仏壇は小さなお寺

 最近は仏壇もコンパクトでお洒落なものが増えてまいりました。

 昔の家のように仏間が当然のようにあった時代とも違いますし、マンションに冷蔵庫ばりに大きな仏壇というのもアンバランスだったりしますので、当然の流れといえるでしょう。

 

 先日、四十九日で伺ったお家(檀家さんではありません)でも、家具調のモダンな仏壇がご用意されていました。

 仏壇の開眼もお願いしますということでしたので、始めようとしたのですが、中にはお位牌はあるのですが、ご本尊様がいらっしゃらないのです。

 てっきり、お飾りするのを失念されているのかと思い、「ご本尊様はどちらですか。」とお尋ねしたところ

 「うちは、無宗教なので。」

 少し、固まってしまいましたが、とりあえず仏壇としての開眼は行いました。

 

 仏壇の荘厳というものは、宗派によって決まっています。

 しかし、モダンな仏壇が増えており、それが当てはまらないケースも増えています。

 昔の仏壇でしたら、中が「三階建て」になっているものが多いのではないでしょうか。

 そして、一番上の部分は、中央左右の三か所に分割されているのではないでしょうか。

 その中央にご本尊を安置します。真言宗でしたら、大日如来です。

 その左右には、高野山真言宗でしたら弘法大師不動明王です。派によっては覚鑁さんになったりします。

 位牌はその下の壇というのが一般的です。

 

 ただ、実際にはそうなっていないご家庭も多いようです。

 うちの檀家さんの仏壇でも、ご本尊さんが大日如来ではなく、釈迦如来阿弥陀如来の方がいらっしゃったり、先祖の位牌がセンターをはっていて、ご本尊様が隠れてしまっていたりです。

 それを否定するつもりは毛頭ありません。

 日々、心を込めて手を合わせていただくことが大事なのであり。それにふさわしい「応接室」としての体をなしていれば十分だと思います。

 

 先日、お寺に来られた方が

「たくさんの仏様に守られていいですね。」

と仰いました。

 たしかに、その通りです。そして、そのお寺のミニチュア版というか、出張所であるのが仏壇です。

 そのように考えると、ご本尊のいらっしゃらないお寺がありえないのと同様に、ご本尊のいらっしゃらない仏壇というものもおかしいわけです。

 それは、ただ位牌を納めるための厨子、入れ物というだけです。

 今では、納骨堂や位牌堂をそなえる寺も多いですが、そういう場所でも、お骨や位牌だけがあるわけではなく、大抵、仏様が安置されています。

 

 たしかに、葬儀で引導作法を行うことで、亡くなった方は「仏様」になっています。しかし、「ルーキー仏」なんです。ですから、初七日の不動明王にはじまる十三仏に代表される色々な仏菩薩を巡って修行していく必要があるのです。

 ですから、仏壇に手を合わせるときには、故人様だけではなく、故人様を導いてくださるように仏様にもお願いするのが礼儀なのではないでしょうか。

 

 仏壇のご本尊様は、真言宗でしたら大日如来なのですが、真言宗のお寺でも大日如来が本尊のお寺ばかりではありません。かくいううちの寺も薬師如来です。

 これは密教の素敵なところでして、あらゆる仏が大日如来の化身と考えられるから、どんな仏様でもOKというわけです。

 

 以前に、別の方からは、こんなご相談を受けました。

 自分が葬儀をした方で、四十九日までに仏壇とご本尊様を用意したいが、お寺でお願いできないか、ということでした。

 自分は、毎日お顔を拝むご本尊様ですから、ご自身でお気に入りの仏様を見つけてくださいと、お伝えしました。

 四十九日の当日、仏壇には、素敵なお顔の大日様が座っておられました。

 

 宗教によっては、偶像崇拝を禁じているところもあります。教義こそ重要ということですね。たしかにその通りかもしれませんが、文字だけではなかなか理解しにくいののも確かです。

 

 私たちはなかなか簡単に仏様にはなれません。

 まずは仏様の真似をすることからはじめるしかないでしょう。

 真似をしたいと思う理想の仏様を前にして、日々手を合わせ、対話をすることがその役に立つことでしょう。

 

 自分用の小さなお寺を持ってみませんか。