食時作法

 コロナ禍の影響で、学校給食での会話は禁止、外食の席でも会話は小声で必要最小限なんていうことがスタンダードになりつつあるようです。

 

 今は、そうでもなくなったのですが、自分が修行が終わったばかりのとき、僧侶同士で食事をすると会話が弾まないなんていうことが度々ありました。

 修行中は会話はもちろんできませんし、箸や茶碗を置くときも音をたてないようにしなくてはなりません。たくわんをポリポリ音を立てるとNGという、都市伝説っぽい話も本当です。

 静寂の中で食事をすることに慣れてしまっていました。

 

 こちらの方はどうやら都市伝説みたいですが、新聞の投書にあった話です。 

 ある小学生の保護者が学校に対して、給食の際に「いただきます」と言わせないようにしてくれ、とクレームをつけたそうです。理由は、食事は給食費の対価で、施しを受けている訳ではないということです。

 代わりに太鼓や笛を合図にするようになったというのはあまりにネタっぽいです。

 

 ともあれ、私たちは他の命を頂かないことには生きていくことはできません。

 肉食をしている日本の生臭坊主が言っても説得力はないと仰る方がいるかもしれません。しかし、野菜などの精進であっても植物の命を頂いているのに変わりはありません。(ちなみに上座部の僧侶であっても肉食をしないというのは間違いです。托鉢などの布施として頂いた肉料理は食べることができます。)

 

 不殺生を誓いながら、他の命を頂かなくては生きていくことができないというジレンマ。これは自分の命を支えてくれる他の命に感謝して、自分がしっかり生きることでその命を活かしてあげることこそが「不殺生」なのだと読み替えるべきなのでしょう。

 

 そのことを心に刻むために、修行の際には細かい食事作法があります。

参考に略作法を挙げておきます。

 

食時略作法

食前

先、三鉢羅佉多(さんばらぎゃた)
  平等行食(びょうどうぎょうじき)  上座
次、呪願
  金輪聖王(きんりんじょうおう)

  宝祚延長(ほうそえんちょう) 

  十方施主(じっぽうせしゅ) 

  災障消除(さいしょうしょうじょ)

  福壽増長(ふくじゅぞうじょう)
次、十佛名
  清浄法身毘盧遮那仏(しょうじょうほっしんびるしゃなぶつ)
  圓満報身盧遮那仏(えんまんほうしんるしゃなぶつ)
  千百億化身釈迦牟尼仏(せんびゃくおくけしんしゃかむにぶつ)
  当来下生弥勒尊仏(とうらいげしょうみろくそんぶつ)
  無量寿仏(むりょうじゅぶつ)
  十方三世一切諸仏(じっぽうさんぜいっさいしょぶつ)
  文殊師(もんじゅし)利(り)菩薩(ぼさつ)
  普賢菩薩(ふげんぼさつ)
  観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)
  大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)
  一切菩薩摩訶薩(いっさいぼさつまかさつ)

次、般若心経
次、展鉢偈
  若展鉢時(にゃくてんばちじ) 

  当願(とうがん)衆生(しゅじょう) 

  身心寂静(しんじんじゃくじょう) 

  離諸麤暴(りしょそぼう)
次、受食偈
  若得粥(にゃくとくしゅく)(食(じき))時(じ) 

  当願衆生

  為法供養(いほうくよう) 

  志存仏道(しぞんぶつどう)
次、出生食    ※ ここで取り分けた米で、夕方に施餓鬼をします
  一匙(いっし) 諸仏   一匙 諸賢聖   一匙 六道衆生   一匙 不動尊
   一匙 訶利帝母 一匙 氷迦羅天  一匙 四天王
次、供養偈
  此食色香味(しじきしきこうみ) 

  上献十方仏(じようこんじっぽうぶ)

  中奉諸賢聖(ちゅうぶしょけんじょう) 

  下及六道品(げきゅうろくどうほん)
  等施無差別(とうせむしゃべつ) 

  隋感皆飽満(ずいかんかいぼうまん) 

  令諸施主得(りょうしょせしゅとく) 

  無量波羅蜜(むりょうはらみつ)
  汝等鬼神衆(にょとうきじんしゅ) 

