七月盆、八月盆が終わり、少しゆっくりさせてもらっています。
このタイミングで、自分同様にくたびれてしまっている法衣や袈裟のメンテナンスをしています。洗濯はもちろんですが、破れたところや、ほつれたところを縫い合わせたり、補修テープをあてたりと、少なくとも自分の辞書には「坊主丸儲け」という単語は収録されていません。
人前で行う法要用(一軍)→自行用(二軍)と降格して、いよいよもう着るには堪えないレベルに至ってもなかなか処分することができない性分です。
先輩から聞いた話ですが、関西の方で、「清貧」で知られる徳の高い尼僧さんが、ある法事に繕いをあてた法衣で赴いたところ、あとから「あんなボロボロの衣を着た坊さんはお断り」と言われたそうです。
たしかに、あまりにボロボロな法衣で赴くと、施主さんが、ほかの参列者さんから「お布施をケチって安い坊さんを呼んだんやないか。」等と思われて恥をかかせることがあるかもしれません。そういうこともあり、自分は高い法衣は買えませんが、汚れていないか、破れていないか、しわは無いか等、だけは気をかけて法務に臨んでいます。もちろんお布施の額が安くても、「二軍」の法衣で行くことは無いです。
ある大先輩はこんなことも仰っていました。
「葬儀社に呼ばれる坊さんっていうのは『男芸者』と同じだよ。」と。
『男芸者』とは『たいこもち』とも言いますが、お座敷で芸者さんの脇で、場を盛り上げる方のこと。僧侶なんて所詮はそのような存在だというわけです。
葬儀社が用意した『お座敷』では、『旦那さん』である施主さんが喜ぶような『芸』をしなければ、次からは声がかからないよ、ということです。
多くの僧侶派遣会社では、顧客たる施主さんにアンケートを行っています。
その中の項目には「僧侶の身だしなみ」も含まれていたりしますし、中には「戒名は気に入ったか」を聞いているところもあるそうです。アンケート自体は良いと思います。後者についても、どういう意図で、故人様に仏様の世界でどうなってほしくてこのような戒名をつけたか、を遺族の方に分かりやすく説明していればクレームが出ることは無いと思います。
※戒名については、また別の機会にお話ししたいと思います
ある紹介業者の説明会に出てみたところ、「クレーム集」というものを渡されました。その中には「僧侶の頭の傷が見苦しかった」というものまでありました。さらにはその対処法として「帽子をかぶる」「ファンデーションで傷を隠す」と書いてあったのには苦笑しました。
「今回は遺族の悲しみが深いので、少しでもありがたそうに見えるように、とにかく「老僧」でお願いします」なんていうリクエストもあるそうです。「老僧」だからといって僧侶としてはベテランとは限らないのですが、僧歴の長い若い僧侶よりも需要があるかもしれません。
一休禅師が、ある長者さんから招待を受けたときのことです。
禅師は、この長者の真意を確かめるため、まずはボロボロの衣で赴きます。
すると、こんな乞食坊主は呼んでいない、と罵声とともに追い返されます。
次は、きらびやかな袈裟をつけて赴いたところ、大歓迎されます。
そこで、禅師は袈裟を脱いで、「あなたたちが待ち望んでいた、このありがたい袈裟にたっぷりごちそうしてやってください。」と言って立ち去ったというお話です。
どうやら昔も今と同じだったようです。
ところが最近では「ありがたそうな」僧侶すら呼ばない葬式もあらわれています。
なぜ、葬儀に僧侶が必要なのか、葬儀で僧侶は何をしているのかをちゃんと伝えてこなかったことのツケが回ってきているのかも知れません。
これもある僧侶の方の話です。
「昔は地獄の話とかしておけばよかったかもしれんが、今はアカン。」
今日では、数多くの仏教書が書店に並んでいます。在家の方の中にも、僧侶をはるかに超える仏教の知識を持つ方が多いでしょう。
自分自身は浅学菲才で「ありがたくない」身ではありますが、必死で学び、仏法の「ありがたさ」を少しでも伝えていくことが出来ればと思います。