蓮の法話 ~ テンプレよりも少しだけおまけ

 お気づきになられたと思いますが、今年から蓮を育てています。

 おそらく蓮は、もっとも仏教を象徴する植物だと思います。

 寺の中の荘厳にももいろいろなところに蓮がモチーフであしらわれていますし、うちのお薬師様たちは蓮の台に座ったり立ったりしておられます。

 皆さんも、お浄土といえば、綺麗な蓮の池があって・・・というイメージがあるのではないでしょうか。

 

 では、何故蓮なのでしょうか。

 バラでもチューリップでもよさそうなものですが、それには意味があるとされます。

 

 まずは、耳にタコ、という方も多いであろう「テンプレ」の話です。我慢して聞いてください。

 

 一つ目ですが、蓮は泥の中に有っても、泥に染まることなく美しい花を咲かせるということです。

 このことが、私たちが、この面倒くさい汚れた娑婆の世界に住しているとしても、気高く生きるべきであるという理想像を象徴しているというのです。

 

 二つ目ですが、蓮は花を咲かせると同時に、もう実が出来ていることです。

 これは、私たちには生まれたときからすでに仏性がそなわっていることを表しているというのです。

 

 それぞれ、「淤泥不染の徳」「花果同時の徳」と呼ばれるものです。

 この他にも、説明は省きますが、「一茎一花の徳」「一花多果の徳」「中虚外直の徳」を合わせて、「蓮の五徳」ともいわれます。

 

 テンプレはここまでです。

 

 ここからは、実際に、自分が蓮を育て始めて、気付いたことをお話ししていきたいと思います。

 まず、蓮は泥の中で育ちますが、汚れた水の中で育っているわけではありません。

 植え付けにあたり、栄養豊富な田んぼの土、荒木田土を買いました。農家の方から見ると、田んぼの土をお金を出して買うなんて滑稽かもしれませんね。さらには、水生植物用の肥料もブレンドしてあります。

 

 つまり、蓮は「汚れた泥の中に有っても」ではなく、「栄養豊富な泥の中」だからこそ、きれいな花を咲かせるというのが正解です。

 

 人間世界は、天人の世界よりも、苦労が多い分、悟りを開くための心の修行にはもってこいなのだともいいます。この試練も、仏様の下さった栄養ということでしょうか。

 

 次です。

 今回、自分はどうしても今年中に花を見たかったので、蓮根を植え付けました。

 本当ならば、種から育てたかったです。

 

 蓮は、何千年前の種でも、ちゃんと発芽して育つことで知られています。2000年前の古代蓮を開花させた大賀博士は有名ですね。

 

 でも、蓮の種は、水につけただけではまず発芽しないそうです。

 では、どうすれば発芽するかというと、少しやすりなどで傷をつけてあげればいいそうです。

 

 人は、大きな挫折を経験したり、身近な人の死といった心の痛みを経験することで、仏性に目覚めるとまではいわなくても、大きく人として成長するということがあると思います。それと似ているのではないでしょうか。

自分はこれを「蓮の六徳目」に入れても良いと思います。語呂が悪いですけど。

 

 色々知ると、ますます、蓮は仏教を象徴する花だと実感します。

 

 ただ、実際の私たちは蓮ほど強くありません。

 試練という名の肥料が多すぎて、「肥料負け」してしまいそうなこともあります。

 

 そんなときには、自分は「生きている」のではなく「生かされている」のだと意識して、神仏に「すがる」のもありなのではないでしょうか。

 

 自分が、暇があったら気になって、蓮鉢をのぞいているように、神様や仏様だって、私たち衆生のことが心配で、ちらちら見て下さっているに違いありません。

 自分は、花をつけてくれるのを心待ちにしていますが、つぼみがついただけでも嬉しいですし、さらには、葉っぱが大きくなっただけでも十分に嬉しいです。

 同じように、仏さまたちも、たとえ、なかなか花を咲かせようとしない衆生であろうとも、小さな成長ひとつひとつを愛情の目で見守ってくれているはずです。

 

 今日も、お薬師様が絶対に味方してくれていると安心して帰ってもらえれば幸いです。

 

※ 令和4年6月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

アレンジしてはいけないもの ~ チョンチョンチョンって何?