  我今施汝供(がこんせにょく)

  此食遍十方(しじきへんじっぽう)

  一切鬼神供(いっさいきじんく)
次、蟲食偈
  我身中有八万戸(がしんちゅううはちまんこ)

  一一各有九億蟲(いちいちかくうくおくちゅう)
  済彼身命受信施(そいひしんみょうじゅしんせ) 

  我成仏時先度汝(がじょうぶつじせんどにょ)
次、旦粥偈(朝のみ)
  持戒清浄人所奉(じかいしょうじょうにんしょぶ)

  恭敬随時以粥施(くぎょうずいじいしゅくせ)
  十利饒益於行者(じゅうりゅうやくおぎょうじゃ)

  色力壽楽詞清辯(しきりくじゅらくししょうべん)
  宿食風除飢渇消(しょくじきふうじょきかっしょう) 

  是名為薬仏所説(ぜみょういやくぶっしょせつ)
  欲生人天常受楽(よくしょうにんでんじょうじゅらく) 

  應當以粥施衆僧(おうとういしゅくせしゅそう)
次、五観 法界定印
  一つには、功(こう)の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量れ
  二つには、己(おの)が徳行の全か闕(けつ)か多か減かを忖(はか)れ
  三には、心を防ぎ過(とが)を顕わすは三毒に過ぎず
  四には、正しく良薬を事とし形苦(ぎょうく)を済わんことを取れ
  五には、道業(どうごう)を成ぜんが為なり世報は意に非ず
次、正食偈
  若粥(飯)時 当願衆生 禅悦為食(ぜんねついじき) 法喜充満(ほうきじゅうまん)
次、誓願
  為断一切悪(いだんいっさいあく) 

  為修一切善(いしゅいっさいぜん) 

  為度一切生(いどいっさいしょう) 

  為廻向仏道(いえこうぶつどう)

 

食後
先、食竟偈
  粥(しゅく)(飯(ぼん))食已訖(じきいこつ) 

  当願衆生 

  所作皆辯(しょさかいべん) 

  具諸仏法(ぐしょぶっぽう)
次、二龍呪願   斎時のみ
  所為布施者(しょいふせしゃ) 

  必獲其義利(ひつぎゃくごぎり) 

  若為楽故施(にゃくいらくこせ) 

  後必得安楽(ごひっとくあんらく)
  菩薩之福報(ぼさつしふくほう)

  無盡若虚空(むじんにゃっこくう) 

  施獲如是果(せぎゃくにょぜか) 

  増長無休息(ぞうじょうむくそく)
次、呪願
  難陀鄥婆(なんだうば) 

  難陀竜王(なんだりゅうおう) 

  令捨悪道(りょうしゃあくどう)

  生善趣中(しょうぜんしゅちゅう)

 

 師僧の寺で食事会があった時に、「食事作法するんですか?」と尋ねたら

「冷めてまうわ。温かいうちに、一番おいしく頂くのも命への感謝や」

と言われました。なるほどです。

 

 拙寺でも、いらっしゃった僧侶の方が何気なく微音(本人にしか聞こえない程度の音量)で、上にある「五観の偈」(太字の箇所です)だけを唱えてから食事をされているのを見ると嬉しくなります(アピールしてからやる人は無粋ですけどね)。

 

 五観の偈を簡単に訳しておきます。

一、この食事がこの膳にくるまでに、どれほどの手間や労力がかかっているか考えなさい。

一、自分がこの食事を口にするに値するだけの徳を積んでいるかどうか反省しなさい。

一、まずいと感じるのは、自分の心の煩悩のせいである。執着せずにただただありがたく頂きなさい。

一、食事は、身を養い、命を保つためのものであることを心にとめなさい

一、食事をいただくのは、仏道を成就するためだけのものである。

 

 罪の意識から、ダイエットできてしまいそうです。

 

 高校時代、合宿などのときに唱えていたものもご紹介しておきます。

 (幾分昔のことですので、不正確でしたらすみません)

 

み光のもと 

われ今幸いに この清き食を受く
慎みて父母のご恩を思い
品の多少を選ばじ 

いただきます

 

この人に食べられて良かったなと思ってもらえる生き方を心がけたいです。