衛門三郎

本日は御影供にお集まり下さりありがとうございました。

毎年の行事ですので、御影供の意味をお話しする必要もないでしょうから、代わりに弘法大師さんの逸話を一つ紹介しようと思います。

 

四国遍路はみなさんご存じでしょう。俗に「最初のお遍路さん」と言われる方がおられまして、衛門三郎という方です。平安時代の初期、松山のあたりに住んでいた豪農だったそうです。昔話の定番通り、金持ちは大体嫌な奴ということで、この方もご多分に漏れず、性根の腐った人だったそうです。

あるとき旅のお坊さんが托鉢に訪れます。

もちろん、強欲なキャラの通り、追い返します。

それでも托鉢のお坊さんは何度も訪れます。
いい加減、頭にきた衛門三郎は、竹ほうきでお坊さんの鉄鉢をたたき落としました。
すると鉢は、8つに割れて飛び散ってしまいました。
そんなことがあった翌日から、衛門三郎の可愛がっていた8人の子供が次々と死んでしまいます。
さすがの衛門三郎も、これは自分の罪業が子供にふりかかったに違いないと、後悔します。
そして、あの時の旅僧は弘法大師だと気が付き、許してもらうべく追いかけますが、出会うことができません。四国を20周もしましたが、出会うことが出来ませんでした。そこで今度は逆(反時計回り)に回ることにします。それでも出会うことが出来ず、とうとう阿波の第12番札所・焼山寺の近くで倒れてしまいました。

その時、衛門三郎の前に弘法大師が現れ、「これでおまえの罪も消える。最後に何か望みはないか」と、声をかけました。
衛門三郎は「伊予の豪族である河野一族の世継ぎとして生まれ変わって、多くの人々のために尽くしたいのです」と、言いました。
すると弘法大師は“衛門三郎再来”と書いた小さな石を息を引き取る衛門三郎の手に握らせました。

それから数年後、伊予の豪族、河野息利に跡継ぎの男の子が生まれました。
ところがその子は幾日経っても左手を握ったままで開きません。
そこで、道後の安養寺(現在の石手寺)の住職に祈願してもらいます。すると手が開いて中から“衛門三郎再来” と書かれた小石がころがり落ちました

このように衛門三郎は河野家の領主に生まれ変わり、善政を敷いたそうです。

 

その年が、うるう年だったそうで、それに倣い、うるう年には逆打ちするとお大師様に会えるとか、功徳が多い等と言われています。

 

でも・・・自分はこの話が嫌いなんです。

そもそも仏様やお大師様が親の悪業の報いとして、子供の命を奪うなんてありえないです。また、衛門三郎の最後の願いもイラっとします。領主に生まれないと人の役に立てないんですか?というか、そこは無理だと分かっていても「亡くなった子供たちを生き返らせて下さい!」と言うべきところじゃないでしょうか。

というわけで、四国遍路では鉄板のこのネタですが、自分が先達をしていたときには話したことがありませんでした。

 

しかし、ある時に先達をされている別の僧侶の方から次のように言われて、少し考えが変わりました。

「あの子供たちは、仏さんたちなんや。衛門三郎を救う、菩提心を起こさせるには、子供を失うしかなかったんや。仏さんが導いてくれたんや。」

少しは納得できました。でも好きにはなれない話です。同じような話なら、善光寺如来の縁起にある月蓋長者と如是姫さんのように誰も死なないで済む話の方が好きです。

 

ところで、「仏教」の定義にも色々ありますが、密教的な定義としては「仏であることに気づく教え」ともいえるでしょう。

私たちの心の中にはちゃんと仏様がいらっしゃいます。ただ、鬼も同居しています。人によってはかなり強い鬼を飼っている人もいることでしょう。完全なる鬼退治は不可能かもしれませんが、なるべく自分の中の仏様を大きくしていくのが、この世にやってきた私たちの修行に他なりません。

 

誰であっても仏になれる。

誰かにとっての仏になりなさい。

衛門三郎の話もそのことを伝えたいのかも知れません。

 

※ 令和2年御影供の法話より抜粋いたしました。