 ときどき拙寺を手伝ってくださる僧侶の方からこんな質問をされました。

 「洒水の最後に、三度点を打つような作法があるのですか?」

 

 洒水とは、散杖という40~50cmの杖を用いて、水を灌ぐ作法で、その場を清めたり、供物や人を清めたりする作法です。

 洒水器に入っている水を振りまくような所作をするのを見たことがあるかもしれません。

 

 実際に、その作法は流によって様々です。

 自分は、高野山真言宗で得度をしましたから、「中院流」という流で加行を受けましたが、同じ中院流でも、習った大阿闍梨さんが違うと、微妙に所作が違ったりします。

 自分もあまり他流のことに詳しくはないですが、最近伝授を受けた安流や西院流の洒水はかなり違いました。

 

 それこそ、西院流の中には、最後に縦に三本引くみたいな作法があるので、

 「自分の知識の中では思い当たるものはないですが、流によっては有るのかも知れませんね。」とだけ申し上げました。

 

 その後、その方が、発言の主に尋ねたところ

「最後に チョンチョンチョンってやった方が格好いいじゃない」

と、のたまったそうです。

 

 怒りを通り越して、面白かったです。

 

 ちなみにその方、他流の阿闍梨さんとかでもなく、そもそも加行もしていない方でした。

 

 越法になるので、あまり詳しくは申し上げられませんが、こんな話を紹介します。

 

 洒水で散杖を振る前に、洒水器をカンカンカンと叩く作法をします。

 せっかく水をつけたのに、水を切ってしまうようで不思議に思うかもしれません。

 

 これは、平安時代後期の寛助僧正が、普賢延命菩薩御修法をされたときに、振りまいた水がご本尊さんの目尻にかかって涙の様であったということから、以来、水を切る作法が加わったとされています。

 

 しかし、江戸時代の高僧、浄厳和上という方は「カンカンカン」は不要とされました。

 というのも、寛助さんが修法したときのご本尊さんは、図像で、敷曼荼羅だったというのです。ですから、散杖から滴った水が下に落ちて、たまたまご本尊様の目のところの顔料が滲んで「悲劇」になったというのです。

 ですから、通常の、敷曼荼羅ではなく、はるか前に掛けてある図像だったり、木や金属の立体のご本尊様を用いて修法する場合には意味がないと仰ったわけです。

 

 この浄厳さんという方はすごい方で、散逸したり混乱して伝わっていた様々な修法を研究して再構成や再構築をされたそうです。その自信作が「新安流」らしいです。

 

 また、胎蔵曼荼羅についても、儀軌とは異なっている、といって新しい様式の曼荼羅を作らせたそうです。具体的には、真ん中の「中台八葉院」の色を赤ではなく白にしたそうです。

 実際、中台八葉院の色を赤にするというのは、どこにも書かれていないそうです。

 

 それに対して、やはり江戸時代のスーパースターの慈雲尊者が、浄厳さんの功績を評価したうえで、「お大師様以来の伝統をないがしろにするのはダメ」と批判したとか・・・。

 

 長く伝わってきているものを変えることが必ずしも悪いわけではないと思います。

 ただ、それにはそれなりの根拠がないと話になりません。

 少なくとも浄厳さんや慈雲さんのような碩学の高僧レベルであって、はじめて土俵に上がることができる話だと思います。

 

 自分のような愚僧は、とにかく一挙手一投足を間違えないように伝えていくことすら大仕事です。

 

 このことは、僧侶だけではないでしょう。

 仏事だけでなく、色々な伝統が日々失われています。

 時代の流れだから、ある程度は仕方ないとは思いますが、意味をちゃんと知った上で、変えてはいけない部分を見抜く手間をかけるべきです。

 

