負の言葉を避ける

 よく知られた実験です。

 ある人に、高温に熱した焼け火箸(アイロンとかでもいいです)を見せます。

 その後、目隠しをします。

 そして、火箸を当てるぞと脅かしながら、ただのボールペンを腕にあてます。

 すると、やけどの症状がでるというものです。

 

 どうやらこれは一種のプラシーボ効果だそうです。

 たとえば、車酔いする人に、ただのビタミン剤を酔い止めの薬と言って飲ませたら、全然酔わなかった、というのと同じ原理ということです。

 

 脳や心が、いかに身体をコントロールしているかということがよく分かります。

 

 中世以前の話には、怨霊や怨霊の祟りによる死、政敵などによる呪殺などというものが多々見受けられます。

 これらも、ただのフィクションというわけではなく、罪の意識やうしろめたさ、恐怖によるストレスといった心的要因に基づく本当の話なのかもしれません。

 そういう意味では、昔の日本人の方が、たとえ悪人でもナイーブで可愛げがあったのかも知れません。

 現代では、まさに悪い奴ほどよく眠るといった感じでしょう。

 

 そんな鉄面皮の方は心配ご無用なのですが、そこをうまく利用するのが「悪徳」霊能力者な訳です。

  「最近うまくいかないのは、ご先祖様が怒っておられるからです。」

 はじめは、くだらないと思って聞き流していても、毎日100点で暮らしている人なんていないでしょう。なんか、ちょっとした不運があると、「もしかして」と思ってしまうでしょう。

 それに、ご先祖様なんて無限にいらっしゃいますから、ちゃんと供養されていない方がいらっしゃるのは当たり前です。

 さらにはご丁寧に、「母方のご先祖が・・・」なんていう方もおられますね。大体の方は、母方の先祖のことなんてよく分からないでしょうから、自信をもって否定できる人はほとんどいないのではないでしょうか。うまいですね。

 ましてや、自分から霊能力者を頼っていく人は、そもそもが「信じたい」方でしょうからイチコロです。

 

 先輩の住職がこんなことを言っておられました。

 「悩みをもって寺に来る人やったら、いくらでも不安を煽って金を出させることは出来る。出来るんやけど、本当にやってしまったら、坊さんとしておしまいや。」

 一日に一冊以上の本を読む博学多才の方で、心理学方面にも通じておられましたから、その通りだったのでしょう。

 

 「ご先祖様を供養しないとバチがあたる」というのか、「ご先祖様の供養をされたので、きっと喜ばれてますし、守ってくれますよ。」というのか。

 「負」の言葉を使うのか、「正」の言葉を使うのかが、まっとうな宗教者と、そうでない人との違いなのかもしれません。

 

 サンスクリットで「スヴァーハー」という言葉があります。

 そんな言葉、知らないよ、と仰る方もいらっしゃるかも知れませんが、漢訳もしくは和訳した単語なら知っているのではないでしょうか。

 「薩婆訶(そわか)」です。

 般若心経でも、最後に「菩提薩婆訶 般若心経」とありますし、ウチのご本尊の真言は「オン コロコロ マトウギ ソワカ」です。 

 

 「スヴァーハ」は、古代インドで神様に供物を捧げるときに唱えられた言葉だそうです。

 よく、「成就しますように」とか「叶いますように」と訳されますが、実際は「成就した」という意味のようです。

 神仏に願いを届けた時点で、願いは叶ったということなのかもしれません。

 

 ともあれ、不安や恐れから手を合わせて祈るのではなく、手を合わせて祈ることによって神仏に見守られて生きている幸せなイメージを持つことが大事なのではないでしょうか。

 

 たとえば「病気になりませんように」とか「不幸になりませんように」と祈るのではなく、健康で幸せに過ごしている姿をイメージして祈る方が良いでしょう。

 

 お正月に初詣に行かれた方も多いかと存じます。

 お賽銭の分だけ元を取らないと損、とばかりに、必死で祈る方もいらっしゃいますが、神仏は私たちの願いなんてとっくにご承知かもしれません。

 それよりも、心を落ち着けて、神仏に囲まれて「成就した」自分の姿を心に浮かべる方がよい結果をもたらすかもしれません。