慈悲の鎧

 昨年はコロナ一色といった感じで終わりました。今年もしばらくは我慢の日々が続きそうです。

 

 昨年から、香川の善通寺さんで開かれている「疫病の祈り伝授会」を受けに行ってます。文字通り、昨今の状況を鑑みて、身体健全や疫病退散に特化した様々な修法を学ぶというものです。もちろん、うちのご本尊であるお薬師様の行法もあります。 

 

 その中で、気を付けるべきことといわれたことがあります。

 「疫病退散」とかいうけれども、疫病をやっつけるのではないということ。

 疫病あるいは疫病をもたらすもの(神)もまた「一切衆生」であること。

 一切衆生である以上、供養して救ってあげるべき存在であること。

ということでした。

 

 たしかに、自分たちは行法の中で、仏様だけではなく神様たちも供養します(「神分」という部分です)。そのなかには「当年行疫流行神」(流行り病をもたらすとされる神様)というものも挙げられいて、一緒に供養しています。

 

 降三世明王シヴァ神と妃とを踏みつけている仏像をご存じの方も多いと思います。少しかわいそうだなと思うかもしれませんが、踏まれた後に「ロンダリング」されて仏法の守護者になる訳ですので、これもまた「やっつけている」わけではなく、スパルタ式に「助けている」わけです。

 

 このような考え方は専売特許ではなく、神道でも存在しています。

 いわゆる「荒魂」と「和魂」の関係であったり、「御霊信仰」なんかがそうではないでしょうか。

 大きな恨みを抱いて怨霊になった方を、ちゃんと供養することで、その大きな力を人々を救う方向に向けるわけです。せっかくの大きな力をベクトルを変えて良い方向に活かしてしまおうといった感じです。

 怨みを抱いて、宮中に雷を落としまくった菅原道真公が、学問の神様になられているのが有名な例ですね。

 

 別の話では、「牛頭天王(ごずてんのう)」なんかもあてはまるのではないでしょうか。玄関に「蘇民将来云々」と書いた札が貼ってあるのを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、祇園祭の祭神としても知られています。

 簡単にお話ししておきます。

 旅の途中で、ある村に立ち寄った牛頭天王は、長者の家に宿を求めますが、手ひどく追い返されます。仕方なく、貧しい、長者の兄である蘇民将来を訪ねると、貧しいにもかかわらず精一杯の手厚いもてなしをしてくれます。感謝した牛頭天王は、何でも願いの叶う「牛玉」をプレゼントします。結果、蘇民将来は金持ちになった、というどこかで何度も聞いたような話が前半です。

 少し異なるのは、この後、復讐ということで長者の一族郎党を皆殺しにしてしまうという残酷さでしょうか。さすがは「疫病神」です。例外的に長者の妻は助かるのですが、彼女は蘇民将来の娘であり、事前に蘇民将来の身内であることを示す護符を持たされていたからです。以来、蘇民将来の子孫であることを示す護符を玄関に貼ることで災厄よけをするようになったというわけです。

 

 仏教と神道とで構成は似ているのですが、何かが少し異なるように思います。

 甚だ主観ですが、神道が「畏れ」を原動力としているのに対して、仏教では「慈悲」を原動力にしているのではないでしょうか。

 

 密教僧は、修法はもちろん、常のお勤めでも、真っ先に「護身法」というものを結びます。詳しくはお話しできませんが、文字から大体見当がつくと思います。その中で「被甲護身」という、身に甲冑をまとう印と真言があります。一般的に、甲冑は「かっちゅう」と読みます。しかし、自分の流(中院流)や今回伝授を受けてきた安祥寺流などでは「こうちゅう」と読み習わされています。

 その理由の一つは、戦において命を奪い合う「俗な」道具である「かっちゅう」と区別するためとも言われています。

 すなわち、行者が身にまとうのは「慈悲の鎧」であって、敵を武器で倒すのではなく、慈悲で浄化するというわけです。そして、相手をも慈悲を具える存在に変えてしまうというのです。

 

 自分は、右の頬を叩かれて左の頬を差し出すような性分ではありません。往復ビンタで仕返し、できれば叩かれる前にカウンターで倒してしまいたいくらいの性分なのですが、どうにか、仏教の「究極奥義」である慈悲の使い手になりたいものです。

 

 最初に申し上げました通り、しばらくは閉塞的で鬱々とした時世がつづくことでしょう。そんなときだからこそ、慈悲の心で互いを思いやり、相互供養していくことができればよいと思います。

 

※ 令和三年元旦の星まつりでの法話に加筆修正したものです。