御影供2024

 御影供に毎年、同じ話ばかりでは退屈されると思います。

そこで、今年からお大師様のエピソードをお話してきたいと思います。

あとで、広間にかけてある「弘法大師行状絵図」で確認していただければ、と思いますが、「捨身誓願」という話です。

 

 お大師様が七歳の時、まだ「真魚(まお)」ちゃんと呼ばれていた頃のことです。近くの捨身ガ嶽に登り「私は大きくなりましたら、世の中の困ってる人々をお救いしたい。私にれだけの力があるならば、命をながらえさせてください。もしそうでなければ、この命を捧げます。」と仏さまに祈り、谷底めがけてとびおりました。すると、どこからともなく美しい音楽とともに天女が現われ、しっかりと受け止められました。

 

 かなり無茶をするお子様だったようですが、お釈迦様も似たようなことをされています。もっとも、お釈迦様の前世の話です。

 お釈迦様が「雪山童子」として真実の法を求めて修業をしていたときのことです。これは名前ではありません。「雪山」というのはヒマラヤのことだといわれています。要は人里離れた雪山の奥でひたすら覚りを求めて修業していた子供のことです。頑張っていますが、なかなか覚りに至りません。

 すると、どこからか声が聞こえます。耳を澄ませて聞いてみますと

 諸行無常 是生滅法

と言っています。諸行無常は「平家物語」の冒頭でもおなじみですね。この世のあらゆるものは変わらぬものはない。生じたものはいつかは滅してしまうというのが真理である、という意味です。

 

 雪山童子は、これこそ求めていた真実の教えだ、と喜び、声の主のもとへ駆けつけると、そこには鬼がいました。普通でしたら、逃げ出すところですが、真理に近づきたい童子は、是非続きを聞かせてくれるように懇願します。

 しかし、そこは鬼のことです。キャラ通りのリアクションをしてくれます。「お前を食わせてくれるなら、聞かせてやる。」というのです。常識的には、交渉決裂となるところですが、童子は承諾します。すると鬼は続きを聞かせます。

 生滅滅已 寂滅為楽

 生滅の道理に反する執着を無くしたときに、心の平穏が得られ覚りに至るという意味です。

 

 これを聞いた童子は、せっかくの教えが失われてはいけないと思い、近くの岩に刻むと、満足して山頂から身を投げて、鬼に捧げます。すると、鬼は本来の姿である帝釈天となり、童子を受け止めます。そして、いずれ仏陀となり人々を救う存在になることを告げ、礼拝されたという話です。

 

 お釈迦様が前世で命がけで手に入れたこの教えは「雪山偈」とか「無常偈」とか呼ばれています。覚えられなくても大丈夫です。みなさん、もう知っていますから。

 色は匂へど 散りぬるを

 わが世誰そ 常ならむ

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見じ 酔ひもせず

 「有為の奥山」とは迷いの世界。無常を知り、執着を除くことで、迷いの世界を抜けて、覚りに至るという同じ内容です。

 

 この「いろは歌」の作者には、色々な説があります。その中の一人に弘法大師が挙げられています。自分は立場的にお大師様が作られました、と言い切るべきかもしれません。真言宗では「宗歌」にもなっています。

 

 よく、密教は仏教ではない、なんて言う方もおられますが、やはり仏教の範疇であることに間違いはないと思います。むしろ、いろは歌のように、日本人に分かりやすくアレンジしてくださったのだと感じます。今日の御影供、お大師様を通じて仏教を学ぶ機会になれば幸いです。

 

※ 令和6年3月 正御影供での法話に加筆修正したものです。

 

修業は目的ではない

 スポーツ選手に「憧れの選手は誰ですか?」なんてインタビューしているのを見ることがあります。

 同じように、自分たちが「憧れのお坊さんは誰ですか?」と言われたらどうでしょうか?本当でしたら宗祖弘法大師の名前を挙げるのが筋なのかもしれませんが、あまりにもすごい存在過ぎて、憧れや目標として名前を挙げるのすら憚られる気がします。

 

 それでも、少しでもお大師様を追いかけたいということで、同じ修業をされている方もおられます。その代表が「虚空蔵求聞持法」というものです。

 内容としては虚空蔵菩薩のご真言である「ノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ」を50日間もしくは100日間で100万回唱えるというものです。お大師様は、四国の太龍寺室戸岬で修法されました。特に室戸岬で修法された際には、明けの明星が口に飛び込む神秘体験をされ、悟りに到達されたといわれています。

