不瞋恚

 十善戒も終盤です。今日は9番目の戒である不瞋恚(ふしんに)です。

  「瞋」も「恚」も「いかり」を意味する文字です。要は、怒らないという戒です。

 人間である以上、頭にくる感情が無いなんていうのは、動物としてむしろ不自然かもしれません。そこで、人によっては、「激しく」怒らないことと限定的に定義づけしている場合もあるようです。

 

 オカルトっぼい話ですので、苦手な方は聞き流してください。

 自分が、祈祷系の伝授を受けた大徳は高名な方なのですが、その方の師僧さんもものすごく法力の強い方だったそうです。ただ、気性の激しい方でもあったそうです。

 あるときは、信者さんが失礼なことをしたことに対して、怒り心頭だったそうで、罵詈雑言を浴びせたそうです。そして、それから間もなくして、その信徒さんは亡くなったそうです。偶然かもしれませんが。

 その僧侶の方自身が亡くなる際には、筆舌に尽くしがたい苦しみだったそうです。その弟子の方が駆けつけて、必死で祈って、ようやく穏やかに息を引き取られたそうです。

 よく、祈祷系の行者さんは、亡くなるときは悲惨な状態になるなんて言います。法力が強いからこそ、コントロールを間違うことで、悪い業を積みやすいからだとも言います。

 ですから、怒りに流されてはいけない。また、自然の理に反する祈祷はしてはいけないとも仰っていました。実際、その方のところには、「ひどい奴がいるので呪い殺してください。」などという依頼もあるそうですが、「自分は殺し屋ではないです。」と断ったという話が著作の中にありました。

 

 怒りがよくないというのは古今東西共通の様で、海外由来のものでは、怒りをコントロールする「アンガーマネージメント」というものがあります。自分も詳しくはありませんが、怒りをすべて否定するわけではないようです。

 ムカっとする感情は仕方ないとして、それを暴発させないように、鎮めていくテクニックといった感じでしょうか。

 いろいろ方法はあるようですが、怒りの感情は長く持続するものではないので、10秒程度数を数えるだけでも効果があるようです。

 客観的に、自分を見つめて、怒りの根本的な原因は何なのかを分析するのも効果的だったりするようです。

 

 クレーム対応をする電話オペレーターさんの職場での話です。来る日も来る日もクレーム対応、売り言葉に買い言葉になることもあり、あまりうまく回っていなかったそうです。

 ところが、あることをすると、事態が好転したそうです。

 何をしたかと言いますと、電話のそばに鏡をおいたそうです。

 クレームに対して、うんざりして腹を立てる自分の顔が見えるようにしたわけです。

 その醜い姿に、ハッと我に返り、冷静にクレーム対応ができるようになったそうです。

 

 葬儀で、戒名を考えるにあたり、故人のご家族にお人柄を伺います。その際に、「怒るところを見たことのない穏やかな人でした。」と言われる方がおられます。本当にすごい方だったのだと感心するとともに、自分もそうありたいと思います。

 その人をイメージしたときに、笑顔が思い浮かぶような人になりたいものです。

 

 実際、怒ると健康に良くないのは確かなようです。自律神経が乱れたり、活性酸素が発生したりと、こちらはオカルトではありません。

 とはいえ、怒りをため込むのもストレスになります。自分なりにうまくコントロールする方法を見つけてみてください。

 

 ※ 令和三年八月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。