折角の旅行なのに雨。仲間同士でのベタな会話
「お前、本当に雨男だよな。」
逆に晴れたら
「私、晴れ女だから。」
会話の潤滑油くらいに軽く聞き流せばよいのでしょうが、少しイラっとします。
普通の人間が、一人で天気を左右できるなどおこがましいにもほどがあります。
西川きよし師匠が、ゴルフ場で雨に降られたとき、あの大きな目を見開いて気合を入れたら、みるみる晴れたという話くらいになれば、ネタとしては大好きですが。
こんな腹が立ったことがあります。
あるイベントで、普段からスピリチュアルな話をするタレントがこんなことをのたまっていました。
「皆さんと私の祈りが通じて、台風がそれました。おかげでこのイベントができます・・・云々」
冗談として言っている雰囲気ではなく、大真面目な顔で仰っていました。
普段だったら気にならなかったのかも知れませんが、そのときの台風は、日本列島を縦断する大型の台風で、多くの死者も出ていただけに不快に感じました。
本当にこんなイベントのために台風をそらせる力があるなら、もっと多くの人を救うことに使うべきでしょうし、被害にあった方がこのコメントを聞いたらどのように思われたでしょうか。
最近、孔雀経法という修法の伝授を受けてきました。
この修法と言えば、古来より請雨(雨ごい)に効き目があるとされてきたものです。一方で、雨を司る竜王を使役することから、当然のごとく止雨にも効果覿面ということです。
祈りの力で、雨を降らしたり、止めたりなんて非科学的な・・・と思われるかもしれません。
自分も、高祖弘法大師が神泉苑でやったような奇跡を、簡単にはできるものではないと思います。
今回、伝授してくださった大阿(闍梨)さんも、当然のことながら、これで自由自在に天気を操れますよ、なんてぶっ飛んだことを言うはずもなく
「私たちは、少しでも大難を小難に、小難を無難にできるように一生懸命祈らなくてはなりません。」と仰ってました。
もしかすると、祈りが通じることよりも、難にあっている方の心に寄り添うことこそが一番大切なことではないでしょうか。
「同事」
原始仏教以来、説かれている「四摂法(ししょうぼう)」という徳行の一つです。
相手の立場になって考える。他人が喜べば一緒に喜び、他人が悲しければ共に涙を流すことのできる心や行いのことです。
「他人」という言葉を使いましたが、最終的には自分も他人もなくなるのが最高の境地です。
「無分別」というと、現在では悪い意味で用いられがちですが、本来は自分と他人とを区別しないという理想の境地です。はなはだ難しいですが。
どうしても自分のことだけで精一杯になりがちです。
特に、昨今の状況ではなおさらです。
100パーセント自分の為というところから、10パーセント、20パーセント・・・と他人の利益に向ける比率を少しずつでも上げていきたいものです。