 どれくらい大変か想像できないかもしれません。自分が行法でお不動さんの真言である「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」を1000回唱えるというものがあるのですが、大体50分ちょいかかります。100万回の真言を100日なら一日で1万回ずつ、50日なら2万回ずつです。起きている間はひたすら真言を唱えないと間に合わない計算です。

 そんな過酷な行なのですが、自分の知っている方で、二度もこの行をされた方がいらっしゃいます。本当に頭が下がります。

 

 こんなすごいお坊さんもいると思えば、こんなお坊さんもいます。

 ある霊園の彼岸法要に呼ばれたときのことです。先輩の僧侶お二方とご一緒させていただきました。

 その法要には、いつも素敵なお菓子を差し入れしてくださる施主さんがいらっしゃいました。そのときも自分では買ったこともないようなお菓子を差し入れてくださいました。

 「どんなものが気に入っていただけるか分からないので・・・。お口に合えばよろしいですけど・・・。」

 自分と、一番年長の僧侶の方は、ただただ感謝の言葉を返したのですが、もう一人の方はというと

 「そうねえ、誰もに気に入ってもらえるものですか・・・。そうですね、米なら誰だって食べるじゃないですか。そうですね・・・お米券なんかいいと思いますよ。」等と熱弁を振るわれました。

 その間、施主の方の表情がどんどんこわばっていくのに、自分たちはフォローをあきらめました。感謝という単語が、その方の辞書には載っていないようでした。

 

 これは、知り合いのお坊さんから聞いた話です。やはり、ある霊園の彼岸法要に参加したそうです。そこでも、色々な施主さんから霊園にお菓子の差し入れがあったらしく、その一部を坊さんに、ということでいただいたそうです。

 その中に、虎屋の一口羊羹があったようで、一番年長の方が分けていったそうですが、人数でうまく割り切れなかったそうです。すると、もう一人の方が、全部箱に戻すように指示をしたそうです。そして、虎屋の羊羹を箱ごと自分のカバンにしまったそうです。そして、テーブルには「虎屋じゃない」お菓子が残されたそうです。呆気にとられて、何も言えなかったそうです。


 どうせ同じお布施を渡すなら、最初のお坊さんがいいですよね。二番目や三番目のお坊さんは願い下げではないですか。

 

 すみません。それ、無理なんです。

 何故って、これ全部、同一人物なんです・・・。

 

 すごい修業や苦行をしたことが、その方の人柄を保証するものではありません。修業はそれ自体が目的ではなく、手段でしかありません。何のための手段かというと、たとえば「上求菩提 下化衆生」とか、でしょうか。自分の覚りを目指す一方で、衆生を救うという意味です。

 

 今日は、護摩に参加していただきました。修業といって良いでしょう。もちろん、個人的な願い事を込められた方も多いでしょう。自分も、それが仏さまに届くように修法致しました。しかし、それが最終目的ではありません。

 健康を手に入れたならば、その身体を使って世のために働く、財産を手に入れたならば、それを社会に有用なことに使う、というところまで思いをめぐらさないと、ダメなのでしょう。神仏もそういう方に手を貸してくださるのだと思います。

 

※ 令和6年3月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

 

仏教は哲学ではない

 お寺にいますと、檀信徒以外の方から、色々な質問を受けることがあります。

 先日は、電話にて「ふきょうし」になりたいとの相談を受けました。

 どうやら高野山真言宗の「本山布教師」のことのようです。高野山内の金剛峯寺などで布教をする僧侶のことです。お大師様のお膝元で、宗門を背負って布教をする立場ですので、講習会を受け、試験を突破しなくてはなりません。そして、その受講資格は、教師、すなわち加行を終わって住職資格を持っていることです。

 そのことをその方に告げると、「高齢で身体に自信が無いため、加行はできない」とのこと。しかし、「仏教に対して知識は十分あるから、どうにかならないか」と食い下がります。

 そこで、「別に本山でなくても僧侶であればどこでも布教はできますし、むしろそうすることが僧侶の責務ですよ」と申し上げました。

 すると今度は、「まだ普通の仕事もしているので、髪を剃らずに得度できませんか?」。

     

 どうやら、この方は仏教を「信仰の対象」ではなく「知識や学問の対象」としかとらえていないように思いました。

 実際、仏教と哲学との区別は難しく、重なり合う部分も多いです。真理を求め続けるという点などは共通部分です。むしろ、真理を求めようとしないものは「仏教もどき」ではないでしょうか。

