子供が、大根を丸かじりして飢えを凌ごうとしている写真を紹介したそうです(皆さんも教科書で見たことがあると思います)。

 それを見たひとりの児童が「あほや、あほや」と言ったそうです。

 普段はおとなしい先生が、ものすごい剣幕で「誰がアホやねん!」と怒鳴りつけたところ、さすがにその子もまずいと察したようで、とっさに「(アホなんは)僕」と言ったそうです。

 

 何か、現代の風潮としてお金を持っていることが偉い、貧乏なのは才覚が無い、みっともないことといった価値観が蔓延しているような気がします。「清く 貧しく 美しく」なんていう言葉は過去の遺物といったところでしょうか。

 さらには、いかに楽して手っ取り早く上手に稼ぐかという点が格好良さの基準となっていて、汗水たらして働くことが美徳ではなくなっているようにも思います。

 

 もちろん、お金を稼ぐことが悪いわけではないですし、商才のある人を見ると素直にすごいなあと思います。お寺だって、商売上手なところがありますし。

 しかし、真のお金持ちが尊敬されるのは、お金を持っていることではなく、いかに上手に使うかということではないでしょうか。江戸時代の豪商の中には、幕府による社会保障などというものが機能していない中で、民間レベルでのセーフティネット的な役割を果たしていた者も結構いたようです。

 

 といっても、あやしい宗教(もどき)みたいに、全ての財産を教団に寄付して・・・とかいうつもりはありませんし、そもそも「欲」を否定するつもりもありません。

 むしろ、「欲」を上手に原動力とすることを真言宗では説いています。

 

 欲にも「悪い欲」と「良い欲」があります。「少欲」と「大欲」ともいいます。

 悪い欲は面倒です。満たされることのない無間地獄のようなものです。

 のどが渇いたからといって、海水を飲み続けるようなもので、永久に満たされることがない欲です。

 はたから見ていると裕福で何の苦労もないだろうな、と思える方が、まったくそうではないということは珍しいことではないですね。

 

 前にも申し上げたと思います。百パーセント他人の為なんていうのは聖人でないと無理です。念珠をするとき、みなさんは「自分方向 他人方向 自分方向」と擦ります(高野山真言宗の在家の方向けの話です)。

  それと同じように三分の一だけでも、人の為と思って欲をむけることができれば十分に「大欲」といえるのではないでしょうか。

 なかなか難しいかもしれませんが、こういう機会に不慳貪戒を確認することで意識していければと思います。

 

※ 令和三年六月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。