善財童子の冒険

 自分は東寺の御膝元にある洛南高校の卒業生です。今でもそうなのかは知りませんが、自分の在校時には各クラスごとに仏様の写真が祀られていました。

 ほかのクラスでは見覚えのある仏様だったのですが、自分のクラスでは、一見するとただの子供の写真でした。今ならよく分かるのですが、その方は「善財童子」でした。

 仏像好きの方なら、安倍文殊院などで、文殊菩薩様の傍らにいらっしゃる姿を思い出されるのではないでしょうか。

 

 善財童子さんの話は、華厳経「入法界品」というお経に出てきます。

 インドの長者の息子であった善財童子が、発心して、智慧で知られる文殊菩薩にアドバイスを乞います。そして言われた通り、53人の善知識を歴訪して教えを受けていきます。53人のなかには、仏様や修行者だけではなく、長者、医者、外道(仏教徒以外の方のこと)、また遊女なんかもおられます。その方々から先入観なしに謙虚に様々な教えを受け、最後に弥勒文殊、普賢の三菩薩のところへ行き、真実の智慧を体得したというものです。  【参照「善財童子の旅」(大角修)】

 

 

 以前に、坂東観音霊場のご住職とお話しさせていただいたときのことです。

 自分が京都出身だということを申し上げると、ご自身も「本山(智積院)の研修なんかで京都に行くことがあるんだよ」、とおっしゃいました。

 「新幹線だと○時間くらいかかりますか?」とお尋ねすると

 「いや、自転車で行くんだよ」と。

びっくりして、その訳を伺うと

 「お寺にいるとね、付き合う人間が限られてくるんだよ。見識を広げるためには、いろんな人と出会う必要があると思う。だから自転車で、先々で偶然に出会う人から色々な話を聞きながら行くんだよ。」

 

 これを聞いた時に、先に挙げた善財童子さんのことを思い出しました。

 

 一人の人間が見聞きして手に入る情報など限られています。さらにその情報にしても個人の嗜好や環境によっては限定的なものになりがちです。興味のない情報を自ら集めにいく機会はまれでしょう。

 そういう意味では、仕事も地域も年齢も異なる多くの方と出会い、話すということはややもすると自分の価値観に雁字搦めになり、視野も狭くなりがちな私たちにとっては重要なことでしょう。

 

 徳川家康もそのあたりのことが分かっていたのでしょうか。

 東海道五十三次の53という数字は、善財童子の53人の善知識からとったのだともいわれています。

 

 旅を通じて色々な人と触れ合い、成長する機会が限定されてしまっている状況が早く改善されることを願いつつ、それまでは活字上の善知識との出会いにより自己研鑽しようと思います。