お盆 2020

 7月5日の施餓鬼法要、新仏さんのいらっしゃる家の初盆法要、13日と14日の棚経と続く七月盆の行事が無事に終わりました。

 

 昨今のコロナ禍の影響の為、全ての場面でマスクを着用するなど、「厳戒態勢」で執り行いました。期間中に、高野山にて開催される戒律の講習会も申し込んでいたのですが、「あぶないお土産」をもらってて来て、檀家さんに「おすそ分け」してはいけないと思い、欠席いたしました。経由地である大阪でも感染者が増加していることを考えると、正しい判断だったのかと思っています。

 

 お盆というのは、「オリジナルの仏教」にはないものです。

中国で祖霊信仰を重視する道教の影響を受けた仏教が、日本に渡来して、同じく先祖信仰を重んじる日本人に受け入れられ、現在のような形になったものです。

 お盆の由来となっている「盂蘭盆経」というお経も、中国で作られた「偽経」だそうです。

 

 しかし、「仏教原理主義者」がよく主張されているように、お釈迦さまの時代に存在しなかったものは仏教に非ず、と断じるのはどうかと思います。

 

  真言宗の両部の経典といわれるのは、金剛頂経大日経です。その大日経住心品には『三句の法門』と呼ばれるものが記されています。要は仏となるための三つのステップです。

   菩提心を因とし

   大悲を根とし

   方便を究竟とす

 仏となるためには、まず悟りたいという心を持つこと(発心)

 次に、慈悲の心すなわち他者への思いやりの心をもつこと

 最後にあらゆる手段を駆使して、実現することが大切 という意味です。

 

 一見簡単そうですが、なかなか実践できていないのではないでしょうか。

その訓練に法事が役立つように思います。つまり

  法事を通じて、仏の世界を意識する(菩提心)

  亡くなった方たちの供養をしようというのは慈悲の心のあらわれ(大悲)

  手を合わせて、供物を捧げて読経して廻向する(方便) 

というわけです。

 

 あとは慈悲の対象を、どこまで縦の方向と横の方向に広げていくことができるかです。亡くなった親の為に手を合わせて必死で拝むのは簡単です。それを少しずつ時間的に遡っていくのが先祖供養です。縦の方向で慈悲を拡大させるものといえるでしょう。

 お盆には施餓鬼供養がセットにされることが多いです。施餓鬼というのは文字通り、餓鬼道で苦しんでいる者たちへの供養です。縁もゆかりもない者たちへ向けられたものです。こちらは横の方向に慈悲を拡大させるものといえるでしょう。施餓鬼に限らず、法事や勤行でも最後に廻向文として「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道」とお唱えして、読経の功徳を独り占めせずに、全ての衆生に振り向けるというのも同様です。

 

 今回も、一軒ずつ檀家さんの仏壇に手を合わせさせていただきました。同じ地区であっても、お供えのスタイルや飾りつけは様々です。おそらくそれぞれの家で代々受け継がれてきたやり方というものがあるのでしょう。精霊馬なんかもものすごく可愛らしかったりして、見ていてほっこりしました。皆さんが、ご先祖様の為にという「慈悲の詰まった」盆飾りでお勤めさせていただくと、幸せな思いになりました。

 

 法事は亡くなった方の為ではなく、生きているものの為である、とも言われますが、その通りだと思います。昨今の閉塞的な状況で、心が穏やかでない方もいらっしゃるでしょうが、法事を通じて、少しでも心の平安を感じていただければ幸いです。