 なぜ「カンカンカン」が不要かを考えた浄厳さんと、格好いいから「チョンチョンチョン」を加えた件の僧侶の例をあげるまでもないでしょう(そもそも並べて書くだけでも失礼極まりないですね)。

 

 ちなみに、チョンチョンチョンの方は、葬儀とかもされてるみたいですので、見かけたら「これが噂の・・・」と思ってください。

洒水加持 ~仏様と会うための身だしなみ

 今日も薬師護摩に多くの方がご参加くださり、ありがとうございます。

 今日は、初参加の方もいらっしゃいますし、また皆さんが皆勤賞というわけではありませんから、基本的なことをお話ししたいと思います。

 

 最初に、M師が「洒水」という作法をしています。

 散杖という木の棒を使って、水を振りまくようなことをしているやつです。

 真言宗では、梅の枝とか白檀とかを使うのですが、禅宗さんでも「洒水枝」といって松葉を先で束ねたようなものを使っているみたいですね。

 

 よく見ておられる方ならお気づきかもしれませんが、水を振りまく前に色々やっています。

 水の入った容器(洒水器)に向かって、印を結んで何か唱えていると思ったら、おもむろに散杖を入れて「かき回して」ますよね。

 その際には「ラン」と「バン」を繰り返し唱えています。

 「ラン」と「バン」は「ラ」と「バ」の「変化形」です。

 「ラ」と「バ」は皆さんもよく見ているはずです。はい、塔婆の上の部分です。

 塔婆の上には、順番に「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵字が書かれており、それぞれ「空」「風」「火」「水」「地」を表しています。

 そうです。「ラン」の火の力で、器の水の中に有る不浄なものを焼き尽くして、「バン」の水の力で「スペシャルな」水に変化させているわけです。

 

 そして、その水を振りまくことで、この道場と皆さんたちを清めているわけです。

 

 この「洒水」のことを、「洒水加持」ということもあります。

 「加持」には、色々な意味があるのですが、お大師様によると、「加」は仏様の私たち衆生への働きかけ、「持」とは、私たち衆生がそれを受け取ることだと言います。

 電波とアンテナにたとえる方もいらっしゃいますね。

 

 つまり、「加」は常に存在しているんです。

 私たちが「持」の準備が出来ていないだけなんです。

 

 仏様はいつでもどこにでも存在しています。

 ただ、日常の雑多なことに追われている中では、なかなか仏様のメッセージが聞こえないわけです。

 

 最近では死語になりましたが、「パワースポット」なんていうのも、その場所に力があるというよりも、神仏のメッセージや働きかけをよく受け取ることができる「アンテナ感度」がよくなる場所ということなのかも知れません。

 

 そして、せっかく、そんな場所に来たとしても、本人がそもそもアンテナを立ててくれなければだめなわけです。

 両手いっぱいに、欲や煩悩の塊をにぎったままでは、神仏のお土産を受け取ることは出来ません。

 

 ですから、最初に「洒水加持」を受けていただき、仏様とじっくりお話をしていただくための「身だしなみ」をととのえてもらっているわけです。

 

 護摩の途中で「百八支」という、文字通り108本の枝を火にくべるのも、百八煩悩を焼く意味です。

 護摩というと、「御利益」にばかり目がいきがちですが、まずは自分の不浄なものを取り除くということを忘れてはいけません。

 

 護摩に参加すると、何かすっきりした気がする、と言ってくださる方がいらっしゃいますが、理屈ではなく、心身で実感されているのだと思います。

 

 日常生活を送っていれば、知らず知らずのうちに色々な汚れがたまってきます。

 定期的に、護摩に参加してくださり、心のフィルター掃除をして下さればと思います。

 

※ 令和4年5月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

プロの祈り

 高野山に住んでいる方から教えてもらったのですが、山内に人力車が走っているそうです。もっとも、観光地で見かける大手企業の運営ではなく、山内でゲストハウスをやっている方が企画したもののようです。

