そこに仏様はいますか?

 先日、回忌法要で伺った家の方から質問されました。

 内容は、家の仏壇の上には部屋があるため、歩き回ったりして、失礼があってはいけないと思い、仏壇の上に手書きの「空」の文字を書いた紙を貼ったのだが、それでいいのでしょうか、ということでした。

 

 これは「雲切」というものです。

 平屋の家が当たり前だった時代には問題にならなかったのでしょうが、二階建ての家、さらにはマンション住まいの方が多くなるにつれてよく用いられています。

 仏壇の場合はあまり問題にしないですが、神棚の場合は結構、一般的で、教義によるものというよりも習俗といった方が良いでしょう。

 神棚の上に「雲」「天」「空」の文字を置くことで、神聖な神棚の上には何もないですよ、という意味の結界をはるようなものです。

 

 以前、別の檀家さんからは、仏壇の裏がトイレにあたることが申し訳ない気がする、という相談があり、その際には烏枢沙摩明王の御幣をご用意して不浄除けの結界をはらせてもらったこともあります(以前にFacebookであげた黄色い御幣です)。

 

 いずれの方も、仏壇がただのインテリアになっているわけではなく、仏様をお迎えする応接室と見ておられるからこそできる心遣いなわけで、非常にありがたい思いをいたしました。

 

 以前に、社会人向けに仏教を教える塾で講師をしていたことがあります。

 そこは、知識として仏教を学ぶだけではなく、僧侶を目指そうという方も結構おられました。

 ある千葉のお寺さんの一角を教場としてお借りしていたのですが、あるときその寺の方からこんなことを言われました。

 「おたくの生徒さん、本堂の前で手を合わせる人少ないよね。」

 恥ずかしかったです。

 寺は仏様のお住まいです。本堂の前を素通りすることは、目の前にいらっしゃる仏様に挨拶しないで横切ることです。一般の方なら仕方ないですが、僧侶を目指す方がそれというのはあまりにお粗末です。残念ですが、これは教えられたからするものではないと思います。そこに仏様がいると感じているのかどうかということにつきるのではないでしょうか。

 

 よく、仏壇の飾りつけや、どんなお経をあげたらよいのかを尋ねてくださる方がいます。一応、一般的な答えは用意できますが、唯一絶対のものではありません。

 

 結局は、そこに、仏様がいらっしゃると思い、おもてなしをするということにつきるのではないでしょうか。

 難しいお経をあげないと駄目だと思い、後回しにしてしまうよりも、朝起きたら「おはようございます」とご挨拶をし、夕方には「ありがとうございました」と感謝。

 季節の美味しいものが手に入ったら、先に仏壇にあげてから食べる、とかいった簡単なことでも仏様はよろこんでくださるでしょう。

 

 以前にも書きましたが、「仏様だから拝むのではなく、拝むからこそ仏」です。

 仏様に近くにいてもらえるかどうかは、私たち次第なのでしょう。