 では、異なる部分はどの点か、というと「体験」「実践」を伴うかどうかだとも言われます。

 仏教も宗教である以上、実際の信仰、信仰に伴う宗教的行為や活動を通じてしか理解できない部分があり、そこに本質的なものが多く含まれているというのです。

 実際、在家出身でわざわざ僧侶になろうという人の中には、死を覚悟するような大病から生還した、人生のどん底から光明を見出した、といった「奇跡」をきっかけとしている方が多いです。そして、その方たちは強固な信仰心をもち、とりわけ熱心な方が多い様に見受けられます。

 もちろん、お寺に生まれた方でも、名僧になられたような方の話には、そのような逸話を目にすることが多いように思います。

 では、そのような貴重な奇跡体験をしないと強固な信仰心は芽生えないのでしょうか。仏教の真髄に触れることはできないのでしょうか。

 

 違うと思います。

 奇跡体験をするのではなく、奇跡体験に気づいて、意識して、感謝することが必要だというのが正しいのだと思います。

 

 どういうことでしょうか。

 

 以前にも書きましたが、お釈迦様はこうおっしゃっています。

人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」

 人に生まれたことの奇跡、しかも、仏教をはじめ、色々なことに思いを巡らす余裕のあるこの平和な世界に生まれた奇跡を、私たちは当たり前のように思ってしまいがちです。しかし、こんなチャンスはもう無いかもしれません。

 

 勤行で最初に唱えることの多い開経偈は、そのことを再確認して感謝する宣言です。

  

  無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

  百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

  我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅーじ)

  願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

 

 どんなに上手くお経を唱えるよりも、自分の置かれた環境が奇跡であることに感謝してから唱えるお経の方がどんなにか素晴らしいものになるでしょう。

 誰もが「奇跡の存在」です。大切に生きていかなくてはならないですね。

 開経偈、是非とも口に出してお唱えください。

 

※ 令和6年2月 寺報「西山寺通信」26号の内容を加筆修正したものです。

涅槃図 2024

 今年も2月の間は涅槃図を展示しています。

 お釈迦さまが入滅されたのは、はっきりした年代は争いがありますが、紀元前5世紀ころの2月15日とされています。

 そのことから、お釈迦さまへの報恩の意味で涅槃会を執り行うお寺も多いです。拙寺でも、派手な法要は致しませんが、涅槃図をご覧いただくことで、お釈迦さまの遺徳を讃えています。

 

 涅槃図には色々なメッセージが込められています。その中のいくつかを紹介したいと思います。

 

 お釈迦様は生身の人間なのですが、特別な方だということで、普通の人とは異なる特徴を備えたとされます。あの独特の髪形や眉間の白毫というのもそうです。ついには「ビッグな」存在というのが物理的な意味でも「ビッグな」存在であらわされるようになり、身長は5m近くになってしまいます。

 

 そんな超人みたいな方ならば、不老不死も可能だったんではないだろうか。そして、人々を導き続けてくれてもいいように思わないでしょうか、と思いませんか。これについては、自ら「無常」を伝える必要があったなんていう理由をあげる方もおられます。他には、自分が死なないと、みんな甘えてしまって本気で覚りを目指さないからだったという理由をあげる方もおられます。

 なるほど、いつでも頼れる人が近くにいると、自分でどうにかしようという気持ちが弱くなってしまうかもしれません。

 実際に、いつもそばに付き従っていた阿難さんというお弟子さんは、一番近くでお釈迦様の教えを聞いていたのに、まだ覚りに至っていません。それなのにお釈迦様が亡くなると知ったときの嘆き方は半端ではないです。涅槃図でも地面に這いつくばって派手に悲しんでいる姿で描かれています。

 

 しかし、お釈迦様は最後に仰います。

「自らを燈明とせよ 法(正しい教え)を燈明とせよ。」

 結局は、自分でどうにかしなくてはならないのです。そして、頼るべき正しい教えはすでに伝えてあるだろうと仰ったのです。別の場面では「私はもう拳を握っていない」すなわち、手の内に隠したものはもう何もないよ、と仰っています。

 

 お釈迦様は亡くなっても、人々を救いたいという思いや、そのための教えというものは不変です。それを示すのが後方の木です。平家物語の冒頭でも有名な沙羅双樹の木が、右と左に4本ずつ描かれています。よく見ると、葉の色が違うのに気づくでしょう。右は枯れていますが、左は青々としています。これは、お釈迦様の肉体が滅んでも、その思いや教えは変わらないことを表しています。