 

 人力車と言えば、知り合いのお坊さんからこんな話を聞きました。

 団体参拝のお客さんを連れて浅草寺をお参りしていたときのことです。

 近くにいた人力車の車夫さんが、お客さんにこんなことを話しているのが聞こえてきたそうです。

 「普通の人は、観音様を拝むときは『南無観世音菩薩』って言うんですよ。でも俺らプロになると『オン アロリキャ ソワカ』って言うんですよ・・云々」

 そのお坊さんは、「プロってなんやねん。」とツッコみたいのを我慢して聞いていたそうです。

 

 この話を聞いてこんな昔話を思い出しました。「念仏婆さん」というものです。

 地方によって様々なバリエーションがあるようですが、そのうちの一つを紹介します。

 普段から「南無阿弥陀仏」を熱心に唱えるおばあさんは、みんなから「念仏ばあさん」と呼ばれ、尊敬されていました。

 そのおばあさんが亡くなったときには、誰もがが極楽に行ったことを疑いませんでした。

 おばあさんも自信満々で、閻魔さんを前にして、つづら一杯につめこんだ、今までに唱えた念仏を誇らしげに見せます(風呂敷だったり荷車というパターンもあります)。

 

 閻魔さんは「よく、これだけの念仏を唱えたものだな。えらい、えらい。」と褒め、つづらの中を調べます。おばあさんは極楽間違いなしと思って待つのですが、閻魔さんの顔がみるみる曇っていきます。どうしたのかと思って尋ねると

 「おばあさん。この念仏も、この念仏も、この念仏も、心のこもっていない『空念仏』ばかりだ。これじゃ、極楽に行かせてやれない。」と言います(閻魔さんが空念仏を選り分ける方法としてはふるいにかけるとか、うちわで吹き飛ばすパターンがあるようです)。

 

 どんどんつづらの中身が無くなっていき、おばあさんはだんだんと不安になります。

 すると、最後の一つの念仏を手にした閻魔さんが

「これだけは、心のこもった念仏だ。ああ、これはひどい雷が鳴ったとき、恐怖で、心から助けてほしいと唱えた念仏だな。」と言ったそうです(雷以外には地震であったり、最期の瞬間に「助かりたい」と願った念仏、というパターンがあるようです)。

 

 そして、おばあさんの行き先は・・・

 これも2パターンあるようです。

 バッドエンドは

 閻魔さんが、「自分のことしか考えないような奴はけしからん。」といって地獄行きにしたというものです。

 グッドエンドは

 願いはどうであれ、一度でも、必死で念仏を唱えたことにより極楽へ行くことができたというものです。

 

 難しい真言を唱えることよりも、長い経を唱えることよりも、たとえ一瞬でも心を込めた祈りを捧げることの方が遥かに難しいです。

 たとえば、亡くなった方のご供養の場合には、まずは目を閉じて、その方のお顔と声を思い浮かべてください。

 

 次に、仏様に対する場合です。

 仏像や仏画が目の前にある場合は、比較的心を向けやすいでしょう。

 よく、お寺で仏像を前にして、そそくさとお賽銭を納めて、慌ただしく手を合わせている方もいらっしゃいますが、もったいなあと思います。

 まるで、お賽銭が、願い事をかなえてもらうための「代金」のように見えたり、また、必死で拝んでいる姿は「お賽銭の分の元だけは取らなければ・・・」と思っているかのようだったりします。

 そもそもお賽銭は、自分の煩悩や執着といったものをお金に乗せて捨て去る行為と考えるのがよいと思います。ですから金額は関係ないんです。

 仏様とお話しするためには、煩悩まみれでは失礼です。ドレスコードに反するようなことです。

 

 そして、身を調えたら、静かに合掌です。

 合掌は、仏を表す右手と、衆生を表す左手を合わせる印です。

 仏様も私たちも平等であり、ひとつになるということです。

 

