拝むから仏になる

 お寺にも色々な営業の方がいらっしゃいます。先日は香木の営業の方かいらっしゃいました。

 一押しは白檀で作られた仏像の様で、しきりに勧めてきましたが、「今、いらっしゃる仏様だけでもお護りするのが大変なんです。」とお断りしました。こちらの真意は分かっていない様子でした。

 

 一方、最近お寺の行事の際に、お手伝いしてくださっているお坊さんは、はじめて拙寺にいらっしゃったときに「仏様のほかに祠もありますし、大変ですね。」とおっしゃいました。さすがです。

 

 お寺は、博物館でも美術館でもありません。仏様がたくさんいらっしゃればそれだけで安心というわけではありません。仏様をお護りさせていただいている以上、失礼の無い様に供養をしつづけなければならないです。

 

 仏様の御供養というか、拝み方にも色々あるのですが、特定の仏様だけを取り上げて大切に拝む方法として「一尊法(諸尊法)」というものがあります。

 阿弥陀様ならば「阿弥陀法」、お地蔵様なら「地蔵法」といった具合です。とはいえ、全ての仏様を毎日手厚くご供養はできませんので、それぞれの仏様のご縁日だけでも、ということで修法させていただいています。

 拙寺では薬師様の縁日である8日は薬師護摩、15日は阿弥陀法、18日は観音法、21日は大師法、24日は地蔵法、28日は不動法です。ほかにも大黒天様や弁財天様などもいらっしゃるのですが、十分にご供養出来ていなくて申し訳ない状態です。

 

 あるお寺(うちじゃないですよ)に、ちょっと「見える系」の方がいらっしゃって、立派な護摩壇の近くを見回すと、そばにいた役僧(勤務している僧侶)さんにこう言ったそうです。

「しばらく拝んでませんよね。」(アタリです)

 

 拙寺に数か月ぶりに来た僧侶の方が言いました。

「このお不動さんって前からいらっしゃいましたか? 前は気づかなかったんですけど」

 拝んでいるおかげで、以前よりも存在感を増してくださったんでしょうか。

 

 僧侶になりたての頃、最初に教えていただいたのが開眼作法でした。魂入れともいいます。皆さんも、自宅の仏壇や、御位牌、仏像などの開眼をしてもらったことがあるかもしれません。

 そのときに伝授阿闍梨さんにこのように言われました。

「仏様の力は、開眼した僧侶の力を反映する。今のあなたたちの力では大した仏様にはなりません。だから施主さんにしっかり拝むように伝えなさい。そうすることで立派な仏様になります。」

(余談ですが、そのとき、「だから魂入れは難しくない。むしろ魂を抜く方がはるかに難しいので注意しなさい」とも言われました。今ではよくわかります)

 

 仏様だから拝むのではない。拝むからこそ仏様になる。

 

 ピカピカで立派な新しい仏様がお祀りされているお寺よりも、地味で素朴ながらも昔から拝まれてきた仏様のいるお寺の方にありがたい、心地よいものを感じるのは気のせいではないのかも知れません。いくらハードが立派でも仏様の力が働いていないようなお寺はまさしく「がらんどう」です。

 

 みなさんがお参りされたときに、仏様を近くに感じていただけるように、しっかりと拝み続けていかなくてはと思います。