 何もお釈迦様に限ったことではないでしょう。私たちも、死んだら終わりというわけではないです。思いや影響力はこの世に残るものです。

 

 そして、このスパルタは功を奏して、阿難さんはお釈迦様が亡くなってほどなくして覚りを開きます。

 

 ただ、優秀なお釈迦様のお弟子さんならそれでいいのでしょうけど、凡人としては心細いです。では、お釈迦様の次に仏さまになられる方はいないのでしょうか。

 実は、予約が入ってます。弥勒菩薩さんが次に仏すなわち如来になられます。国宝第一号として知られる広隆寺さんの弥勒菩薩さんをご存じの方も多いですね。あの頬に指をあてて考え込まれている姿は、仏になってどうやって衆生を救おうかと考えをめぐらしてくださっているのでしょう。楽しみですね。でもそれって、56億7千万年後です。現在は兜率天というところで長ーいウォームアップ中です。

 

 そのため仏さまが娑婆の世界に不在である今を「二仏中間(にぶつちゅうげん)」と表現することもあります。中には、お釈迦様が亡くなってから、釈迦様の教えが残っている時代(正法)、表面上の形だけが残っている時代(像法)、そして形すら残っていない最悪の時代(末法)に分ける末法思想というものも生まれます。ちょうど今大河ドラマでやっている摂関政治の時代が、末法に入ったと考えられ、生きているうちに希望を見出すことをあきらめて、死後に素晴らしいところに行くことに希望を全振りするという浄土思想につながります。平等院鳳凰堂などは浄土への強いあこがれを具現化したものです。

 

 ただ、この二仏中間の時代であっても救いはあります。

 たとえば、お地蔵さんの存在です。お地蔵様はこのような救いのない時代を、昼は生きているもののため、そして夜はあらゆる地獄を駆け回り、亡者を救ってくださっています。

 

 そして、弘法大師さんもそのような方です。

 仏法という難しい「教科書」だけを手渡されて勉強しろ、ということが難しいことを理解してくださっています。ですから、沢山の「参考書」を残してくださいました。仏教の宗祖で、お大師様ほど著作が残されている方はいらっしゃらないと思います。

 それでも大変、という私たちのために「家庭教師」もしてくださっています。ご自身が奥の院で瞑想されているほか、先に述べた弥勒菩薩さんのいると兜率天で修業されるだけではなく、衆生のもとに駆け付けてサポートしてくださっているわけです。

 

 お釈迦様に比べると、かなり過保護かもしれません。

 私たちが仏を目指すにしても、自分自身が困窮していてはそんな余裕もないだろう、ということで手助けもしてくださっているわけです。

 密教の得意とする加持祈祷なんて、仏教の本筋ではないという方もおられますが、私たちが万全の心身で、仏を目指すためのサポートという意味で重要なものです。そういう意味では、自分が幸せになればそれでOKという加持祈祷は仏教の本筋ではないといえるでしょう。その先があってこそです。

 

 本日の護摩で、心身ともにすっきりしていただけたかと思います。仏となる、仏さまのお手伝いをする素晴らしい一か月としていただければと存じます。

 

※ 令和6年2月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

 

人間の矜持

 今年は新年早々、大変なことになっております。

 今日の護摩の祈願でも触れておられる方もいらっしゃいましたが、能登地方の震災のことです。

 それだけでも辛いのに、さらに心が痛いのは、火事場泥棒のような輩が現れていることです。日本人のレベルもここまで堕ちたのかと情けなくもなります。

 

 震災でうちひしがれている方の財産をかすめ取る行為、さらにはそのために集められた募金を盗む行為、お金持ちから盗みを働きそれを庶民にばらまく鼠小僧のような義賊の行為、すべて刑法上は等しく窃盗罪です。

 しかし、私たちの一般的な心情では、前の2つの窃盗行為を特に許しがたいと感じるのではないでしょうか。

 実際に量刑を左右する情状の部分で、募金の窃盗について単なる財物だけではなく「人の善意」をも侵したゆえに、重く罰せられた判決があったように記憶しています。

 

 最近はAIが発達して、多くの職業がAIにとって代わられる時代が近い、という話もあります。しかし、上のような裁判の場面で、人の心を加味する判断は苦手なのではないでしょうか。もっともAIが進化すれば、本当に反省しているかどうかを見抜いたりできて、良い面も出てくるかもしれませんが。