 あとは、仏様と対話を楽しむだけなのですが、仏像や仏画が目の前にあるならば。試していただきたいことがあります(浅草寺の観音様は秘仏なので駄目ですけど・・)。

 

 まずは、仏像をしっかりと目に焼き付けてください。

 しばらくしたら、目を閉じてください。

 どうですか? 仏様の姿は残っているでしょうか。

 ダメでしたら、もう一度仏様をしっかりと見つめてください。

 そして、もう一度目を閉じる。

 目を閉じていても、仏様の姿がはっきりと認識できるまで繰り返してみてください。

 それができたとき、その仏様はもう、仏像や仏画といった物質の枠に限定されたものではなくなっています。たとえば、自由自在に大きくもできますし、いつでも、どこでも姿を現してくれる自分だけの特別な仏様です。

 さあ、ゆっくりお話ししてください。

 

 祈りとは特別なことではありません。仏様との対話です。

 身口意のすべての部分を使って、仏様とつながることです。

 「身」は合掌、「口」は、お経であったり真言です。そして何より難しいのが「意」です。

 「プロの祈り」というのは、こういうものなのだと思います。

 

※ 寺報「西山寺通信」令和4年5月号の内容に加筆修正したものです。

来世に持っていけるもの

 ある高名な行者さんの本の中にこんな話が載っていました。

 ある方にこのようなことをいわれたそうです。

 「前世では、お釈迦様の元で一緒でしたね。お久しぶりです。」

 さすがに、困ってこう答えられたそうです。

 「申し訳ありませんが、そんなに昔のことは覚えていません。」

 

 今年に入って、まだ三か月たっていませんが、自分も既に、前世の記憶を持っているとか、前世は○○だった、という話をされる方と複数巡り合いました。

 

 自分自身は、前世の記憶はありませんし、前世が何だったかにも興味はありません。

 といっても、前世の存在を否定しているわけではありません。

 うちの宗旨では霊魂の存在を否定していませんし、転生も肯定しているので、矛盾するものではありません。

 また、お釈迦様自体の前世についても『ジャータカ』などで記されています。法隆寺の玉虫厨子に描かれている「捨身飼虎」の話なんかが有名ですね。

 

 ただ、普通の人は前世の記憶なんてものは持っていません。

 自分は「恥の多い人生」を送ってきましたので、夢の中、時としては、起きていても突然嫌な思い出がフラッシュバックしていたたまれない気持ちになります。

 現世でもそんなですから、前世の記憶まで残っていたら大変だろうと思ってしまいます。良い記憶だけを選り好みできるのなら別ですが。

 

 パソコンがリフレッシュされて中古販売されるような際に、ハードディスクを消去するのですが、消去したつもりでも残っていたり、復元ソフトで復旧出来たりできるように、前世の記憶が残っている人がいてもおかしくないのかも知れません。

 

 先にも述べましたが、私たちの宗派では霊魂の存在を肯定しています。

財産も地位も名誉も連れていくことは出来ません。そして、通常は記憶も思い出も。

しかし、唯一持っていける、というか永遠に付きまとうものがあります。

 

 それは「業(カルマ)」です。

 「業」というと、「業が深い」などの用法でマイナスのイメージが強いかもしれません。しかし、業そのものには善悪の意味は含まれず、善意と善行は良い業を生みますし、悪意と悪行き悪い業を生み出すわけです。

 

 人間り作った法律では、悪いことをしたならば、罪を償えばチャラとなりますが、仏教的世界では、一度作った悪業は打ち消すことは出来ません。

 たとえるならば、コップに無色の毒をスポイトで一滴たらすようなものです。たとえ、目に見えなくても毒は存在しています。

 そこにきれいな水を足して、バケツ一杯にしても毒は残っています。

 たとえ風呂桶を一杯にしても、毒が無くなっていることにはなりません。

 ただ、致死量の毒ではなくなるのかもしれません。

 そういう意味では、一つの悪業を作ると、その毒を打ち消すことは出来ませんし、その毒によって死なないようにするためには、何倍もの良い業を作らないというわけです。

 

