うさぎ年のおはなし

 みなさん、あけましておめでとうございます。

 

 今年はうさぎ年、そしてお子様連れの方もいらっしゃるので、こんなお話をしたいと思います。元ネタは『ジャータカ』とい仏教説話です。

 

 むかし、ある森の中でうさぎとさるときつねが仲良く暮らしていました。

 かれらは、動物に生まれたことを悔やんでおり、次は人間に生まれ変わり、さらには仏さまになりたいと願っていました。

 そして、そのためには修業が必要であり、その一つが「布施」をすることだと知りました。

 

 いつか、布施をする機会があればと願っていると、旅のお坊さんが倒れているのを見つけました。

 どうやら、ろくなものも食べずに栄養失調になっているようです。

 さあ、布施をするチャンスだと色めきだった三匹は、お坊さんに食べてもらうための食糧探しに出かけます。

 

 猿は得意の木登りで、色々な木の実を集めて帰ってきました。

 キツネは川に入り、上手に魚を捕まえて帰ってきました。

 

 しかし、うさぎだけは人に食べてもらうような食料を見つけられず、途方に暮れて帰ってきます。

 

 魚や木の実を食べて、少し元気を取り戻したお坊さんに向かって、うさぎはこう言います。

 「私は、あなたに食べていただくような食料を見つけることはできませんでした。代わりに私を召し上がってください。」

 

 そう言うと、うさぎは目の前のたき火に身を投じました。

 

 しかし、不思議なことにうさぎの体に火は付きません。それどころか熱さすら感じません。

 

 するとお坊さんは、本来の姿であるインドの神様である帝釈天に姿を変えてこう言います。

 

 「お前たちの、布施の心は見事であった。特にうさぎは自分の命を差し出すとは見事である。その心を称えて、お前は月に住むことを許してやろう。」

 

 昔から、月にはうさぎが住んで餅つきをしている、などと言われていますが、それはこのときの話によるものだそうです。

 

 さて、自分がこんな話をしたからと言って、今年度からお布施の額を上げます、とかいう話ではありませんので安心してください。

 ましてや、命をかけたお布施とか、重すぎて受け取れません。

 

 そもそも、布施というのは僧侶相手に渡す金銭や物品のことだけを指すものではありません。

 自分の持っているものを、必要としている方に「対価や見返りを求めずに」分け与えることなのです。

 

 さらに言うと、金銭や物品を差し出すことだけが布施ではありません。

 「無財の七施」といって、財物以外の布施があります。

 その中でも、一番簡単なものをあげておきます。

 

 まず一つ目は「和顔施」です。

 文字通り、笑顔で相手に接してあげることです。

 

 もう一つは「言辞施」です。

 こちらは優しい言葉をかけてあげることです。

 

 二つをまとめると、皆さんもよく知っている「和顔愛語」です。

 

 今年はうさぎどし、命がけとはいかなくても、ニッコリ笑顔で優しい言葉に心がける一年にしたいものです。

 

※ 令和五年 元日星まつり護摩での法話に加筆修正したものです。