 

 一方で、同じ「審判」ということで、野球の審判については本気でAIの導入が語られています。実際、自分のひいきのチームが絡むと、ストライクゾーンでイライラすることもあり、AIでもいいんじゃないかと思うこともあります。

 しかし、一方で、人間の審判ならでは、という素敵なシーンもあります。

 高校野球好きの方ならご存じの方も多いかもしれませんが、山口さんというアマチュア野球の審判の方がおられます。「高校野球 審判 山口さん」などと入力すれば、動画でもご覧いただけると思います。是非、実際に見ていただきたいと思います。

 その方は本当に選手に寄り添った審判として有名です。エピソードはたくさんあるのですが、そのひとつを挙げます。試合終了のとき、両チームが整列して挨拶をします。負けたチームはうなだれて、涙を流してしゃくりあげています。そんな彼らに「顔を上げろ、大丈夫」などと声をかけるのです。君たちは敗者ではない、戦い抜いたことに胸を張りなさい、という意味の最高のねぎらいの言葉をかけるのです。こんなことはAIにはできないことでしょう。

 

 冗談みたいな話ですが、ロボットの僧侶も現れています。人間よりも安くできる、という話です。しかし、修業はどうするんでしょうか。僧侶って、上手にお経をあげるだけではないんですけどね。さすがに、生身の僧侶が取って代わられることはないと信じています。

 

 外見的に同じことをするにしても、そこに「心」をこめることを等閑にしない。

それこそが人間の矜持なのだと思います。

 

※ 令和6年1月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

歴史と伝統 特別な一年、一日

 みなさん、あけましておめでとうございます。

 

 昨年は阪神タイガースフィーバーで終わりました。「ARE」も流行語大賞でした。

 やはり38年ぶりの日本一というのは、特別感があります。

 おかげで、タイガースの懐かしい話がたくさん出てきました。

 

 プロ野球ファンでない方でも覚えておられるのは「江川騒動」ではないでしょうか。

 阪神がドラフト一位で江川さんを指名したのですが、巨人に絶対行きたいということで入団拒否。結果、一旦阪神に入団したことにして、巨人とトレードという形をとりました。

 そのとばっちりを受けたのが、巨人から阪神にやってきた小林繁さんでした。

 そんな小林さんに、掛布さんが「伝統あるチームから伝統あるチームにやってきましたね。」みたいなことをおっしゃったところ、「阪神は巨人と同じく歴史はあるが、伝統はない。」と返されたそうです。

 掛布さんは、当時は腹が立ったそうですが、のちに少し意味が分かった、というようなこともおっしゃっていました。

 

 なるほど、「歴史」と「伝統」は類義語ではありますが、同義語ではないです。

 歴史は時間の経過とともにオートマチックに作られていくものですが、伝統は人の思いや行為が伴ってはじめて作られていくものです。

 

 来年、西山寺は開山1200年を迎えます。1200年の歴史があるわけです。

 その間には、戦国時代の戦渦に巻き込まれて火災にあったり、地滑りによって破壊されたこともあります。

 それでも法灯が守られてきたのは、歴代の住職や僧侶、支える檀信徒がいたからです。建物こそ江戸自体の再建ですが、平安時代のご本尊がいらっしゃるのは、火の中に飛び込んで、命がけで守った先人たちの思いによるものだと思います。こうやって守られてきたのが、密教道場としての西山寺の伝統です。

 来年の1200年を機に、また新たな伝統を紡いでいくことができればと存じますので、ご協力をお願いいたします。

 

 これらのことは、歴史や伝統といった長いスパンの時間に限られないと思います。

 

 何もしなくても一日は過ぎ去ります。

 日曜日にぼーっとして過ごしていたら、気が付いたらテレビではサザエさんなんてことは皆さんも経験があるのではないでしょうか。

 

 一年でも同様です。自分も、年を取るにつれて、カレンダーの残り枚数が減るスピードが加速しているような気がします。

 

 何事もない、記憶に残らないような一日、一年というのも「平穏無事」だった証であるので感謝すべきかもしれません。しかし、せっかくなら、思いの詰まった特別な一日、一年を目指したほうが面白くはないでしょうか。

 そのためにも、健康と少しの運くらいは必要かと思います。

 

 今日の星まつりが、皆さんの特別な一年の手助けになるよう祈念しております。

 

※ 令和6年 新春星まつりでの法話に加筆修正したものです。

 

加行? はい 喜んで!