 ところで、業について語るときに、気を付けたいことがあります。

 それは、業を強調すると、「親の因果が子に報う」だったり、現世での過酷な環境が、前世での業によるものである、といった短絡的な考えに至り、いわれもない差別につながる危険性があることです。

 以前、どこぞの元知事が、ある難病のことを、前世の業に起因する「業病」などと表現したのには愕然としました。この令和の時代に・・・。

 

 自分たち僧侶は、葬儀の際、故人様が成仏するように全力で作法をしています。

 資格もない僧侶が葬儀に関わることは詐欺ですが、成仏を信じていない僧侶による葬儀もまた立派な詐欺だと思います。

 ただ、成仏した私たちは、それで終わりではありません。

 衆生を直接的に救うために、この娑婆の世界に舞い戻ってくることもあります。

 これは、真言宗独特の考えではありません。浄土系の宗派でも「還相(げんそう)回向」などと言っているのがそうでしょう。

 

 居心地の良い仏様の世界から、この世に舞い戻るのには、ものすごい決意が必要でしょう。

 その際には、衆生を救うという大きな目標の為、わざわざ苦労の多い人生を選んでいることもあるのではないでしょうか。

 ゲームで言ったら、イージーモードではなく、ハードモード。さらにはデスモードを選んでやってきているのかも知れません。

 最近の英語では、障害者の方を、神から試練を与えられた存在として「チャレンジド」と呼ぶこともあるようですが、仏教でも、私たちはより難しいことに「チャレンジ」するためにこの娑婆の世界に舞い戻って来ているのかもしれません。

 

 もちろん、そのときの記憶は消されていますが。

 むしろ、記憶が残っていて、ふと「俺は、前は仏だったんだけど・・・」とか口にしたら、支障があるでしょうしね。

 

 ただ、私たちは、この世に大きな決意をもってやってきたことだけは、自覚していないといけないと思います。

 そして、少しでも良い業を積むこと、悪い業を積まないようにすること。

 唯一、持って帰ることのできる「お土産」を実りあるものにすることを第一にして生きていきたいものです。

 

※ 令和4年4月薬師護摩での法話に加筆修正したものです。

 

そうだ、仏像に会いに行こう

 毎年、同じ話で申し訳ないです。

 今日3月21日は宗祖弘法大師が入定された日です。西暦で言うと835年のことです。

 「弘法大師が亡くなられたのはいつですか?」という問題が出されたら、よく勉強されている方なら「承和2年3月21日です!」と元号で即答されるかもしれません。

 しかし、これはいじわる問題です。

 日本史などの知識としては正解ですが、真言宗の信徒としては不正解です。

 なぜならば、お大師様は「入定」されているのであって、「入滅」つまり亡くなってはいないとされるからです。

 いやいや、そんな馬鹿馬鹿しいことはやめてくれ、という方もいらっしゃるかもしれません。また、歴史に詳しい方なら、お大師様を「荼毘」に付したという資料があることを指摘される方もいるでしょう。

 しかし、自分たち真言宗の信徒は、そんなことを口にはしません。

 そして、高野山の奥之院では、毎日2回のお食事がお大師様に運ばれているわけです。

 

 よく、「神も仏もあるものか」と口にされる方がいらっしゃいます。

 なるほど、その人にとっては神も仏も存在しないのかも知れません。

 

 そういう意味では、仏や神の存在を成り立たせているのは、信仰そのものなのかと思います。

 

 密教僧は、行法の中で、仏様をお迎えする作法をします。

 お迎えする場所を清めて、調度品を調えて、お迎えの車を送って、到着されたら足を洗って、歓待の音楽を演奏して様々な供物を・・・というような具合です。

 

 これは、そこに仏様がいらっしゃると信じているからこその行法です。

 信仰が無ければ、ただの「おままごと」です。というか、ただの痛い人です。

 