 何回か触れている話ですが、自分たち真言僧が行者としてスタートラインに立つためにはまず「四度加行(けぎょう)」という修業をする必要があります。

 「四度」という名称の通り、通常4ブロックに内容が分かれます。自分が高野山で行ったのは「中院流」の加行ですが、十八道、金剛界胎蔵界、不動護摩の構成です。流によって違いがあり、自分が現在、一流伝授を受けている西院流などの広沢系統の流では、金剛界の後に護摩が来ることが多いようです。

 

 高野山での中院流の加行についてですが、修行道場によって多少差異があるでしょうがこんな感じです。

 まず、日数です。各セクションで21日ずつです。21×4ですからトータルで84日となるのですが、四度加行の前に理趣経加行や護身法加行といった、そもそも加行に入るのに必要なことを身につける前行が加わるので、大体100日と考えればよいです。

 さして、一日につき3座ずつの行を修していきます。

 自分のときは、明け方に「後夜行」、朝の勤行、食事、下座(掃除とか)が終わると、昼までに「日中行」。昼食が終わると、奥の院や伽藍にお参りする両壇参拝。帰ってきたら「初夜行」。その後、夕方の勤行を終えて一日終了というのが基本ルーティンでした。

 最初のうちはまだ余裕があるのですが、最後の護摩行になると、一座あたり3時間越え、掃除や次の準備を含めるとさらに時間がかかりますので、かなりタイトになります。

 

 こういうこともあってでしょうか、今年から尼僧学院において、一日に二座ずつの加行プログラムが始まりました。これなら、余裕をもって修業できると思うかもしれません。しかし、誰も満行できなかったそうです。事情がよく分からないので何とも言えませんが、1日に三座ずつ、そしていつから始めるか(自分たちは初夜行スタートで日中行で終わるようになっていました)など、古来より伝わっていることにはちゃんと意味があるということかもしれません。

 

 今、受けている安祥寺流の一流伝授でこのような話がありました。

 安祥寺流の流祖は宗意さんという方です。この方はお不動さんを深く信仰していたそうです。それを知った師僧の厳覚さんが

 「そんなにお不動さんを信仰しているのだったらこの次第(厳覚さんのために師である覚俊さんが作ってくださったもの)をあげるから、この次第を使って100日間加行してみるかい?」

とおっしゃったところ、宗意さんは喜んで行じられたそうです。

 

 その後、宗意さんも実厳さんという優秀なお弟子さんを持たれます。あるとき、尋ねました。

 「ところで、あなたはどの仏さまがお気に入りなの?」

 「お不動さんです。」

 宗意さんは「同好の弟子」と知り、嬉しくなります。そして、さきほどの自分と師僧とのエピソードを語った上で

 「もしよかったらこの次第あげるから、自分と同じように100日の不動加行やってみる?」と尋ねます。

 それを聞いた実厳さんは喜んで、その次第を頂いて熱心に修したということです。

 

 そういうこともあって、この流ではお不動様を特に大切にし、四度加行とはいうものの、途中に不動法、しかも「二重」といっておよそ初心の者がやるには難しい複雑な行が加わっており、実質「五度加行」みたいになっているそうです。

 

 普通だったら、修行の日数が増えるのは「大変だな」と思うのが普通かもしれませんが、そうではないんですね。

 

 「あなたのために、この次第と法を伝えるよ」、と師僧に言っていただけた瞬間に、目を輝かせて「是非、やらせてください。」と食い気味に答える弟子の姿が眼前に浮かぶようです。

 

 そして、この話を伝えているのが、室町時代に、高野山で事相の大家であった宥快さんなのですが、この話に出てくる次第が伝わって自分の前にあることに、大層感激されておられるのです。今と違って、印刷されたものではなく、手書きの写本が大切に伝わっていく時代であったためになおさらですよね。

 

 さらに、このエピソードを今回の伝授阿闍梨である佐藤先生が、臨場感たっぷりに、ものすごく嬉しそうにお話してくださるんですね。

 登場人物すべてが「行法マニア」なんですよね(失礼)。

 

 先師さんたちから大事に伝えられてきた修法を感謝して学び、嬉々として取り組むことができる人にとっては何でもないことなのでしょうが、住職資格のために、義務としてしなくてはならない人にとっては加行はきついのかもしれませんね。