 皆さんだってそうですよね。

 仏壇やや墓の前で、お花を供えて、お茶をあげて、ときには好物を上げたりして。

 そこに大事な人が来てくれていると思うから手を合わせているんですよね。

 そして、信仰している者の前には必ず来ておられるわけです。

 証明は出来ませんが、理屈ではないんです。体験で確信できるものです。

 

 また、行法の話に戻りますが、先ほど挙げたような作法を一つ一つ「観想」しなければなりません。

 目の前に、仏様がいらして、実際に供養するという観想をしなければ、いくら、所作がスムーズで手慣れたものであってもただの「おままごと」になってしまうわけです。

 

 そして、ある大阿さんに言われたのは「観想」は「イメージ」ではない、ということでした。

 イメージは、イメージすることを終えた瞬間、そこから仏様の姿が消えてしまう。

 それに対して、「観想」は実際にそこにいらっしゃる仏様を感じるもので、観想をやめたからといって、仏様が存在しなくなるわけではないことが違いである。

 

 なかなか、難しいです。

 行法の次第には、仏様の姿や、住まれている世界が詳細に描かれているのですが、完璧に観想するのは一苦労です。

 

 その際に、力を貸してくださるのが仏像です。

 仏像も、自由に作っていいわけではなく、ちゃんと「儀軌」にそって表現されています。

 持ち物や姿には一定のルールがあります。こんな姿の方が格好いいとか、萌える、とかいって作ってもダメなんです。

 

 今回、兄弟弟子でもあるU師が、薬師堂の本尊として、新たなお薬師様を奉納してくださり、たった今、開眼供養をさせていただきました。

 左手の薬壷には、私たち衆生の心身全てに効果のある妙薬があるとされています。

 そして、右手を前に出す姿は「施無畏印」といって、私たちの不安を取り除くものです。少し薬指が前に出ているのもお薬師様の姿の特徴です。

 

 たしかに仏像が無くたって、そこに仏様はいらっしゃいます。

 そんなものに頼らないと駄目というのは、レベルが低い、と言って、偶像崇拝を否定する方もいるでしょう。

 しかし、私たちが、仏様であったり、仏様の教えを忘れないようにするためには仏像であったり、仏画というものは必要な方便だと思います。

 

 また、仏像というものは不思議なものです。

 あるとき、巡礼ツアーのお客様に、とある観音様をご案内したところ、ある方は「美人観音様ですね。」という一方で、別の方は「男前ですね。」と言うんです。

 同じ仏像でも、見え方は人それぞれの様です。

  

 また、自分自身、毎日拝んでいる仏様が、日々異なる表情に見えます。

 寺務を怠けた日は、後ろめたさが深層心理にある影響で「厳しいお顔」に見えているだけなのかも知れませんが。

 

 今日お迎えしたお薬師様は皆様にどのように映っていることでしょうか。

 

 今後、毎月の薬師護摩の日には、薬師堂を開いて、お顔をご覧いただけるようにいたします。

 今月は、どんなお顔で迎えてくれるだろうか、と楽しみにして、お参りしてくださると嬉しいです。

 

※ 令和4年御影供での法話に加筆修正したものです。

 

 

たかが学歴ですが

  受験シーズン真っ只中ですね。

 先ほども、ある方からお孫さんが無事に第一志望の中学に合格したとの報告をいただき、ほっとしているところです。

 中学受験の算数を教えていた経験があるため、合格祈願は特別な思い入れをして修法しています。

  

 そんなわけで、今日はこんな話です。

 高野山で役僧をしていたとき、その塔頭の親奥様(住職のお母様)が、突然こんなことを仰いました。

 「私は別に学歴が好きなわけじゃないのよ。」

 

 親奥様は、昨年101歳で亡くなられましたが、はるか昔、しかも和歌山の田舎(失礼)から、東京の女子大に行かれた才女でした。瀬戸内寂聴さんとは少し先輩ですが、ルームメイトだったそうです。

 特に語学が堪能な方で、今では珍しくもないのでしょうが、「敵性言語」である英語を操ることでできる方は、戦後に重宝されたそうです。

 荒廃していた塔頭に嫁いだのちは、そのスキルを存分に活かされて、外国人の方に人気の寺として見事に復興を遂げられたとのことです。

 また、教育熱心だったそうで、息子さんである現在のご住職は京大、お孫さんたちは東大×2、早大出身です。

 また、寺で働く役僧の方も、「無駄に」高学歴の方が多かったように思います。

 ただ、役僧に関しては、「学歴負け」しているポンコツも多かったです。学歴が仕事上の能力に合致しないことなど、社会人なら常識ですけど。

 

 そんな感じでしたから、親奥様の突然の「カミングアウト」には、「またまた~」という気持ちで聞いていました。

 

 しかし、続けてこう仰いました。

 「でもね、学歴がある人は、それだけ努力する人だという証明にはなるのよ。特に国公立の人は、苦手な科目でも頑張る必要があるから、辛抱強い、忍耐強い人ってことだと思うのよ。」

 

 自分も今では住職をさせていただいていますが、加行を終わってからもしばらくは師僧の手伝いをする立場でした。

 その間に、色々な方からお寺の紹介をいただく機会がありました。

 しかし、その流れの中で紹介者の方から「あなたは親が亡くなっていて、後ろ盾がないからね。」と言われ、驚いたことがありました。いまどき、そんなことを言う人がいるんだと。

 身長のことを言われたこともありました。たしかに、特定の人にとっては「人権のない」身長ですけど。

 また、住職になってからも、他の寺の方と一緒になることがあって、「『ラゴちゃん』ですか。」と聞かれ、違う旨を伝えると、急にそっけない態度になったこともあります。

 うちの宗旨では、あまり使わない表現なのですが、『ラゴちゃん』とはお釈迦さまの息子さんである『ラゴラ』さんのことで、寺の息子であることの隠語です。

 

 何も僧侶の世界にかぎったことではないのでしょうが、自分の努力ではいかんともしがたい部分で不当な評価を受けることは少なくないと思います。

 

 そんな中で、ガチガチの保守的な組織であってもおかしくない本山の塔頭の親奥様から、個人の努力や忍耐強さという部分を評価してくださっていることを伺うことができ、嬉しかったのを覚えています。

 

 勉強に限らず、スポーツなどでも同じなのでしょう。

 何かに一生懸命打ち込んだ人ならば、別のことに対しても一生懸命に打ち込むことができるという証明になるのでしょう。実際、寺には、プロ野球に誘われるレベルだった子や、ハンドボールで県代表だった方なんかもいたようです。

 

 あるとき、上綱様(住職)から、自分ともう一人が指名されて連れ出されたことがあります。何の仕事かと思い、ついていくと、杉苔の生い茂った庭の手入れでした。

 苔を痛めてはいけませんので、手作業で枯葉をはらい、苔の間から生えている小さな雑草を、目を凝らして見つけては抜いていくという、地味な作業でした。でも、嫌いじゃないんですよね。

 時間も忘れて、没頭していると、上綱様がぼそっと、「こういうことを黙ってやり続けることができるのは君たちだから(指名した)。」と仰いました。

 上綱様も、自分の忍耐強く一つのことをやり続けることができるという内面を評価してくださっているのだと思い、ありがたかったです。

 上綱様と自分ともう一人とで、素敵な「同窓会」になりました。

 

 年齢とともに頭の回転も鈍ってきました。「全盛期」を思い出すと、歯がゆいこともあります。しかし、どのような努力をすれば結果がでるか見当がつくといった経験は不滅の財産ですし、辛抱強さなんかも劣化しないと思います。

 

 爆発的にこの寺を変えるなんて言うのは無理ですが、少しずつコツコツと素敵な場所にしていければと思います。

 

※ 令和4年二月 薬師護摩での法話に加筆修正したものです。